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下戸の夜/「元号」と戦後日本/化粧の日本史/検証 バブル失政/ケネディ暗殺・ウォーレン委員会50年目の証言 上下/検証 東電テレビ会議/原発のウソ/隠される原子力 核の真実/芸能の秘蹟/原始の神社をもとめて/月蝕書簡:寺山修司未発表歌集/検証 戦争責任/原寸美術館/建築は ほほえむ/競馬歴史新聞/経度への挑戦

2019年12月16日 (月)

「下戸の夜」本の雑誌編集部下戸班編


本の雑誌編集部下戸班 編
本の雑誌社(192p)2019.06.25
1,760円

文学者、評論家、芸能人、サラリーマンなどが描いた「下戸」と「酒」についての文章を集め、「酒を飲まない我等は毎夜、何をして、何を想うのか」をテーマにして「酒はなくても人生は進む」と啖呵を切りつつ、酒の無い夜を過ごす下戸の生態を炙り出すという、かなりマニアックな企画本である。

かく言う私も下戸であり、家系的にも酒が強い人は少ないし、乾杯の一口はお付き合いするが、そのあとは酒は飲まない状態である。団塊の世代のサラリーマンとしては酒を強要するお客様も居なかったし、会社も外資系で仕事優先のストイックな社風だったのも幸いし、さしたるハンデキャップを感じたこともあまりない。

振り返れば、酒を飲んで感情開放度が上がり暴言や乱暴な所作が有ったとしても「酒が入っていたので」という言い逃れを批判がましく思っていたこともあるが、逆に心底自分を解放することが出来ない下戸の自分を残念に思うことはあった。どちらにしても些細なことと言えば些細なことである。そうした心理面を除き、金銭的には会合は全て「割り勘負け」であることは致し方ないとはいえ、生涯損失の累計はかなりの額になるのではないか。そんな、下戸である私が本書を読んで見たくなるのもまさに「下戸の夜」の過ごし方の典型かもしれない。

本書では、まず、下戸であることのメリットが挙げられている。

夏目房之助は祖父の夏目漱石同様に下戸だとのこと。得したこととして、素面だとカラオケを歌っても音程が気になって仕方がないが、ちょっと酒を舐めただけで楽しくカラオケが歌えるというもの。適当に感覚を鈍くさせるという事の様だ。同時に彼は飲まなくても酒の席に参加することは楽しいという感覚の重要性を語っているのだが、織田作之助の場合も同様で、「作之助は酒のみではありませんでしたが、そのかわり酒を飲まなくても、つねに酔っているようなところがありました。生活感情が通常の人間とはひと調子もふた調子も違っていた」と紹介している。

私も酒を勧められて断るときに「結構です。普段から酔った状態なので」と開き直って対応しているので、織田の感覚は良くわかる。まあ、そうした多少開き直り的メリットとは別に、ポジティブな「後天的下戸」の意見として「スパッと酒を止めて6年。良かったことは『夜の時間』が格段に長くなったこと。・・寝る前にちょっとした何かをやる精神的時間的な余裕が生じた。夜の時間が倍になったくらいのカルチャーショックだった。・・・そして、好きな本を読む、録画してあったTVを見る」という言葉が真っ当な下戸のメリットなのかと思う。

次は、下戸ならではの特に「夜の時間の潰し方」に関する話題である。

「珈琲と、本と、そして無駄話を愉しむ喫茶店」として、神保町古書街にある眞踏珈琲店が紹介されている。ここは深夜までの営業にも関わらず、アルコール抜きの面々が静かに本を読み、語り合うという空間とのこと。これはこれで腑に落ちる時間の使い方だ。

加えて、パフェに関する、作り方、素材、名前の付け方等をかなりマニアックに熱く語られている。私はあまり食べたことが無いので、こうした領域を真剣に追求している人が居るという事に驚くばかりである。その他、表参道の「裏道」を夜の雑踏の中をさ迷い歩くという楽しみ方を提唱している人や、夜の神社仏閣を訪れて、そこに出没する猫の写真を撮る人など、読み進んで行くと「下戸」とは関係なくディープな趣味の世界が展開されていく。

次のテーマは「下戸の主張」として、日々の鬱積した思いが語られている。その原因の多くが、酒飲みから上から目線でものを言われることへの反論だ。

その典型として、「『お酒を飲まない人』のことを世の中は『お酒を飲めない人』と規定する。『コーラを飲まない人』を『コーラが飲めない人』とは言わない。この一点だけでも、お酒ってだいぶ偉そうである」とか、「最初から炭水化物を頼むと『なんでそんなもの頼んでいるんだ』といった雰囲気になる。それが出来れば割り勘負けしない。そして、支払いの計算などは下戸が面倒を見ているのだが、酒飲みはそれさえも覚えていない」と言った声である。

確かに下戸は飲み会の席で仲間の面倒を見ていたり、我慢していることがあるのは否めない事実である。それでも、酒の効用として、下戸の人で酒を飲めたらという思いになった娘さんの話しが紹介されている。父親とちょっとした仲違いをした娘さんは「何年もろくに会話をしていない父とどうやって話をするか。今更、父と仲良くできないという不必要な恥を捨てるにはお酒の力を少しだけ借りたい」というのも切実な声だ。

最後は「下戸とカルチャー」と題して、文学・文壇の下戸話や、映画における酔っぱらいについて考察している。作家の名前を挙げられてみると、意外に下戸が多い事に気付かされる。たとえば尾崎紅葉、夏目漱石、菊池寛、武者小路実篤、江戸川乱歩、広津和郎といった面々である。「下戸が支える文学賞」という話には驚かされた。それは、下戸の菊池寛が率いる文芸春秋社で、直木三十五、芥川龍之介という二人の作家の名前を冠した文学賞がつくられた。その直木も芥川も下戸であったことと、初期の両賞の選考委員の人達、小島政二郎、佐藤春夫、瀧井孝作、川端康成、宇野浩二、片岡鉄平などは皆下戸だった。それが、必然であったと言う理由は、選考委員は沢山の作品を読まなければならず比較的時間のありそうな人が選抜されたからという。まさに「下戸の夜」に小説を読みふけることが出来るからこそ選考委員に選ばれたと言うのだ。それも良い様な、悪いような。

加えて、下戸が主役のブックガイドやらジンジャーエール研究、アルコール血中濃度の段階による酔っぱらい観察ガイドなども載せられている。本書全体としては、まあ下戸としての溜飲を下げる効果もあれば、無理やりそこまで言わなくても良いのではないかと言う複雑な気分が残る。

下戸の漱石は本書でも色々な形で語られているが、「吾輩は猫である」の最後が紹介されている。「吾輩」は迷亭などが飲んでいた宴席に残っていた酒を舐めて踊りだしたくなる。そして、気が付くと水瓶に落ちてもがいても沈むばかり。そして、考える。

「もうよそう。勝手にすればいい。…次第に楽になってくる。…不可思議の太平に入る」

こうした「太平」を人に与えうる酒の力はすごいと思う。下戸の自分がそこに至らない悔しさは有る。そんなことを考えながら、近所のコーヒー豆屋で挽いてもらったマンデリンをドリップでゆっくりと淹れている。こうしてコーヒーを飲みながらの読書で夜は更けて行く。この「太平」もかなりのものだと思っているのだが。(内池正名)

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2017年12月17日 (日)

「『元号』と戦後日本」 鈴木洋二

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鈴木洋二 著
青土社(302p)2017.08.22
2,052円

今上天皇の退位に関する皇室会議の報道を聴きながら、この原稿を書いている。平成という時代はどんな時代であったのかを語る場が多くなるはずだ。同時に来年、2018年が明治維新から150年であることを声高に語る人達もいる。歴史を「元号」で語る意味は多くの側面を持っている、その一つの切り口を本書は提示している。著者の鈴木洋二は昭和55年生まれ、歴史社会学を専門とする社会情報学博士。東京大学のHPを見てみると、「メディアやコミュニケーションに関わる社会現象・文化現象、そして情報社会における諸問題を「社会情報」という視点から学際的に分析する新しい学問」とある。

普段の生活で目にふれる「元号」は年号としての役割だけでなく企業名や大学名など「元号」と結びつく表象は極めて多いことに気付く。本書ではその「元号」を時代区分のインデックスという意味に限定して定義した上で、「戦後」との対応関係で「元号」がどのように機能しているのかを本書で掘り下げている。

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2016年7月19日 (火)

「化粧の日本史」山村博美

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山村博美 著
吉川弘文館(221p)2016.05.20
1,836円

電車に乗れば、混雑した車内で一心不乱に化粧をしている若い女性がいる。化粧が身だしなみであり、周りの人達に対しての気配りだとしたら、その工程を周囲の人達に見せてしまうというのは自己矛盾だろう。そんな、昨今の状況にいささか戸惑い、辟易としている中での化粧に関する読書に挑戦してみた。

本書はタイトル通り、古墳時代から現代にいたる日本において、化粧がどんな意味を持ち、時代と共にどんな変化をしてきたのかをまとめたもの。化粧とは夜眠る時には落としてしまうという一過性の行為の繰り返しということもあって、時を超えて物的資料が残っていることは少ないという。

従って、化粧に関する資料としては、文学、絵画、芸能、風俗といった各分野での断片的情報を集め、組み合わせることで化粧の歴史の全貌を描き出す必要がある。そうした、地道な作業の積み上げを必要としていることから、学問として注目度は低かった様で、その意味からも本書は「化粧の通史」として挑戦的な一冊といえそうだ。

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2015年11月19日 (木)

「検証 バブル失政」軽部謙介

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軽部謙介 著
岩波書店(432p)2015.09.26
3,024円

本書は1986年から1991年の所謂バブル期における、日本銀行・大蔵省・政府・そして海外を視野に公文書、未公開資料(オーラルヒストリー、手記)、直接のインタビュー等を通して「なぜバブル経済が生じ、崩れたのか」「誰が何を行い、または行わなかったのか」を時系列的かつ詳細にまとめたものだ。

著者の軽部謙介は1980年代後半に時事通信の大蔵省担当の記者だった経歴である。その意味ではその期間の現場に立ち会っていたという人間である。団塊の世代にとっては、バブル経済の発生から崩壊に至る時代はそれぞれの個人史を持っているはずだ。しかし、著者も「『これはバブルだ』と確信して毎日を過ごしていたわけでなく、狂乱や金満を正当化するさまざまな理屈を疑う事なく受け入れ、経済の底流で何が起こっているのかなどは視野の外だった」と書いているように、評者にとっても、金融機関の巨大システム開発プロジェクトのメーカー側の責任者として日夜翻弄されていた時期であり、投資目的の「株」や「土地」を持っていたわけでもないのでバブル経済の高揚感を実感することもなく、差し迫った危機感は希薄だったと記憶している。どちらかと言えば、バブル崩壊後の苦労のほうが生々しく記憶に残っているのだ。

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2014年1月15日 (水)

「ケネディ暗殺・ウォーレン委員会50年目の証言 上下」フィリップ・シノン

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フィリップ・シノン 著、村上和夫 訳
文藝春秋(428p、412p)2013.11.11
1,680円(上・下共)

著者フィリップ・シノンは元ニューヨーク・タイムズ記者。50年経った現在でも米国民の内50%近い人達が真相は明確でないと考えているジョン・フッツジェラルト・ケネディ(JFK)大統領暗殺事件。事件後、1964年に提出された大統領諮問委員会による「ウォーレン報告書」に対して問題提起する形で本書は作られている。上・下巻で840ページに及ぶ大著である。沢山のカタカナの人名が出てくる。サスペンス小説を読むようなつもりで本書を手にすると途中で投げ出したくなってしまいそうだ。

50年前といえば、16歳だった評者にとってJFK暗殺事件は非常にショッキングな出来事だった。遊説に訪れたテキサス州ダラスでオープン・カーに乗った大統領が白昼にライフルによって狙撃された。鳴り物入りで宣伝されていたTVの日米間衛星実験放送を11月23日(土)の朝9時から見てみると映し出された映像はまさにJFK暗殺のニュースだった。そして、事件二日後には犯人として逮捕されていたリー・オズワルドがダラス警察本部の地下一階でTVカメラに囲まれて生中継されている最中にダラスのストリップ小屋主人のジャック・ルビーによって至近距離から拳銃で射殺された。この二つの殺害映像によって事件の印象はより強烈に記憶されることになった。誰もがTVを通して世界で起こった生の映像に接することが出来るという時代の幕開けを象徴するような事件であった。

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2013年1月 9日 (水)

「検証 東電テレビ会議」朝日新聞社

Asahi_kensyou朝日新聞社 著
朝日新聞出版(336p)2012.12.07
1,470円

読みたくもあり、読みたくもなし、という相反する気持ちで本書を手にした。読みたいという気持ちは事実を知りたいということに尽きるのだが、読みたくないという気持ちは、テレビ会議に記録されている状況のドタバタ度合いがあまりにひどいようであれば福島を故郷とする人間には読み進むことの辛さがあるからだ。

この東電テレビ会議の映像・音声の記録の存在は広く知られていたが、開示に到るまで東電は常に消極的な姿勢をとってきた。「社員のプライバシーに係わる」という論理で説明されてはいたものの、それをはるかに上回る開示のメリットを誰もが直感的に考えていたと思う。日本だけでなく世界レベルで、チェルノブイリ以来のレベル7の原子力発電所の事故の原因や対応を検証し、再発防止策策定という一連のプロセスを確立するための貴重な記録であるということはゆるぎない。

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2011年7月14日 (木)

「原発のウソ」「隠される原子力 核の真実」小出裕章

Genpatu2小出裕章 著
「原発のウソ」
扶桑社新書(184p)2011.06.01
777円
「隠される原子力 核の真実」
創史社(160p)2010.12.12
1,470円

喩えは悪いけれど、福島第一原発の事故は「戦争」だと考えてみる。nuclearは日本語では「戦争」なら核兵器、「平和利用」なら原子力と訳すけれど、戦争であれ平和利用であれ、ウランの核分裂反応で激しいエネルギーを発生させる「核」の本質に変わりはない。そのエネルギーを爆弾として利用したのが原爆で、お湯を沸かす(それが原発でやっていることなんだね)エネルギーの制御に失敗して放射性物質を撒き散らし、核兵器と同じ(長期にわたってという意味では、より深刻な)被害をもたらしているのが福島の事態なのだから。

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2010年6月17日 (木)

「芸能の秘蹟」平岡正明

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平岡正明 著
七つ森書館(248p)2010.05.10
2,100円

去年7月に脳梗塞で亡くなったこの本の著者、平岡正明に3度会ったことがある。最初の機会は小生が週刊A誌の書評欄を担当していた1978年のこと。コラムふうな著者インタビュー記事を書くために、『歌の情勢はすばらしい』(冬樹社)を出したばかりの平岡に会いに行った。当時、A誌書評欄の担当は小生ひとりで、どの本を書評に取り上げるかは外部の作家や評論家と相談するシステムになっていたが、著者インタビューについては自分の好きな本、好きな著者を選ぶことができた。だから、自分が読みたい本、会ってみたい著者の本をずいぶん取り上げた。平岡正明もそのひとり。当時、平岡正明のジャズ論に惚れこんでいた。初めて会った平岡正明は短髪、童顔ながら眼光鋭く、握りこぶしを脇に引いて「オス!」と空手の挨拶をされたのが印象に残っている(平岡は極心空手をやっていた)。『歌の情勢はすばらしい』は、山口百恵、矢野顕子、李成愛ら新しい歌謡曲の動きと第三世界革命論をつきまぜたエッセー集。日韓の歌について、第三世界の音楽について、平岡は陽気で明るく、よくしゃべった。

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2010年2月15日 (月)

「原始の神社をもとめて」岡谷公二

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岡谷公二 著
平凡社新書(286p)2009.09.15
924円

3年前、韓国の済州島にはじめて行った。大学で歴史を教えている在日朝鮮人の知人──年上の大先輩なのだが──に誘われて、その人の故郷である済州島を案内していただいたのだ。その人は、近年開発されたリゾートには見向きもせず、民俗村や町の市場、旧日本軍の特攻艇「回天」が基地にした洞窟などを案内してくれたが、島の東岸にある海女の村へ向かう途中、「このあたりに本郷堂(ポンヒャンダン)があるから、そこを見ましょう」と言って車を降りた。畑に沿った狭い農道を歩いていくと、何の目印もなく、ただ木々が黒く盛り上がっている一角がある。そこが新村里という村の堂(タン)だった。小さな広場のようなそこには何の建物もなく、中心には樹齢400年という榎の大樹が黒々と枝を広げていた。

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2008年11月12日 (水)

「月蝕書簡:寺山修司未発表歌集」 寺山修司

Gessyoku 寺山修司著
岩波書店(226p)2008.03

1,890円

さながら亡霊のように現れてきた未発表歌集である。寺山が20歳台後半に出した「田園に死す」を最後にして歌集 の発表は無かったと思う。その後、作歌を再開した1976年から1981年にかけて作られた短歌を採録したもの。劇団「天井桟敷」で寺山とタグを組んだ田 中未知が編集している。寺山が死んで何年経っただろうか。1960年代後半から1970年代半ば迄のほぼ10年間以降、寺山修司の存在は私の中からは長く抜け落ちていた。 2004年に「'70 寺山修司」が世界書院から出版されたとき、久しぶりに寺山の文章に接し、懐かしさを感じながら目を通したものだ。拙宅の本棚には 「青春歌集」や「書を捨てよ、町に出よう」などが並んでいるのだが、その後もまたその本を手にすることはなかった。

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