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2022年5月

2022年5月17日 (火)

「すごい左利き」加藤俊徳



加藤俊徳 著
ダイヤモンド社(200p)2021.09.29
1,430円

脳科学者(発達脳科学、脳画像診断の専門家)である著者が、「なぜ利き手があるのか」「左利きの直観・独創性のすごさ」「脳構造によるワンクッション思考」など脳機能構造を説明するとともに、左利き右利きの脳の使い方の違いと、その特性を明らかにしている一冊である。著者自身が左利きで、子供の頃から「右手が他の子のように動かせない」ことを気にしていた体験をベースに書かれているのだが、脳科学者になって「これまで抱えてきた左利きの疑問やコンプレックスは全て判った」と書いている。私も左利きで周りの友達との「違い」を子供の頃から体験してきたが、特段コンプレックスを感じずに生活できたのは、人間関係に恵まれていたという事なのだろうか。

私は、字を書くのは練習させられて右で書くようになったものの、絵を描くのは左、箸は右、スプーンは左、野球の打つ・投げるのは左、ゴルフは右、ハサミ・包丁は左、ギターは左など、右と左は使い分けている。ただ、試験のときは右手に鉛筆、左手に消しゴムをもって解答用紙に向かっていたので、コンプレックスを感じるよりは両手を使える便利さを享受していたと思う。

本書は、左利きを前向きにとらえるガイドブックで有ると同時に、左利きエピソードが沢山盛り込まれている。

人間は利き手が決まっているが、これは直立歩行になってから両手を使い効率よく作業する能力を手に入れたと同時に、転びそうになった時に咄嗟に利き手で庇うなど、ムダな動きをせずに済むことで脳の負担を軽減することに役立っているという。また、150~200万年前になると左側に傷を負ったサルの頭蓋骨が多く発見されている。これは右手に斧を持った人類がサルを捕獲していたと推定されることから、この時代には右利きが多数を占めていたことも判ると言う。右と左の利き手の違いが出てきた理由について次の二つの説を紹介している。一つは、人間がより複雑な道具を利用して獲物を捕まえるために言葉によるコミュニケーションが必須となり言語脳のある左脳を発達させた結果、左脳がコントロールする右手をよく使うようになったという説。もう一つは、身体の左側に心臓があるために、急所を守ることから右手で戦うのが有利だったことから右利きが増えて行ったと言う説を紹介している。私は後者の説は知っていたが、二説とも納得感ある説だ。

本論としては、脳の機能と左利きの特性が示されているとともに、それに対する脳トレなども紹介されている。脳には感情系、視覚系、運動系など8つの分野に場所が分れているが、左脳、右脳で役割分担をしている。感情系で言えば左脳では自分の感情・意見をつくり、右脳では自分以外の人の感情を読み取るという。視覚系では左脳は文字や文章を読み取り、右脳は絵や写真などのイメージ処理を行う。この結果、利き手の左右に関わらず、右脳は非言語系、左脳は言語系を処理するため、文字を書くとき右利きは運動系左脳で右手を動かしながら、左脳の伝達系で言葉を生み出すというシンプルな処理となる。一方、左利きは右脳運動系で左手を動かしながら、左脳の伝達系で言語を生み出すという左脳・右脳のネットワークを使わなくてはならない。これが「ワンクッション思考」と呼ばれているもので、右脳から左脳間の行き来によって、左利きは言葉を発するまでの時間の「ワンテンポ遅れ」があると指摘されているが、私は自覚したことは無い。

一方、左利きは日常生活では必然的に両刀使いで活動することが多い。例えば、駅の自動改札のタッチセンサーは右側についているので、左利きでも右手を使わざるを得ないなど、両方の脳を活性化させているというメリットもある。脳の映像分析などから左利きは右利きに比較して、脳の使い方に左右差が少なく全体を使っていることも判っている。

次に、左利きの特性として「直感」を取り上げている。左脳は論理的・分析的な思考機能を持っている一方、左利きがまず使う右脳は視覚や五感を活用して非言語系の膨大なデータベースとなっているという。これが発明の前提となる「仮説」を生み出すための「発想の飛躍」や「直感」を支えていると言う。別の言い方をすると「ひらめき」という事なのだろうが、それを支えるのが右脳の持つ非言語系のイメージデータに他ならない。

また、左利きの「独創性」について語っている。90%の右利きに対して10%の左利きは少数派故に、既成の枠では収まりきらない天才的発想というプラスもあれば、その発想を上手く言葉で説明出来なければ単なる「変人」になってしまうリスクもある。まさに表裏一体である。こうした右利き左利きの違いが出て来るのは、同じ場所に居ても、左利きは左側を見て、左側の音に注意を払い、右利きはその逆。つまり違う世界を見聞きしているという指摘である。こうした視点の違いも少数派左利きの「独創性」を生み出す力になっているという。 

最後に「最強の左利きになるために」と題された章で左脳・右脳を鍛える脳トレがいくつか紹介されている。「To Do Listを作る」「日記を付ける」「移動時間にラジオを聴く」「外国語を学ぶ」といったものである。

「To Do Listを作る」と言うのは、左利きがイメージで記憶している事象を言語化すること、「日記を毎日つける」というのはスマホやパソコンではなく紙の日記帳に書き綴ることで共に左脳の活性化を図る狙い。そして「外国語を学ぶ」ことで多くの脳機能をまんべんなく活性化させることが出来るという。そう指摘されてみると、左利きの私はこのうち三つの事柄を若い時から行ってきたことに気付かされた。

「To Do List」は仕事上プロジェクトの進捗管理には必須であり、仕事を離れた現在もやるべき事を忘れない様に「To Do List」を書き続けている。「日記」は30才代からストレスフルな仕事に追われていたこともあり、気持ちの切り替えのために始めた。以後現在まで40年間書き続けている。また、外国語は外資系の会社に入社したため。必然的に英語を学ばなければならない環境に置かれた。

これらは、いずれも私が左利きであったので始めた行動ではないのだが、結果的には著者の言う「より強い左利きになる」ための幾つかの手法を身に着け、現在も続けていることに驚かされた。

本書を読んで、過去の自己の左利き感覚体験を納得出来ただけでなく、あまりプレッシャーを感じること無く75年の左利き人生を送って来たことに感謝の思いが募った。また、左利きの子供を持つ右利きの親は本書を一読することで、子供の行動をより理解するとともに成長を支援することが出来そうである。 

左利きで損したことは、蕎麦打ちを習い始めた時に蕎麦包丁は片刃なので右利き用と左利き用は異なるのだが、左利き用の包丁は右利き用の1.5倍の値段だったことだろうか。(内池正名)

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「古代中国の24時間」柿沼陽平

柿沼陽平 著
中公新書(328p)2021.11.25
1,056円

大きめの書店に入っていちばんの楽しみは、なんといっても新刊書の棚を隅から隅まで眺めることだろう。この歳になると好みの著者やジャンルは固まっているから、買う本はたいていその範囲に収まってしまう。新刊書棚を見る楽しみは、そんな自分の好みを超えて新しい読書体験をもたらしてくれる本に遭遇すること。この本もそのようにして昨年末に出会った。でもそのときは『ケルト人の夢』(本サイト2月に紹介)、『人びとのなかの冷戦世界』(同4月)と大著2冊を読む予定があったので迷った末に買わなかった。先日、行きつけの書店に行ったら、やっぱりこの本がオーラを発して「面白いよ」と呼びかけてきた。発売3カ月で4刷になっているから、順調に売れてるようだ。

サブタイトルに「秦漢時代の衣食住から性愛まで」とある。秦や漢の時代の皇帝、官吏、都市民や農民がどんな日常を送っていたのかを、朝起きてから寝るまで時間を追って膨大な文献やモノの遺品・遺物など史料を使って再現している。著者の柿沼は1980年生まれで中国古代史・貨幣史の専門家。

彼はこの本のスタイルについて、「ハゲ・トイレ・痰・口臭、起床時間、自慰等々……卑俗でリアルな生活風景」を自らが古代世界にワープしたロールプレイングゲームのように描いた、と書いている。ではそれがどんなものか、覗いてみようか。

もちろんハゲはいつの時代、どの地域にもある。でも秦漢時代(前3~3世紀)の官吏にとってこれは大問題だった。というのは官吏はその身分にあった冠をかぶり、髷(まげ)を結ってそこへ冠を留めていたからだ。髷を結えなければ君主におじぎするとき、冠がぽろっと落ちる危険がある。だから官吏は髪を長くしておかなければならない。寄る年波に勝てずハゲた官吏はカツラ(髦・てい)をつけて冠をかぶる。でも漢時代の壁画にはカツラなしで頑張るハゲた官吏たちの絵も描かれている。

漢代のトイレにはいくつかのタイプがあり、しゃがむタイプ(和式)が多いが座るタイプ(洋式)もある。漆塗りの便座(洋式)が出土しているのは、身分の高い者が使ったんだろうか。高級なトイレのそばには、排便後に下半身を洗い、衣服を替えるための部屋もあった。だからトイレは更衣と呼ばれた。基本は男女の区別なし。「高級か否かを問わず、かなり臭かった。そのため高級トイレなどには、鼻につめるための乾棗(なつめ)が置いてあったり、南方産の香粉や香水が置いてあったりする」。ふつうトイレは2階にあり、その下の1階には豚小屋が設置されていることが多い。排泄物は豚に食べてもらい、その豚をまた人間が食べる。

痰といっても、皇帝の痰の話。皇帝が痰を吐くとみるや傍に控えた侍中(じちゅう)がすばやく唾壺(だこ)を差し出す。侍中とは虎子(しびん)や清器(おまる)を管理する係。皇帝が尿意や便意をもよおしたら対処する役目なのだが、つねに皇帝の傍にいる必要があるからか高名な学者であることが多かった。だから侍中はほかの官吏から羨望のまなざしで見られていたという。

この時代の人びとはろくに歯も磨かなかったから、口臭は切実な問題だった(虫歯は秦漢人が口臭以上に恐れた問題だが、それは置いて)。口臭がひどければ恋愛にも結婚にも仕事にも支障が出る。皇帝の側近ともなれば、皇帝に不快な思いをさせないよう杜若(とじゃく)や鶏舌香(けいぜつこう)といったブレスケアを服用するほうがよい。特に鶏舌香は曹操が軍師の諸葛亮孔明に贈ったことのある珍品だ。女性もブレスケアを用い、「気(吐息)は蘭の若(ごと)し」と評された美女もいたとか。

秦漢の時代、日の出前後の時間を「平旦」と呼んだ。この時刻、洛陽など都市はまだ寝静まっているが、5日に1度くらい開かれる聴朝(ちょうしょう・政治)の開始時刻でもある。すでに宮城の前には官吏が集まり開門を待っている。実際、前漢の武帝は平旦に詔を発し、官吏はそれを踏まえて「食時」(しょくじ・午前9時頃)に答申している。食時はその字のとおり、朝食を取る、あるいは朝食を終える時刻。もっとも農民はもっと早く食事をしたろう。

主食は黄河流域でいえばアワが多く、上等なものとしてキビがあり、オオムギも食べられていた。ある人は、キビが一番、イネが二番で、ムギやマメはいまいちと評している。たいてい煮てから蒸し、粒のまま食べた。庶民はこれに加えてネギやニラを食べる程度。上流階級になると牛、羊などの肉、ニワトリ、キジなどの鳥類、コイ、フナなどの魚類を食べた。特に子牛や子羊の柔らかい肉や、春には繁殖期のガチョウ、秋には若鶏など季節ごとに豪華な食材が好まれた。ちなみに食事は庶民層なら朝夕2食が多い。

さて、最後になったが自慰とか性愛については、古今東西やることはあまり変わらないから、この時代ならではということは少ない。とはいえセックスを通じて不老長寿を図る房中術なるものがあり、『十問』『合陰陽』などの書物が出土しているが、著者は詳しく説明していない。そのかわり、キスしたり抱き合ったりしている陶俑や、レズビアン用と思われる張型の出土品が紹介されている。概してこの時代の性愛はおおらかで、同性愛もそれほど差別されていたわけでなく、「少なくとも上層階級の性愛のかたちは多様であった」。

とまあ本書のごく一部を抜粋してみたけれど、ほかにも住居と都市の構造とか、居酒屋や宴会の作法とか、ファッションと流行とか、ナンパの仕方とか、興味深い記述がたくさんある。そんな古代中国の日常生活空間に旅行者のように入り込んであっちを見たりこっちを見たり、短い滞在時間ではあったが好奇心を満足させて楽しみ、遊んだ。その印象を大雑把に言えば、少なくとも都市住民に関するかぎり高度成長以前のわれわれとそんなに変わらないなあ、というものだった。日本で言えば縄文から弥生の時代である。

この本は専門書でなく一般向けの新書だけど、だからといって見てきたような嘘やあいまいな記述があるわけではない。巻末には20ページ890カ所に及ぶ注がつけられ、あらゆる記述の出典が明らかにされている。そこに著者の姿勢が見える。学者の余技でなく、目指すのはフェルナン・ブローデルに連なる本格的な「日常史」。

プロローグには、こんなことも書かれている。そもそも中国古代史の史料はそんなに多くない。せいぜい1500万字程度(!)。「まともな研究者なら10年間もかければ読み通せる量である」。もちろん柿沼は1500万字に10年かけて目を通し、そこから日常生活についての記述に付箋をつけていった。その集積に加えて、木簡・竹簡、遺跡・遺構からの出土品、石やレンガのレリーフ、明器(副葬品)などの史料も加えて、「最近、ようやく古代中国の24時間の生活風景が大まかにわかってきた」結果、この本が生まれた。

先月このサイトで紹介した益田肇(『人びとのなかの冷戦世界』)もそうだけど、新しいタイプの研究者が続々と生まれてるんだなあと頼もしい。彼らが次にどんな本を書いてくるのか、楽しみだ。(山崎幸雄)

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