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2022年7月16日 (土)

「送別の餃子」井口淳子

井口淳子  著
灯光舎(224p)2021.10.22
1,980円

著者は民族音楽学を専門にしており、研究テーマは「中国の音楽・芸能」「アジアの洋楽受容」と紹介されている。「中国の音楽・芸能」はともかく「アジアの洋楽受容」とは何だろうと思ったが、「亡命者たちの上海楽壇」という著作を見つけ、ロシア革命やユダヤ人迫害などで逃れてきた音楽家たちの活躍の場であった上海の状況を研究対象としており、興味深い分野の研究家である。

本書は著者が1980年代半から、中国の農村にフィールド・ワーク(以下FW)として繰り返し長期間滞在して中国の伝統芸能を研究する中で出会った人々の思い出を描いている。旅行のような一過性の滞在と違って、FWとなるとそれなりの期間に亘って村民の自宅に宿泊滞在させてもらうこともあり、住民との繋がりも深くなっていく。生活や移動における様々な問題が起こる中で「著者が困り果てていた時に周りの人々から、身振り手振りで助けてもらった」という体験が本書のベースといっている。

しかし、彼女は日本で言う「やさしさ」という言葉にピタリと合う、中国語は見つからないともいう。中国は二者択一を体現する考え方が強く、親子関係でも、よちよち歩きの子供に対しても「(あなた)」と呼びかけ、自分は「我」と称する。そんな、ある意味クールな立ち位置を守っているのだが、国籍や性別を問わず助けるという感覚は「仲間や身内」という狭い関係を超えて「人」を助けるという広い視野が根底にあると著者は考えているようだ。

本書に登場する人々はFWの対象の農村住民は当然として、民俗音楽や芸能を演じている人々の生業(なりわい)や日々の暮らしを描いている。また、1980~90年代の中国農村で女性研究者が長期間滞在することに中国側も心配していたようで、県の文化系の役人が監視役、支援者、通訳などの複数の役割を持って同行しており、そうした人々も登場する。

「甘い感傷に浸ることではなく、失敗の体験の中にぽっかりと差す薄日のような感覚」と表現しているように、厳しい現実の中での人々との触れ合いが見て取れる。そんな中で出会った「送行餃子」という言葉が本書のタイトルになっている。

著者が体験した時代背景は、毛沢東の死後、鄧小平による開放政策に始まり、1989年の天安門事件、90年代は江沢民の経済成長政策が進み、社会全体の貧富の格差が広がった時代だ。そうした変化の大きかった時代において上海に代表される都市の変革とともに、農村の生活変化も進んだ。象徴的に言われるのが、現地の人との連絡手段である。中国農村では手紙、急ぐときは電報という時代が長く続いたが、固定電話の時代をすっ飛ばして携帯電話の時代に突入したという。しかし、「農村」の状況は日本と中国では大きく異なっている。中国では「農村戸籍」と「都市戸籍」に分れていて、農村に生まれた人は一生農村を離れられず、出稼ぎで都市に出て来ても、そこに戸籍を移せず「農民工」と呼ばれて賃金などの条件も違うと言う。

そして文革の痕跡に接する事もある様だ。ある時、北京で中国文化の学芸員との会話の中で著者が農村の話をすると、スッーと暗い表情になったという。気になって尋ねると、父親が共産党幹部で文革の時に一家で地方に下放され彼女は「黒五類子女」といわれ迫害されたという。口承文化である民衆文化も文革で四旧として批判の対象になり、多くの資料や文物が廃棄された。その後の改革開放時代も経済第一主義で半農半芸の影戯芸人などは数を減らしていったという実態を紹介されていくと、あの文化大革命も私の中では歴史的事実という知識でしかなくなっていることに気付かされる。

北京郊外、河北省唐山市楽亭県が著者の最初のFWの地で、その後も何度も訪ね続けている。この楽亭県の文化行政機関主席の高老師との付き合いが語られている。1980年代後半でも、中国は大陸農村の調査は原則外国人に門戸を閉ざしており、ハードルはかなり高かった。加えて、全国で300を超える方言があり、出身者でもなければ住民と会話もできない。こうした点から、高老師のようなスタッフが同道することになる。老師と言っても年齢に関係ない敬称で、日本で言えば「先生」といったところ。 通訳、ボディーガード、郷土文化のガイドといった多様な役割を持った人ということか。

しかし、老師のように県の中心で生活していては農村の芸人の活動についてほとんど耳に入ってこないようで、「最近はめっきり上演が少なくなっている」と言っていたが、実際に村に滞在し始めると、「集市」と言われる定期市に周辺の村人も集まり口コミで情報が交換されて、近郊の村でこんな上演があるといった話が次々と入ってくる。この楽亭県では「三枝花」と呼ばれる、語り物芸能の「楽亭太鼓」、影絵芝居の「楽亭皮影戯」、地方劇の「評戯」を鑑賞していく。こうして村の人たちと上演を観た帰りの道すがら芸人の腕前の評価などを聴くという体験を繰り返す。

そして、何週間も滞在してお世話になった御宅での最後の食事に、普段料理をしない高齢のおばあさんが餃子を作ってふるまってくれたという。まさに「送別の餃子」である。

また、面倒を見てくれた老師はもともと「郷土作家」と呼ばれている小説家。別れ際に一束の原稿用紙が渡される。それは彼が著者を主人公に書いた短編小説だった。そこには著者が自分では気付いていない欠点や弱点も丁寧に表現されていたと言う。まさに老師からの「送別の餃子」である。

著者のもうひとつの重要なFWは陜西省陜北県の楊家溝村である。1990年以来、毎年のように研究調査に訪れていると言う。この村では山肌を5メートル程穴を掘って住居にしている。岩窟である。水はずっと崖下の川に汲みに行くという厳しい生活が強いられる。食べ物も生活物資もすべて手作り、自前が前提の村。この村でも多くの伝統芸術の演者と出会っている。日本と同様に、中国の伝統芸能の演者は視覚障碍者であることが多いようだ。子供が病気や怪我で眼が不自由になると、親はその子が一生食べて行けるように「算命(うらない)」か「芸人」のどちらかの技量を身に付けさせた。その中の一人、語り物を演じる芸が象徴的である。視覚障碍者の演者は、物語を語り、両手で大三弦を奏で、足に付けた板を打ち鳴らしてリズムを取る。まさに一人三役をこなす。また、同時に彼は「占い師」でもある。この村は1000軒位の集落とのことで、各家で誕生日などの祝い事があると彼を呼び、数時間の演奏の後、食事がふるまわれ、最後に家族全員の「算命」を行い謝礼を受ける。これが彼の生計である。

また、著者は視覚障碍者の雨乞いの歌を聞き、その旋律に美しさを感じたと言う。しかし、演者は「この歌は哭調であり「不好聴(美しくない)」と語ったと言う。視覚障碍者の彼にとっては美しい音とは「自然の鳥の鳴き声や水の音」などであった。この村では、1990年代でもラジオやテレビの音は聞こえない。聞こえるのは「人の声」なのだ。だからこそ当地の民謡で「あなたの姿は見えないけれど、あなたの声は聞こえる」という歌詞が持つ意味に考えさせられる。

思えば、私は北京、上海、香港など何度となく仕事で訪れている。しかし会議の合間の休憩時間に街を散策したり、中国人の仕事仲間と中国語と英語が併記されたメニューが準備されているようなレストランで食事をするくらい。そんなことでは、本書のテーマとなっている風景や人々に接するチャンスはまったくなかったし、私の体感した中国はほんの一面で、特殊な部分だったと思う。しかし、仕事である以上それもやむを得ないことだ。仕事を全く離れたいまこそ、ゆっくりと滞在型の旅行に出てみたいと旅心がそそられる一冊となった。(内池正名

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