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桑田佳祐論/苦海浄土 全三部/クモのイト/黒い瞳のブロンド/黒い本/黒い迷宮/グリニッチ・ヴィレッジにフォークが響いていた頃/グランド・フィナーレ/グロテスク/クルディスタンを訪ねて/『偶然の一致』体験/偶然の一致 99の事件簿

2022年11月27日 (日)

「桑田佳祐論」スージー鈴木

スージー鈴木 著
新潮社(272p)2022.06.17
946円

「桑田佳祐論」というタイトルもいささか大袈裟なのではと思いながら読み始めたが、著者の桑田に対する思いの深さが存分に発揮された一冊。納得感とともに、著者との世代の違いによる感じ方の差を実感することが多いのも面白さの一つ。著者は1966年生まれ。音楽評論や野球評論などを行っていて、もともとは博報堂に勤務していたという。2017年に「サザンオルスターズ(1978~1985)」、2018年に「イントロの法則’80s 沢田研二から大滝詠一まで」といった著作を出しているが、私にとっては彼の著作を読んだのは本書が初めてである。

本書は、桑田のデビュー作の「勝手にシンドバット」(1978)から「ブッダのように私は死んだ」(2020)までの26作品を取り上げて、三つの時代に区分してその歌詞について語っている。第一章「胸騒ぎの腰つき」は、桑田の音楽人生の序章として「勝手にシンドバット」から「夕陽に分れを告げて」(1985)までを位置付けている。第二章は「アメリカは僕のヒーロー」(1986~2010)と題して、9曲の楽曲を取り上げている。この時期に桑田は全編英語詞のアルバムを出していること等から、こうした位置付けをしているのだろう。ただ、この頃は、私は仕事に追われた時代だったし、テレビの歌番組が少なくなり生活のバックグラウンド的に歌が流れていなくなっていた事などから、聴き慣れた曲は少ない。第三章「20世紀で懲りたでしょう」(2011~2022)はタイトルも象徴的である。この時期、桑田は食道ガンからの復帰のアルバムを出し、「月光の聖者達:ミスタームーンライト」などビートルズを想起させる曲をリリースしている。それだけに桑田の原点回帰的な時期というだけでなく、3.11、紫綬褒章受章、2014の紅白騒動など、彼の生き様にも影響を与えたであろう波乱の時期という事か。

桑田の歌の特徴といえば、桑田語ともいえる独特な言葉の組み合わせがある。しかし、本書の書き出しは「白状すれば本当は桑田佳祐の歌詞などまともに読んでいなかった」というもの。確かに、私も桑田の歌詞をまともに読み込んでいたことは無いと思うし、楽曲全体で何を伝えたいのかなどは考えたこともなかった。しかし、本書のような「桑田佳祐論」ともなると、そうはいかないのだろう。「桑田は日本語の歌詞をどうビートに乗せるかという方法論について最大の功績があった」という点に着目しつつ、コミックソング、エロ歌謡、ナンセンスソングとも言われる桑田の歌詞も「ふざけた歌詞」ではなく、「表現の自由」と「戦後民主主義」を謳歌している日本人の「自由な歌詞」と捉えている。これが、著者の桑田を読みとく原点である。

面白い視点やエピソードがいくつかあったので触れてみようと思う。まずは、著者との世代ギャップを感じた部分である。

「歌詞よりもリズムやメロディー優先で作っていると言われている桑田の楽曲に、茅ケ崎という具体的な地名の採用について、今でこそ茅ケ崎は『湘南』エリアを代表する地名だが、1978年当時はそれほどメジャーな地名ではなかった」という一文を読んで驚いた。我々団塊の世代からすると、1960年代には加山雄三やワイルド・ワンズなどが芸能人や歌手として茅ケ崎をどんどん表に出していった時代だ。私の青春感覚では「湘南」を代表するのは「茅ケ崎のパシフィックホテル」や「逗子のヨットハバー」だったから、1970年代の茅ケ崎は若者にとってオシャレな遊び場の象徴だった。

桑田は10才年上の「団塊の世代」を「愛と平和で歌う世代」と言っている。その気持ちを著者は「桑田の世代は団塊の世代に対して、反抗心とともに真逆な共感や諦め」があったという世代意識を示している。

「胸騒ぎの腰つき」のように「意味からの自由奔放さ」が桑田の特徴だし。三枚目のシングル「いとしのエリー」(1979)について「コミックバンド風からビートルズに転換した一曲であり、コアフレーズの『エリーMy love so sweet』は洋楽が血肉化日本人にしか書けないし、歌えないフレーズ」と言っているように桑田の歌は世代論を超えた独特の世界観だった。30代のサラリーマンだった我々団塊の世代もカラオケで歌いまくっていたから、10代から30代の幅広い世代で聴かれ、歌われていたということだろう。

「明日へのマーチ」(2011.6)は東日本大震災後のシングルだが、桑田を始め多くのアーティストが福島や宮城を支援し続けている。我が家も代々福島で生活していた家だけに、桑田の活動には共感を覚える。ただ、桑田が「TSUNAMI」(2000)を3.11以降封印していることは残念に思っている。

「2015年にラジオ局の『女川さいがいFM』で聴取者からの『TSUNAMI』 のリクエストがあったがいろいろ考えた挙句、この曲を流せなかった。しかし、2016年にこの放送局が閉局するときの最後の放送でパソナリティーが自らギターを弾き『TSUNAMI』を歌い、スタジオの全員が声を合わせて歌って放送を終えた」

このエピソードに、私のこの曲に対する考えの一つの答えがあったように思う。3.11では多くの人達の感情はまだまだ着地できていない部分が沢山ある。しかし、桑田に歌ってほしいというファンの気持ちは変わりない。

そした本書で取り上げている最後の曲が「ピースとハイライト」(2013)である。桑田はこの曲を2014年の紅白歌合戦でヒトラーを思わせるちょび髭をつけて歌い、炎上騒ぎを起こした。私はこの年の紅白は見ていたと思うが、さしたる違和感もなく視聴していた。年越ライブでの紫綬褒章の雑な取り扱い方や紅白での「ピースとハイライト」を、「ピース=平和」と「ハイライト=極右」と解釈をしたうえでの政治批判のパフォーマンスに対して、翌2015年1月に桑田自身と所属事務所が謝罪会見をするに至った。しかし、謝るなら最初からするなというのが率直な感覚だ。著者も「ロック音楽は何を歌ってもいいんだ」という桑田の言葉を引きながら「もはや戦後ではないと言われた1950年代に生まれた桑田は表現の自由をこう解釈している」としている。しかし、謝罪に追い込まれるというのも、それだけ桑田の存在が大きくなったという事なのだろう。

桑田佳祐というミュージシャンの楽曲と歌をどう捉えるか、世代による違いもあるだろう。しかし、もう一歩すすめると、同一世代の共通性よりも受け取り方の個人差はさらに大きいというのも厳然たる事実だと思う。私は桑田の歌詞は一曲をストーリーとして表現しているよりも、俳句的な感情表現の積み上げで、リズム感も短形詩の集合のように感じている。だからこそ、感傷や哀しさという感情表現が強く出ているのではないか。

作詞家の桑田は頭の中のイメージを100%歌詞・言葉に変換しているわけではない。また、彼の歌を聴く側も様々な解釈をして受けとめる。聴く側が分析と推論を繰り返しても、桑田が自らの作詞した楽曲について書いた本「ただの歌詞じゃねえか、こんなもん」(1984)というタイトルを突き付けられると、「私はこう聴いて、こう感じた」という以上の説明は、なにやら空虚に響くのだ。(内池正名)

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2020年10月17日 (土)

「苦海浄土 全三部」石牟礼道子


石牟礼道子 著
藤原書店(1144p)2016.09.10
4,620円

山田風太郎晩年のエッセイに『あと千回の晩飯』がある。いろいろな徴候から、晩飯を食うのもあと千回くらいなものだろう、という書き出しだった。このとき風太郎72歳。亡くなったときは80歳を超えていたから実際にはその倍以上の晩飯を食ったことになるが、僕自身も70歳をすぎて病気し、あと何回という思いがよく分かるようになった。本を読んでも、映画を見ても、あと何冊、あと何本という気持ちが湧いてくる。一冊も、一本も無駄にできないような気がしてくる。そんな心境になってくると、いつか読もうと書棚に積んである何十冊もの本が気にかかりはじめた。これらの本を、ついに読まずに終わるのか。

そんな積読本のなかで、いちばんオーラを発して手に取ってほしいと訴えていたのが石牟礼道子『苦海浄土 全三部』だ。漢和辞典のように厚いこの本の第一部『苦海浄土』が刊行されたのが1969年。その後、第二部『神々の村』が井上光晴編集の『辺境』に書き継がれたが雑誌の休刊とともに中断。第三部『天の魚』が先に刊行され、全三部が完結したのは石牟礼道子全集が出版された2004年のことだった。単行本として全三部を一冊にまとめた本書は2016年に刊行されている。第一部の出版から50年近く、著者が地方誌『熊本風土記』に書き始めてから60年近くの歳月がたっている。

第一部が刊行された当時は公害を告発するノンフィクションに分類され、桑原史成の写真をカバーや本文あしらった造本もその方向で設計されている。僕もそのようなものとして読んだ。また第一回大宅壮一ノンフィクション賞に内定してもいる(辞退)。その後、彼女の仕事の全貌が明らかになるにつれノンフィクションの枠に留まらないその広さ深さが理解され、現在では戦後日本文学を代表する作品のひとつと評価されている。池澤夏樹が個人編集した世界文学全集(河出書房新社)では日本語の作品として『苦海浄土』ただ一冊が選ばれている。

そんな大きな存在に今さら言うべきこともない。でもせっかく1100ページを読みとおしたのだから、きれぎれの感想でもつけ加えておこう。

『苦海浄土』が文学として評価されるようになったのは、『チェルノブイリの祈り』のスベトラーナ・アレクシエービッチやボブ・ディランがノーベル文学賞を受けたように、世界的に文学の概念が広く考えられるようになった流れと無関係ではないだろう。でも三部作を読んで感じたのは、これは日本の近代文学、たとえば漱石や谷崎や三島とはまったく別の場所から出てきたものだな、ということだった。

まずは三部作の印象を一言ずつ。第一部はひたすら重く、深く考えさせられるのだが、なんとも美しい。途中中断した第二部は、掲載誌の休刊という外側の条件だけによるものでなく、苦渋に満ちている。それに対して第三部は、力強い。

第一部「苦海浄土」を読み始めて、50年前にもそうだったように、石牟礼道子が水俣病の患者やその親や爺さま婆さまの話に耳を傾け、彼ら彼女らになりきって語る、そのカタリの美しさに惹きこまれた。たとえば漁師の妻で患者であるゆき女のカタリ。

「海のうえはほんによかった。じいちゃん(亭主)が艫櫓(ともろ)ば漕いで、うちが脇櫓ば漕いで。いまごろはいつもイカ籠やタコ壺やら揚げに行きよった。ボラもなあ、あやつたちもあの魚どもも、タコどもももぞか(可愛い)とばい。四月から十月にかけて、シシ島の沖は凪でなあ──。/うちは三つ子のころから舟の上で育ったっだけん、ここらはわが庭のごたるとばい。それにあんた、エベスさまは女ごを乗せとる舟にゃ情けの深かちゅうでしょ。ほんによか風のふいてきたばいあんた、思うとこさん連れてゆかるるよ。ほらもうじき」

水俣の海では夫婦が夫婦舟で漁をする。青い海と空の下に浮かぶ小舟に乗って寄り添う二人の至福の風景。しかしそこで採る魚はチッソ工場が海に流した廃液の有機水銀で汚染されていた。苦海が即ち浄土であるような夫婦の愛情。こんなカタリが三部作を通して、さまざまに語られる。その純度の高さにうたれる。

石牟礼道子が患者になりかわって語る、そのきっかけとなった出来事が記されている。彼女がはじめて水俣市立病院を訪れたときのこと。「肘も関節も枯れきった木」のような腕と足で床にころがり、目も見えず言葉も発せず、しかし意識はあって自らの姿に怒り恥じている老患者、釜鶴松の姿を目の当たりにした彼女はこう書く。「この日はことにわたくしは自分が人間であることの嫌悪感に、耐えがたかった。釜鶴松のかなしげな山羊のような、魚のような瞳と流木じみた姿態と、決して往生できない魂魄は、この日から全部わたくしの中に移り住んだ」

そこから彼女は、ゆき女や江津野の爺さまや九平少年や、患者と患者の親、爺さま、婆さま、そして死者に憑依して病気のこと自らのことを語る。その文体から受ける印象はノンフィクションというより、たとえば琵琶法師が琵琶にあわせて語った物語が文字化された『平家物語』に近い。などと訳知り顔で言わずとも石牟礼は自ら、これは浄瑠璃のごときものと書いている。

その一方、当初奇病といわれた水俣病の原因が特定されるまでや、患者の要望に対するチッソ企業の木で鼻を括った回答については、科学的あるいは法律的文章がまるごと引用されている。客観性を装っているだけに、たとえば1959年に結ばれた「契約書」の「乙(患者互助会)は将来水俣病が甲(チッソ)の工場排水に起因する事が決定した場合においても、新たな補償金の要求は一切行わないものとする」といった文面から浮かび上がる鉄面皮と傲岸が際立つ。

水俣市はチッソとともに発展してきた。チッソに勤める者は「会社ゆき」として尊敬され、市民の上層・中層を占めている。行政にも影響力をもっている。そんな地域共同体のなかで水俣病患者の補償を求める行動は会社をつぶすものとして村八分され、奇病は貧しさから腐った魚を食べたせいと差別され、孤立してゆく。それだけに石牟礼の描く、主に零細漁民たちからなる患者になりかわってのカタリが胸をうつ。

第二部でもこの美しいカタリは随所に顔を出すけれど、そこに何本もの亀裂が入ってくる。第一部で夫婦舟を語った患者のゆき女は、夫から捨てられている。市役所に、患者と思しい者から同じ患者の不正受給を訴える密告が届く。そうしたことどもを石牟礼は静かに記す。さらに、患者互助会が二つのグループに分裂する。補償と救済を国の中央公害審査会に一任する一任派と、裁判で争おうとする訴訟派と。

石牟礼は訴訟派に寄り添って、訴訟派の患者がチッソ株主総会に一株株主として出席し、社長と直に話をしたいという行動に同行する。患者のその動きは、裁判になれば社長が出てくる、偉い人と直に話せば分かってくれるはずだという期待と裏腹に、代理人と代理人によるやりとりがつづく法廷に不満を募らせた結果だったようだ。患者たちが白い巡礼着に身をつつみ、鈴をならし、御詠歌を歌い、黒地に「怨」を染め抜いた旗を立てて株主総会に出席し社長と対峙する場面が第二部のクライマックスとなる。

第三部では、一任派でも訴訟派でもなく、新たに水俣病と認定された新認定患者が主役となる。裁判ではなく会社との自主交渉を求める新認定患者たちは、水俣の工場や東京駅近くのチッソ本社内に座り込む直接行動に出た。そのリーダーで、父親も自らも患者である川本輝夫は、水俣近在に潜んでいた患者を掘り起こし、説得して仲間をつくり、座り込みを提起してゆく。石牟礼はその行動に同行した。「自ら(地べたに座る)非人(かんじん)となり、故郷やこの国への疫病神となって」社長にカミソリの刃をつきつけて血書を迫る、石牟礼の描写する川本は、あたかも神話のなかの荒ぶる神のようだ。彼らの直接行動は、学生運動が高揚し挫折してゆく1970年前後という時代背景もあったにせよ、それ以上に、会社や国の「偉い人」の誠意を信じた一任派や裁判という形式に飽き足らなさを募らせた訴訟派の無念と怒りをも背負って、その底から噴き出した自然としてあったろう。

石牟礼は、地域から孤立した初期の患者たちに寄り添い、裁判でたたかうことを選んだグループに寄り添い、さらに直接行動を選んだ尖鋭なグループにも寄り添った。それは患者たちを支援する市民団体のなかで、いろいろな軋轢を生じさせたのではないかと想像する。また、患者を支援する団体のなかで政党や新左翼の政治的な動きもあったろう。

そうした政治的季節のなかで書かれたものは、その時代の価値観のなかでいっとき輝くにしても、時代が変われば往々にして古び、忘れさられてゆく。でも『苦海浄土』三部作が今にいたるまで新鮮な生命力を保ち、いよいよその輝きを増しているのは、石牟礼が時代の価値観に目もくれず、ひたすら患者を見つめ、彼らの声に無条件で耳を傾けつづけたからだろう。

第二部に印象的な場面がある。訴訟派と行動を共にしていた石牟礼が、余命いくばくもない一任派のリーダー、山本亦由を病院に見舞う。

「この人(山本亦由)の全身像を心の中心に据えながら、動き出した事態の中で、見かけ上は、路線のちがう方向へ、心ならずもついてゆかざるをえなかった。/『小父さん』/かろうじてわたしはそう言った。妻女に助けられて顔をあげ、その人は苦悶の表情のまま、かすかにうなずき、じっと私を見た。それがお別れだった。/一人の人間に原罪があるとすれば、運動などというものは、なんと抱ききれぬほどの劫罪を生んでゆくことか。人の心の珠玉のようなものをも、みすみす踏みくだかずにはいないという意味で、そのことに打たれ続けることなしに、事柄の進行の中に身を置くことなど、出来なかった」

チッソ本社内に座り込む自主交渉派といても、裁判でたたかう訴訟派といても、石牟礼の心には一任派のリーダーである山本亦由の存在がその「中心」にいた。それは、初期の水俣病患者が差別と偏見にもがき苦しんでいた時期に、山本がどんなふうに患者たちの面倒を見ていたかを石牟礼は傍らでつぶさに見ていたからだろう。ある女性患者は半狂乱で「小父さん、世論に殺されるばい」と山本宅に飛び込んできた。水俣病を発症した自分の娘だけでなく、ゆき女はじめ、目にあまる患者たちを親切に看病してまわった。一任派の患者たちは、地域共同体の地縁血縁に十重二十重に絡めとられて悩み苦しんだあげく国の斡旋案にハンを押した人々だった。そんな、地域共同体の底にいる人々とそのリーダーの姿が石牟礼のなかには常にある。

『苦海浄土』三部作は、そんなふうにフィクションでありルポルタージュであり、カタリであり歴史の原史料でもあるような多面体として存在している。そのスタイルと中身について常に自覚的だった石牟礼道子は、この作品の成立にかかわるふたつの印象的な言葉を記している。

「私の故郷にいまだに立ち迷っている死霊や生霊の言葉を階級の原語と心得ている私は、私のアニミズムとプレアニミズムを調合して、近代への呪術師とならねばならぬ」(第一部)

「私が描きたかったのは、海浜の民の生き方の純度と馥郁たる魂の香りである」(全集版あとがき)

「近代への呪術師」であろうとしたからこそ、『苦海浄土』三部作はこの国の近代が生みだしたものに根底的な疑問をつきつけることができた。都市や企業や法などといいうものと無縁に生きた「海浜の民」のカタリがあるからこそ、この作品は不変の生命をもつことができた。1世紀をこえる歴史をもつこの国の近代文学のなかで、こういう場所から生まれたものはたぶん他にないと思う。(山崎幸雄)

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2020年1月15日 (水)

「クモのイト」中田兼介

田兼介 著
ミシマ社(200p)2019.09.26
3,200円

「クモのイト」という言葉から「蜘蛛の糸」と考えるのが普通だと思うが、本書タイトルの「クモのイト」とは「糸」と「意図」という二つの意味を持たせている。「蜘蛛の意図」となると、なにやら論理を超えた物語の感じさえ帯びてくるのが「クモ」の「蜘蛛」たる所以かもしれない。

8本足の節足動物で網を張って捕食するといったインパクトの強い生物であり、家の守り神として考えられてきた文化もあって、その根底には身近な生き物という感覚があるのも事実だが、いかに身近であっても「クモ」が大好きという人にはめったに出会うことが無いという著者の指摘も納得できる。例えば、生後半年の赤ん坊でも、クモの絵を見せると瞳孔が開くストレス反応が起きるという研究が紹介されていて、そもそも人間とクモの相性の悪さは根源的なもののようだ。

著者がクモに興味を持って研究を始めた理由を「賢さ」と「複雑さ」と言っているが、それだけに、読み進んで行くとまさにクモの意図を解き明かす事例が数多く紹介されている。第一章のクモと人間の関係に始まり、クモの網に関する考察、繁殖・生存戦略、クモの個性、その未来について等が語られていてクモへの興味を呼び覚ますには十分な一冊である。

人間がクモを利用してきた歴史のうち、「糸」を利用してきた歴史が永いのは想像がつく。昔からニューギニアではクモに網を張らせて魚を獲っていたり、18世紀のフランスでは手袋や靴下をクモの糸で編んでいたとか、19世紀のロンドンでは「クモの糸で服をつくる」という挑戦がされたり、20世紀末にはクモの遺伝子を他の動物に移植して、大腸菌や酵母などを利用して人工のクモの糸の製品が研究されてきた。しかし、あまり成功したと言う話も聞いたことが無いというのが実感である。

一方、クモの糸そのものを利用するのではなく、クモが正確に網を張る能力があることを活用して、精神安定剤や覚醒剤などの薬物を与え、クモがつくる網の変化を調べて薬物の効能実証研究をしているという。また、1973年には三匹のクモが宇宙に飛び立ち、無重力状態でクモはどんな網を張るのかという研究がなされている。地球上ではクモは一見円形でも、詳細に見るとエサが沢山獲れるように下方の目を細かくすることで落下してくるエサを捕獲し易くしている。こうした地球上では非対称の網を作るクモも無重力空間では一日目は戸惑っていたが二日目からは円い対称形の網を張ったという結果だけを聞くと、そうだろうなと納得してしまうのだが、それよりも、早期の宇宙生物実験にクモが選ばれたのは、クモはハエを一匹食べるだけで、ほぼ一か月絶食状態で生き続けられるという点にもあったようだと知ると、一日に三食も食べる生活をする人間の不便さ・非効率さが痛感されるというものだ。

クモの究極の食の特性として共食いが特徴的と言われる。その効率性を求める生態には驚くばかりである。クモは、子作りのたびに交接するのではなく、メスにはオスの精子を受け取り、貯めておく袋を持ち、産卵の準備が整ったところでメスは保存した精子を使うという。従って、クモはオスとメスが一緒に暮らす必要もないので、オスはもたもたとメスの近くに居るとメスに食われてしまう。栄養バランス的には同じ種類のクモの身体は自分とよく似た成分で出来ているので食物としては大変効率的である。

また、クモの子供が世の中に出てきたときには母グモは死んでしまっているのが普通で、一人で生きて行かなければならないのだが、その子育ての究極の姿として「母親食い」だったり、「栄養卵」といって子を残すためでなく、子のエサにするための卵を産んでおくといった独特な戦略こそ確実性を確保する戦略なのだろう。

クモの最大の特徴の「糸」と「網」は重要な点だけに、本書では多くが語られている。糸を紡ぐことのできる昆虫はカイコはじめ沢山いるが、何種類もの糸を目的に応じて作ることのできる生物はクモが最強。クモは捕食のため網を作り、捕まえたエサを糸で巻き上げ、産卵した卵を包み、移動の命綱にする。バルーニングといわれる、糸を使って風に乗り遠くに飛んでいくという独特な移動能力を持っている。

網を構成するたて糸と横糸は各々異なった性質を持っている。たて糸は同じ太さなら鋼鉄と同じ強さだし弾力性もある。このためたて糸はエサの動きを止める役割を持ち、横糸は糸の周りにネバネバとした物質が一定の間隔で集まり粘球となっていて、エサを絡めとる役割を持っている。そんな違いが有るのかとつくづく感心してしまうのだが、網に関するもう一つの驚きは、クモは毎日網を張り直すという生態。もったいないように思うのだが、糸はタンパク質で出来ているので、回収して食べて消化することが出来る。従って、分解してできたアミノ酸は新しい糸をつくる原料となり、そのリサイクル効率は90%と言われている。こうした点を含め、クモを理解するためのキーワードとして「効率」という言葉が思い浮かぶとともに著者のいう「賢さ」なのだろう。

どんな生物にも個性があるという研究が進んでいて、クモの中にも攻撃的だったり、のんびり屋だったりという個性差がある様だ。特に、集団で生活するクモの種類では、個性・個体差が大きくなるという。自分の集団の中の役割を見出して、振る舞い方を違えて行き、その役割に集中するためであり、個体差・個性は分業に効果的であり、分業によって個性の違いが大きくなるということのようだ。こうした集団社会を支えるため常に周りの個体とコミュニケーションをとらなければならないという意味で、クモに限らず、すべての生物でそのために脳は進化し、特に人間の脳は究極に進化したとも言われている。我々の脳は他者とのコミュニケーションのために使われなければいけないのだと思い知らされるが、自分の知力の使い方はそうしたバランス感覚はあまりない。

生態系バランスの観点いえば、生きるための捕食について不穏な未来が紹介されている。それは、今世界中に48,000種類のクモがいて、哺乳類の6,000種と比較してもその多さは圧倒的で有る。加えて、そのクモたちが一年間に食べる虫や生き物の量は全人類の体重に匹敵するという。これは陸上の生態系では最も量が多いと聞くと、生物のバランスの微妙さに圧倒される。

考えてみれば、今までクモをメジャーな生き物として感じたことは無かったと思う。世界各地ではクモを主人公とする神話も多い。その意味では文化的には身近であるのは事実だが、クモ達の「意図」や「戦略」の中に、我々人間を理解するためのヒントが多く隠されているというのも本書からの収穫である。

読み終えて、中島みゆきの「糸」を思い出した。「縦の糸はあなた、横の糸は私」という歌詞を深読みしてしまう。「縦の糸はあなた」とは「男は力で働く縦糸」、「横の糸はわたし」とは「女はエサを絡めとる横糸」と聞こえてしまうのだ。ところで、君は奥さんに絡めとられましたか? (内池正名)

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2017年10月22日 (日)

「黒い瞳のブロンド」ベンジャミン・ブラック

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ベンジャミン・ブラック 著
早川ポケット・ミステリ(352p)2014.10.10
2,052円

書店で早川ポケット・ミステリの棚を見ていたら、「私立探偵フィリップ・マーロウ シリーズ最新作」という帯が目についた。といってもレイモンド・チャンドラーはとっくの昔に亡くなっているから、チャンドラーの新作ということはありえない。かつてロバート・パーカーが、チャンドラーの未完のマーロウもの『プードル・スプリングス物語』を書き継いだことがあるから、その類いだろうと見当をつけた。でも、ベンジャミン・ブラックという作家は知らないし、読んだこともない。

「あとがき」を見たらイギリスの作家、ジョン・バンヴィルの別名義だという。ジョン・バンヴィルという人の小説も読んだことがないけど、『海に帰る日』という作品でブッカー賞を得ているから(このときカズオ・イシグロ『わたしを離さないで』も候補になっていた)力のある小説家なんだろう。タイトルも魅力的。最近、ハードボイルドにはご無沙汰だったこともあって、ついレジへ持っていってしまった。

巻末の「著者ノート」によると、チャンドラーは自分の資料ファイルのなかに、将来書くことになるかもしれない小説のタイトルのリストを保存していた。「黒い瞳のブロンド(The Black-eyed Blonde)」は、そのひとつだったという。

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2016年9月19日 (月)

「黒い本」オルハン・パムク

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オルハン・パムク 著
藤原書店(592p)2016.04.10
3,888円

グーグル・アースでイスタンブールを見る。アジアとヨーロッパにまたがるこの都市のヨーロッパ側、ボスポラス海峡と金角湾の北側に新市街(といっても19世紀の新市街)が広がっている。ニシャンタシュという地名を検索してみる。新市街の中心地、ベイオウル地区やタクシム広場から2キロほど北へ行ったあたりにこの地名がある。広い通りから一本裏へ入ると、ゆるい丘になっているのか、迷路のように曲がりくねった道路の両側にびっしりと茶色い屋根の家が建てこんでいるのが見える。『黒い本』の主人公たちがかつて大家族で住んでいたこのあたりから繁華街のベイオウル、旧市街へ渡るガラタ橋があるカラキョイあたりの路地から路地が本書の舞台になる。

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2015年7月12日 (日)

「黒い迷宮」リチャード・ロイド・パリー

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リチャード・ロイド・パリー 著
早川書房(528p)2015.4.25
2300円+税

ルーシー・ブラックマン事件を記憶されているだろうか。2000年7月、東京・六本木のクラブでホステスとして働いていた元英国航空客室乗務員、ルーシー・ブラックマン(21)が失踪した。当時のブレア英国首相から森総理に直々の捜査依頼があり、大がかりな捜査態勢が敷かれたことで話題になった。

3カ月後、別件で実業家の織原城二が逮捕され、その4カ月後に彼が所有するマンション近くの三浦海岸洞窟でルーシーのバラバラ死体が発見される。起訴された織原は、同じような手口で別の女性を死に至らしめた準強姦致死罪やルーシーの死体遺棄罪などで無期懲役が確定した。

著者のリチャード・ロイド・パリーは英国「ザ・タイムズ」紙のアジア編集長で東京支局長。日本に20年滞在している手練れのジャーナリストだ。「ルーシー・ブラックマン事件 15年目の真実」というサブタイトルをもつ『黒い迷宮』は、この事件を追ったノンフィクション。犯罪の舞台となった六本木の、外国人と日本人が入り乱れる水商売の闇に入り込んで事件の真相に迫っている。

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2014年7月16日 (水)

「グリニッチ・ヴィレッジにフォークが響いていた頃」デイヴ・ヴァン・ロンク他

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デイヴ・ヴァン・ロンク、イライジャ・ウォルド著
早川書房(392p)2014.05.15
2,700円

高校時代の一時期、ピーター、ポール&マリーが好きだったことがある。『グリニッチ・ヴィレッジにフォークが響いていた頃』(原題:The Mayor of MacDougal Street)を読んでわかったのは、この本が描く1960年代ニューヨークのグリニッチ・ヴィレッジの空気に僕がはじめて触れたのはPP&Mの歌を通してだったことだ。

東京近郊に暮らす高校生がPP&Mに惹かれたのは、いま考えると理由が二つある。ひとつはマリー・トラヴァースの声と姿が魅力的だったこと。20代後半のマリーは、真っ直ぐなブロンドとぶ厚い唇が魅力的な「年上の女」の風情をたたえていたし、その声は低音がちょっとしゃがれ、それまで聞いていたアメリカン・ポップスの歌い手とはちがう大人の気配が感じられた。

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2008年11月 8日 (土)

「グランド・フィナーレ」 阿部和重

Ground 阿部和重著
講談社(204p)2005.02.01

1,470円

『グランド・フィナーレ』を、予感の小説と呼ぶことができるかもしれない。事件は、過去に起こってしまった。事 件は、未来に起こるかもしれない。過去の事件の結果としてある鬱々と重苦しい日常と、未来に起こるかもしれない事件のかすかな予兆とが重なり合うところ に、この小説の現在がある。「わたし」は37歳。職を失い、離婚して、ひとりで故郷へ戻ってきた。古い木造の一軒家に住み、仕事もなく、実家で食事をさせてもらい、昼日中から町なか を目的もなく歩いている。妻に引き取られた一人娘「ちーちゃん」の思い出の品、「ジンジャーマンのぬいぐるみ」を抱っこしながら。

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2008年11月 5日 (水)

「グロテスク」 桐野夏生

Guro 桐野夏生著
文藝春秋(540p)2003.06.30

2,000円

ジャズのライブを聴いていて、ドライブに次ぐドライブのはてに、いまこの瞬間に音が異次元へイッた、と感ずるカタルシスがやってくることがある。最近では、ハービー・ハンコック、クリスチャン・マクブライド、ジャック・デジョネットというすごいトリオでそれを体験した。ジャズばかりではない。どんな音楽にも、また詩や小説にも、脳内にアドレナリンが放出されているに違いないそんな瞬間はある。

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「クルディスタンを訪ねて」 松浦範子

Kurudo 松浦範子著
新泉社(312p)2003.03.15

2,415円

この1年のあいだに、立てつづけに2本のクルド映画を見た。1本はイランのクルド人がつくった「酔っぱらった馬の時間」。イラク国境に近い山村で密輸で食べている家族の苦難を、少年の目からセンチメンタルにも告発調にもならずに静かに見つめた、まぎれもない傑作だった。もう1本はトルコ映画で「遙かなるクルディスタン」。こちらは、クルド人と間違われて差別されるトルコ人カップルとクルド人のあいだの友情と悲劇を描いた、トルコ人の手になる社会派的な映画だった。

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