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2022年3月17日 (木)

暁の宇品

堀川惠子 著
講談社(392p)2021.7.5
2,090円

著者の堀川惠子は、次々に話題作を発表しているノンフィクション作家。本サイトでも以前『永山則夫 封印された鑑定記録』を取り上げている。その堀川は広島で生まれ育った。彼女が本書を書くことになったきっかけは、「人類初の原子爆弾はなぜ広島に投下されなくてはならなかったか」という疑問だった。第二次大戦末期、アメリカは原爆投下候補地を何度か検討しているが、広島はその都度候補地の筆頭に挙げられている。アメリカ国立公文書館に残された議事録には、最終的に広島が選ばれた理由について「重要な陸軍の乗船基地」だったとある。広島沖にある日本軍最大の輸送基地、宇品(うじな)のことだ。この港には陸軍の船舶司令部が置かれていた。

本書は陸軍船舶司令部の3人の司令官の足跡を主にたどっているが、それは取りも直さず船舶輸送、つまり日本軍が軽視した兵站という視点から太平洋戦争を見なおすことになる。陸軍船舶司令部という部門は、戦地へ陸軍の兵を運ぶとともに、補給と兵站を一手に引き受けていた。司令部周辺には人馬の食料を調達する陸軍糧秣支廠、兵器を生産する陸軍兵器支廠、装備品を生産する陸軍被服支廠などがあり、これらの任務に従事した人員は民間の船員や軍属を含め30万人以上に及ぶ。「太平洋戦争とは輸送船攻撃の指令から始まり、輸送基地たる広島への原子爆弾投下で終わりを告げる、まさに輸送の戦い“補給戦”だった。その中心にあったのが、広島の宇品だったのである」

本書の軸となる登場人物は、陸軍で「船舶の神」と呼ばれた田尻昌次中将。一般向けの戦史にほとんど登場することのないこの人物の遺族を訪ねた著者は、ここで不遇の軍歴に終わった田尻が13巻の「自叙伝」を残していたことを知る。未発表のこの資料と田尻の著書、田尻がつくった制度から生まれた船舶将校・篠原優が著し防衛研究所の書庫に眠っていた手記が本書の柱となっている。

陸軍大学校を出た田尻は、宇品で船舶司令部の前身である陸軍運輸部、次に東京の参謀本部船舶班、再び宇品の陸軍船舶司令部と、一貫して陸軍の船舶輸送部門を歩んだ。陸軍が初めて育てた船舶輸送の専門家だった。

田尻が宇品にやってきとき、陸軍船舶司令部は「船と船員を持たない海運会社のようなもの」だった。それにはこんな歴史がある。世界中ほとんどの国の軍隊で、海上輸送は海軍の役割になっている。ところが日清戦争を前に陸軍が部隊の輸送を海軍に頼んだところ、海軍からそれはわれわれの任務ではないと断られた。陸軍はやむをえず民間船をチャーターして兵や物資を運ぶことにした。船舶徴傭(ちょうよう)と呼ばれるこのやり方が、実に太平洋戦争が終わるまで続くことになる。

参謀本部船舶班と宇品の司令部で田尻が手掛けた任務は次のようなものだ。まず、軍事用舟艇の開発。日清日露では敵がいない場所への上陸だったから手漕ぎボートのような舟で上陸できたが、田尻は敵が抵抗するなかで上陸できる舟、外付けエンジンで自走できる鉄舟を開発した。大発動艇(大発)と呼ばれるこの舟は、後に上海事変で威力を発揮し師団規模の敵前上陸に成功する。他にも小発動艇(小発)、装甲艇(攻撃能力の高い舟)、舟艇母艦(大発を大量に搭載できる輸送船)などを彼は技術者とともに開発している。

次に田尻が手掛けたのは船舶工兵の育成。日本軍は兵や物資の輸送・陸揚げを民間人に頼っているが、どうしても上陸作戦の専門部隊が必要になる。その専門家を育成して各師団に配置した。ほかにも宇品港を整備したり、海軍と共同作戦のための委員会をつくるなど、対立することの多かった海軍と良好な関係を築いてもいる。

そのように船舶の専門家として欠くことのできない田尻だが、日中戦争が泥沼化し、重要物資を東南アジアに求めようとする「南進論」が勢いを増してきた1939(昭和14)年、ひとつの事件が起こる。この年、田尻は陸軍中枢と政府に向けて「意見具申」を行なった。既に国家総動員法が施行されており、軍事が最優先されて民間船が徴傭され、国内の物資流通が圧迫されている。船が圧倒的に足りないのだった。田尻は具申書のなかで、日本の船舶輸送が置かれた危機的状況とその解決に国家的な対応が必要なことを、自らの任を超えて訴えた。「建軍以来、日本陸軍のアキレス腱であり続けた船舶の深刻な問題を白日の下に晒し、関係者に警鐘を鳴らそうとしたこの意見具申は、いわば爆弾だった」

その翌年、宇品の倉庫で原因不明の火災が起こり、田尻はその責任を問われる形で退職させられる。戦後のメモで田尻はこのことを「罷免された」と記す。その背後には、船舶の実情を知らずに威勢のいい「南進論」を唱える参謀本部の皇道派将校と、合理性に基づいて議論する田尻とはそりが合わないという事情もあったようだ。

本書の後半では、田尻が引退を余儀なくされた後の、対米英戦争に至る過程とガダルカナル戦が、船舶の視点から語られる。

1941(昭和16)年に入り、米英との戦争を視野に入れた参謀本部は、陸軍省に「物的国力判断」を作成させた。この時点で日本の船舶保有量は490万総トン。

開戦に踏み切った場合、陸海軍の徴傭船舶を250万総トンとすると、残った民需用船舶では「基本原料難きわめて深刻」「物資需給は逼迫」し、国力の低下は明らかだった。しかも輸送船は必ず攻撃されるから「損害船舶」が出る。これを報告は開戦1年目80万トン、2年目60万トン、3年目70万トンと見積もった。この時点で日本の新造船は年24万トンだから、輸送船舶は年々減ってゆく。「帝国の物的国力は対米英長期戦の遂行に対し不安あるを免れない」という結論は当然のものだった。

ところが5カ月後、8月の「国力判断」では「損害船舶」を1年目50万トン、2年目70万トンと低く見積もり、一方、開戦後に戦況が落ち着けば徴傭を解いて民需に回せるので「コレナラナントカナル」という楽観的な結論が導かれる。さらに9月の検討では、2年目以降の「損害船舶」は不明であるという理由からゼロと仮定され、民需が回復するという右肩上がりのグラフが作成された。また造船能力も1年目50万トン、2年目70万トン、3年目90万トンと見積もられた(実績は1941年で24万トン)。著者はこう書いている。「開戦を可能にさせるための“辻褄あわせ”がひたすら行われるのである。最初は遠慮がちに、最後はあからさまに――」

ガダルカナル島の悲惨な戦闘も、船舶の視点から見れば「絶海の孤島にどちらが先に戦力を集中させるかという“輸送の戦い”」だった。1942(昭和17)年8月、米軍が1万人以上の大兵力でガ島に上陸し、日本軍の飛行場を占拠したことから半年に及ぶ死闘が始まった。大本営はミッドウェイから帰国途上にあった一木支隊2000人を急遽、輸送船でガ島に向かわせた。ところがこの輸送船が石炭の旧式エンジンで速度が遅いため、支隊の半数を駆逐艦に乗りかえさせ先行上陸させた。しかし戦闘用の駆逐艦は多数の重火器を搭載できないため、部隊は小銃と機関銃、大隊砲2門の軽装備で米軍の圧倒的火力の前にほぼ全滅した。

その後の兵力投入も失敗したため、司令部は第二師団と戦車部隊、重砲兵部隊を投入することとし、6隻の輸送船からなる大船団を組んだ。しかし結果は制空権を握る米軍の攻撃に輸送船3隻が沈没、3隻は満身創痍となった。かろうじて陸揚げされた武器弾薬食料も輸送に必要なトラックやクレーンが皆無なため、多くが米軍の攻撃にあって燃えた。ガ島には食料がなく、しかも兵は食料を持たぬまま送り込まれた。飢餓に瀕した部隊に向け、武器食料を輸送するため11隻の輸送船団が組まれたが7隻が撃沈され、残った4隻のうち1隻は「擱座(座礁させ)、強行上陸」の命を受けた。「それはもはや特攻輸送と呼んでよかった」と堀川は書く。

その後もニューギニア海域では次々に輸送船が攻撃され、船員はここを「船の墓場」と呼んだ。田尻の後を継いだ2人の司令官は、新しく船舶をつくろうとしても資材なく、宇品はただ指令されたとおりに乏しい輸送船をやりくりし、船舶工兵を集めて送りだすしかなかった。宇品の代名詞ともいうべき大発と小発は、鉄鋼がないため木製やベニヤ製のものまで考案されるようになった。1944(昭和19)年に入ると、南方資源地帯と内地を結ぶ航路は途絶し、宇品は輸送基地としての機能を失っていった。代わりに命じられたのは特攻艇の開発。ベニヤ製で2人乗り、爆雷を積んで敵戦艦に突っ込むというもの。出撃した2288人のうち1636人が戦死している。この特攻艇については極秘とされ、戦後も長くその存在を封印されることになった。

現在にいたるまで、宇品の船舶司令部についての研究や著作はほとんどない。そのことは、戦前戦中だけでなく戦後になっても輸送や兵站の問題が重要視されなかったことを意味しているかもしれない。軍事だけでなく、周囲を海で囲まれたこの国はあらゆる経済活動に輸送や兵站の問題はついて回る。当時より遥かにグローバル化が進んだ現在で言うなら食料の自給やエネルギー問題、サプライチェーン網の確保といったことになろうか。未発表の資料を駆使して、これまで軽視されてきた視点から戦史に新しい光を当てた本書は貴重なものだ。

しかもこの本に書かれていることは決して過去の歴史じゃない。登場する中央や現場の軍人たちの言動を読んで、今もなんにも変わっちゃいないんだな、というのが正直な感想。森友問題での公文書改竄やら国交省の統計データ書き換えやら、輸入に頼るコロナワクチンや検査キットの不足やら、今のこの国の組織と人のありようが二重写しに見えてくる。ロシアのウクライナ侵略で第二次世界大戦後の世界秩序が大きく変わりそうな予感もあるこの時期、いろんなことを考えさせられる読書だった。今年度の大佛次郎賞受賞作。(山崎幸雄)

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