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2022年5月17日 (火)

「古代中国の24時間」柿沼陽平

柿沼陽平 著
中公新書(328p)2021.11.25
1,056円

大きめの書店に入っていちばんの楽しみは、なんといっても新刊書の棚を隅から隅まで眺めることだろう。この歳になると好みの著者やジャンルは固まっているから、買う本はたいていその範囲に収まってしまう。新刊書棚を見る楽しみは、そんな自分の好みを超えて新しい読書体験をもたらしてくれる本に遭遇すること。この本もそのようにして昨年末に出会った。でもそのときは『ケルト人の夢』(本サイト2月に紹介)、『人びとのなかの冷戦世界』(同4月)と大著2冊を読む予定があったので迷った末に買わなかった。先日、行きつけの書店に行ったら、やっぱりこの本がオーラを発して「面白いよ」と呼びかけてきた。発売3カ月で4刷になっているから、順調に売れてるようだ。

サブタイトルに「秦漢時代の衣食住から性愛まで」とある。秦や漢の時代の皇帝、官吏、都市民や農民がどんな日常を送っていたのかを、朝起きてから寝るまで時間を追って膨大な文献やモノの遺品・遺物など史料を使って再現している。著者の柿沼は1980年生まれで中国古代史・貨幣史の専門家。

彼はこの本のスタイルについて、「ハゲ・トイレ・痰・口臭、起床時間、自慰等々……卑俗でリアルな生活風景」を自らが古代世界にワープしたロールプレイングゲームのように描いた、と書いている。ではそれがどんなものか、覗いてみようか。

もちろんハゲはいつの時代、どの地域にもある。でも秦漢時代(前3~3世紀)の官吏にとってこれは大問題だった。というのは官吏はその身分にあった冠をかぶり、髷(まげ)を結ってそこへ冠を留めていたからだ。髷を結えなければ君主におじぎするとき、冠がぽろっと落ちる危険がある。だから官吏は髪を長くしておかなければならない。寄る年波に勝てずハゲた官吏はカツラ(髦・てい)をつけて冠をかぶる。でも漢時代の壁画にはカツラなしで頑張るハゲた官吏たちの絵も描かれている。

漢代のトイレにはいくつかのタイプがあり、しゃがむタイプ(和式)が多いが座るタイプ(洋式)もある。漆塗りの便座(洋式)が出土しているのは、身分の高い者が使ったんだろうか。高級なトイレのそばには、排便後に下半身を洗い、衣服を替えるための部屋もあった。だからトイレは更衣と呼ばれた。基本は男女の区別なし。「高級か否かを問わず、かなり臭かった。そのため高級トイレなどには、鼻につめるための乾棗(なつめ)が置いてあったり、南方産の香粉や香水が置いてあったりする」。ふつうトイレは2階にあり、その下の1階には豚小屋が設置されていることが多い。排泄物は豚に食べてもらい、その豚をまた人間が食べる。

痰といっても、皇帝の痰の話。皇帝が痰を吐くとみるや傍に控えた侍中(じちゅう)がすばやく唾壺(だこ)を差し出す。侍中とは虎子(しびん)や清器(おまる)を管理する係。皇帝が尿意や便意をもよおしたら対処する役目なのだが、つねに皇帝の傍にいる必要があるからか高名な学者であることが多かった。だから侍中はほかの官吏から羨望のまなざしで見られていたという。

この時代の人びとはろくに歯も磨かなかったから、口臭は切実な問題だった(虫歯は秦漢人が口臭以上に恐れた問題だが、それは置いて)。口臭がひどければ恋愛にも結婚にも仕事にも支障が出る。皇帝の側近ともなれば、皇帝に不快な思いをさせないよう杜若(とじゃく)や鶏舌香(けいぜつこう)といったブレスケアを服用するほうがよい。特に鶏舌香は曹操が軍師の諸葛亮孔明に贈ったことのある珍品だ。女性もブレスケアを用い、「気(吐息)は蘭の若(ごと)し」と評された美女もいたとか。

秦漢の時代、日の出前後の時間を「平旦」と呼んだ。この時刻、洛陽など都市はまだ寝静まっているが、5日に1度くらい開かれる聴朝(ちょうしょう・政治)の開始時刻でもある。すでに宮城の前には官吏が集まり開門を待っている。実際、前漢の武帝は平旦に詔を発し、官吏はそれを踏まえて「食時」(しょくじ・午前9時頃)に答申している。食時はその字のとおり、朝食を取る、あるいは朝食を終える時刻。もっとも農民はもっと早く食事をしたろう。

主食は黄河流域でいえばアワが多く、上等なものとしてキビがあり、オオムギも食べられていた。ある人は、キビが一番、イネが二番で、ムギやマメはいまいちと評している。たいてい煮てから蒸し、粒のまま食べた。庶民はこれに加えてネギやニラを食べる程度。上流階級になると牛、羊などの肉、ニワトリ、キジなどの鳥類、コイ、フナなどの魚類を食べた。特に子牛や子羊の柔らかい肉や、春には繁殖期のガチョウ、秋には若鶏など季節ごとに豪華な食材が好まれた。ちなみに食事は庶民層なら朝夕2食が多い。

さて、最後になったが自慰とか性愛については、古今東西やることはあまり変わらないから、この時代ならではということは少ない。とはいえセックスを通じて不老長寿を図る房中術なるものがあり、『十問』『合陰陽』などの書物が出土しているが、著者は詳しく説明していない。そのかわり、キスしたり抱き合ったりしている陶俑や、レズビアン用と思われる張型の出土品が紹介されている。概してこの時代の性愛はおおらかで、同性愛もそれほど差別されていたわけでなく、「少なくとも上層階級の性愛のかたちは多様であった」。

とまあ本書のごく一部を抜粋してみたけれど、ほかにも住居と都市の構造とか、居酒屋や宴会の作法とか、ファッションと流行とか、ナンパの仕方とか、興味深い記述がたくさんある。そんな古代中国の日常生活空間に旅行者のように入り込んであっちを見たりこっちを見たり、短い滞在時間ではあったが好奇心を満足させて楽しみ、遊んだ。その印象を大雑把に言えば、少なくとも都市住民に関するかぎり高度成長以前のわれわれとそんなに変わらないなあ、というものだった。日本で言えば縄文から弥生の時代である。

この本は専門書でなく一般向けの新書だけど、だからといって見てきたような嘘やあいまいな記述があるわけではない。巻末には20ページ890カ所に及ぶ注がつけられ、あらゆる記述の出典が明らかにされている。そこに著者の姿勢が見える。学者の余技でなく、目指すのはフェルナン・ブローデルに連なる本格的な「日常史」。

プロローグには、こんなことも書かれている。そもそも中国古代史の史料はそんなに多くない。せいぜい1500万字程度(!)。「まともな研究者なら10年間もかければ読み通せる量である」。もちろん柿沼は1500万字に10年かけて目を通し、そこから日常生活についての記述に付箋をつけていった。その集積に加えて、木簡・竹簡、遺跡・遺構からの出土品、石やレンガのレリーフ、明器(副葬品)などの史料も加えて、「最近、ようやく古代中国の24時間の生活風景が大まかにわかってきた」結果、この本が生まれた。

先月このサイトで紹介した益田肇(『人びとのなかの冷戦世界』)もそうだけど、新しいタイプの研究者が続々と生まれてるんだなあと頼もしい。彼らが次にどんな本を書いてくるのか、楽しみだ。(山崎幸雄)

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2021年11月17日 (水)

「国語辞典を食べ歩く」サンキュータツオ

サンキュータツオ 著
女子栄養大学出版部(336p)2021.07.07
1,870円

著者は「米粒写経」という漫才コンビを組んでいる芸人であると同時に、一橋大学や早稲田大学で非常勤講師をしている「文体論」や「表現論」を専門領域とする文学者でもある。芸人が学者でも、学者が芸人でも構わないのだが、どんな人なのかスッとイメージできない人物であるのは事実。

本書は「食」に関する言葉について、出版各社から発行されているハンディーな国語辞典の中でどう表現されているか、そしてどんな違いがあるのかを明らかにして各辞典の持っている個性を語り尽くしている。

そもそも、何種類もの国語辞典を自宅に持っている人はそう居ないし、各事典の語釈の違いをわざわざ比較したことのある人も少ないと思う。団塊の世代の私は、学生時代は岩波の国語辞典を持っているだけで、必要が有れば父親の広辞苑を借りていた。今は、たまたま縁が有り岩波国語辞典の第二版(1971)と第七版新版(2011)の二冊を現在書架に収めているものの、この二冊の辞典で言葉を調べることはまずない。

本書で比較対象としているのは、三省堂の三省堂国語辞典(初版1960~最新7版)、岩波書店の岩波国語辞典(初版1963~最新8版)、三省堂の新明解国語辞典(初版1972~最新8版)、大修館書店の明鏡国語辞典(初版2002~最新3版)の4つの辞典。辞書好きの著者が「食」をキーワードにして各々の個性を次の様に紹介している。 

三省堂国語辞典(以下三国)は「生活に密着した新語・俗語などにも積極的。簡潔に『要するに何なのか』を伝える」。岩波国語辞典(以下岩国)は「主観的な記述を控えた語釈が売り。ジャンクフードや流行ものには慎重で歴史好き」。新明解国語辞典(以下新解)は「ワイルドで親切な個性派。ビビッドな表現が魅力」。大修館明鏡国語辞典(以下明鏡)は「雑学にも強いスマートな食通。食べ物の種類や製法については抜群に詳しい」。

こうした編者の想いが記載表現の違いとして継続されていくとともに、最新版だけでなく同じ事典の版毎の語釈・表現の変化も、時代の変化を反映させていくという意味で比較しているのも面白い。

各章はジャンル別に分れていて、「人気メニュー」、「和食」、「おやつ・ケーキ」、「調理器具」、「麺類」、「食材」、「食べる言葉」などその範囲は広い。

冒頭にとりあげられているのは「ハンバーグ」である。注目すべきは形の表現だ。三国は「小判型」、新解は「平たく丸い形」、明鏡は「楕円形」としている。こう示されてみると多様な表現が使われているのが良く判る。著者は「小判型」という言葉がハンバーグを見事に表現していると高評価だが、「小判」という言葉が現代では日常語でなくなりつつあるのではないかと思うと、この形容で良いのかといささか心配になる。一方、岩国はハンバーグの形には触れず、他の辞典では「焼く」と記載している調理法について、唯一「フライバンで焼いた」という条件を付けていて、より明確な表現と高評価。

「ナポリタン」については、三国の第六版(2007)と第七版(2014)でその表現に大きな変化があったことを指摘している。六版では「ナポリふう。トマトを使うのが特色。」。それが七版では「ゆでたスパゲッティーにトマトケチャップ・ハム・ピーマン・玉ねぎなどを入れ、やきそばのようにいためて・・・・日本生れの洋食。ナポ(俗)」と変化している。第六版での「言葉の意味を定義する」と言う姿勢よりも、七版では「ナポリタン」を食べて、その特徴を記述するという、三国の足で稼ぐ語釈の特徴が発揮されたとしている。この変わり身の早さは驚くばかりだか、「ナポリふう」という言葉に対する曖昧さが有ったのかもしれないとの指摘には納得。

世の中の食べ物にもトレンドが有ることから、どのレベルで辞典の新版に取り込むかの姿勢には違いが明確になっているのも面白い。著者が独断で選んだ料理12品(カルパッチョ、トムヤムクン、ガレット等)が各辞典でどう取り上げられているのかを調べている。12品全品を掲載しているのが三国で「よく街に出て、いろいろ食べている」という評価、一番少ない3品しか掲載されていないのは岩国で「ほとんど外出せず、多分和食しか食べていない」と厳しい評価がされている。

献立という言葉も特徴が良く出ている。グルメな明鏡は献立を「食卓に出す料理の種類・組み合わせ・順序などの計画・またはそれを書き出したもの」と記している。一方、歴史好きな岩国は「献とは『人に酒を勧めること』、一献を添えて出す膳の数を言い、一献ごとに料理があらたまった、・・コース料理の順番を総じて『献立』という」としている。各々の辞書を個別に読んでいるだけであれば、成程と思って終わってしまうところだが、こうして比較することで、重点の置き方や分析方法の違いなども面白さとなって沸き上がってくるのも不思議である。

ちなみに、三国は1960年に初版が発行、4つの辞典の中では一番古く「初代の編者の一人である見坊豪紀は、従来の辞書作りに疑問を感じ実際に自分で街に出て人々の生活の中で交わされる会話の言葉を集め記述した。生涯で145万もの用例カードを残した。この現場主義は今も生きている」と紹介している。

また新解は1972年が初版。その主幹の山田忠雄は「先行数冊を机上に広げて、適宜に取捨選択して一書を成すはパッチワークの最たるもの。・・・辞書を引くからには意味だけではなくニュアンスもくみ取るべき」という姿勢である。

岩国の初版(1963)の序文も私は調べてみたが、全ての辞典の初版において、先行辞書が持っていた弱点や問題を指摘したうえで、新たな発想で辞書を作ると言う意気込みが強く語られている。これらが各辞典の特徴となり、版を重ねて歴史を積み上げながらも特徴を崩すことなく変化して来た事が良く判る。

現在、小型の国語辞典で売上の第一位は新解の様だが、赤瀬川源平が1996年に出した「新解さんの謎」の大ヒットが影響していることは間違いない。この本のおかげで「新明解=変な語釈」という指摘の中、食に関する「かも、肉はうまい」といった主観的表現も注目されて、「美味=新明解」というイメージが定着したと著者は考えている。そして、「岩国は主観的な記述を控えた語釈が売りだが、最新版では、この鴨について異例の『肉は美味』という主観的記述をしている。この4文字に新明解の山田への敬意とも思われる行間がある」と記している。岩国ファンの私としては、少し気になったので手許にある第二版(1971)で「鴨」を引いてみると既に「肉は美味」と書かれている。新明解の初版は1972年だから「新明解の山田への敬意」という言い方は違うんじゃないかと思ったりしながら、国語辞典をこんな風に使ったのは初めてで、新たな辞書の使い方を楽しんでみた。

まだまだ、「食べる動詞」の「すする」と「たぐる」の説明表現の違いや、三国の初版から最新版までの「ラーメン」の記述の変化など、すべてのページが楽しい読書であった。

それにしても、薄い紙に細かい字で滲みなく印刷し、膨大な頁を製本するという工芸品の様な辞典がずっと残ってほしいと思うのも単なるノスタルジーなのかもしれない。ちょっと確認したいことが有ると、スマホで検索している自分がいるのも現実なのだから。内池正名)

 







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2021年6月18日 (金)

「こころの散歩」五木寛之


五木寛之 著
新潮社(235p)2021.03.26
1,705円

近所の本屋で新刊の棚を見ていたら、五木寛之の名前が眼に入った。考えてみると何十年も彼の文章に触れていない気がする。大学進学の前後に「さらばモスクワ愚連隊」や「青年は荒野をめざす」を読んでいたことを思い出しながら「こころの散歩」と題された本書を手に取った。「週刊新潮」に掲載されているコラム「生き抜くヒント!」をまとめた一冊。五木は昭和7年生まれで米寿になるのだが、この「週刊新潮」だけでなく「日刊ゲンダイ」でも半世紀近くコラムを書き続けていると聞くとそのエネルギーに驚くばかりである。彼はこれらの文章をエッセイではなく「雑文」と称しながらも、こうした「雑文」を書くのが好きだと言っている。しかし、好きなだけで書き続けることは出来ないわけで、体力・気力ともに満たされた老境だろうと想像される。

30才台から夜中に原稿を書き、明け方に風呂に入って寝るという生活スタイルを続けてきたという五木も、コロナ禍の最近は、夜の11時ぐらいになると欠伸が出るようになり仮眠のつもりで横になったところ、そのまま朝まで寝てしまったことがあったという。それ以後は明るい陽射しの差し込む机の上で原稿を書くという生活スタイルに変化したと言っている。作家は本来自由業であることを考えると、日々拘束されている通常のサラリーマンの退職後の生活パターンの変化とは異なり、自らの心身の状況で生活パターンが決まるという意味では、年とともに変化し続けるのだろう。こうした、現在の自身の生き方や考え方を書き綴りながら、多様な思い出を語り、昭和と令和を行ったり来たりする本書は、私のような団塊の世代には実感とともにその時代観を感じられて面白いのだが、特に若い世代の読者にどんな刺激を与えられるかは興味のあるところ。

私たちが使い慣れていた言葉でも、今となっては死語になってしまった言葉は多い。男女二人連れが居たので「アベック」と言ったら、連れの若者から笑われたというエピソードにしても、こうした世代間ギャップは、文化の変化とともに必然的に起こるものだし、だからこそ、「トランジスターグラマー」「がいとう(外套)」「チャック」「社会の窓」などの言葉を思い出して私たちの世代は面白がる。こうした時代を共有出来るのも、著者の世代の活躍を同じ時間軸で見てきた団塊の世代の特権なのだと思うのだ。

こうした、消えて行く言葉とともに、「春歌」もまた消えて行くと書いている。自身の父親たちの「偎歌」や九州の炭鉱地帯の「春歌」を紹介しているが、伏字が多いのも仕方ないこと。男なら、誰でも若い時に「春歌」の一つや二つは歌っていた。私も記憶の奥にある「春歌」という引き出しを久しぶりに開けてみて、「おっぴょ」という「春歌」を仲間とゲラゲラ笑いながら歌っていた時代を思い出した。「一ひねりした歌詞のユーモア」と「成長期の自分」があっての「春歌」なのだと思う。それだけに、「春歌」とは過ぎ去った記憶に止めることに意味が有るのだと納得する。70代の爺さんが口ずさんでも面白くもなんともない。

昭和20年代の国民の「笑い」の中核だった三木鶏郎に対する五木の思いはいささか複雑だ。NHKラジオの「日曜娯楽版」は三木がプロデューサー、作詞・作曲、コント作家として取り仕切り、永六輔や野坂昭如などの若手が集って制作されていた。しかし、彼らの「冗談」と「批判精神」は、1954年(昭和29年)の造船疑獄事件を番組内で風刺したことにより政府からの批判を受け、番組の改編に繋がった。五木はこの騒動についてのタイトルを「冗談が死んだ日」と題しているのも象徴的。

また別のコラムでは、次の時代の転換点として五木が出演していた番組、「遠くへ行きたい」について語っている。この番組は、1970年に当時の東京放送のディレクターが独立して作ったテレビマンユニオンによって制作された。テレビマンユニオンは1967年の田秀夫のベトナム戦争報道に対する政府からの圧力などが原因で報道局の萩元晴彦、村木良彦、今野勉などが東京放送を退社して立ち上げた会社だ。この「遠くに行きたい」に永六輔、伊丹十三、野坂昭如などが交代で出演し、各地を紀行するドキュメンタリー。五木は6本ほど出演していたという。この「遠くに行きたい」を支えたメンバーを見ると、あの「話の特集」の編集者グループであることに気付く。

その「話の特集」を通じての野坂昭如への思いは深い。「野坂がいることで、私は仕事を続けることが出来たと改めて思う・・・・彼と反対の方向に歩いて行けばいいと自分に言い聞かせていたからである」と語っている。また、酔った野坂が五木を前にして「野坂と五木の間には、深くて暗い河が有る」と「黒の舟唄」の節回しで歌っていた思い出を語っている。それほど異なった性格の二人が反対の方向に歩いても、違いを違いとして評価し合ってお互いの才能を伸ばしていったという羨ましい関係であることが良く判る。そして、昭和の歌について、本書でも幾つかの文章が書かれて五木が係わった歌手や番組の思い出は面白い。

老いの問題への考察は、今の私の課題でもあり面白く読んだ。老いること自体が問題なのではなく、老いた後の生き方が難しい。五木はそれを「世間とどう折り合うか」という言い方をしている。「孤独」こそ、「老い」「死」「死後」といった人生の後半のテーマの底流であると言っている。生活の中の「孤独」感とは、「和して同せず」が孤独であり、つまり二人でいても孤独はあり、大勢で居ても孤独はある。確かに、「皆と一緒に一人でいる」という孤独感覚は良く判る。人のために活動することもあれば、人を頼ることもある。声を掛けたり掛けられたりしながら、「仲間」と「孤独」の間を行き来しながら自由を楽しんでいる。換言すると「楽しさ」の共有を相手に強要しないという意味での孤独なのだろう。そんな思いに至った。

そうした、人生の後半を語りながら、私たちが親から相続してきたものについて書いている。考え方や生き方といった形のない「こころの遺産」や、思い出の「物」もある。老人が身の回りに古いものを置きたがるのは、それがノスタルジーの引き金になるからという五木の言葉に対して、納得と反論が頭に浮かんだ。

生き様については父から受け継いでいるものもあるが、敢えて父の期待に反したところもある。また、私は「もの」にそう執着しない方だが、大学卒業時に「お前に金を掛ける最後だ」と言われながら父に買ってもらった機械式腕時計は今も現役。そして、母の形見の帯留めを作り直したピンバッチ。その二つを身近に置いている。それが両親のノスタルジーだとも思わないが、二人に見張られている感は否めない。

本書を読み進んで行くと、週刊誌のコラムとして毎週読んで行くのとは違った読み方になることに気づく。それは各コラムを時系列に並べるのではなく、ある種のカデゴリーに区分して章立てとすることで、五木の意図はより明確になって行く。本書で言えば「夜に口笛を吹く」「ノスタルジーの力」「こころの深呼吸」といった章立てでまとめられている。

五木の最初の小説である「さらばモスクワ愚連隊」はジャズ、社会主義国家の若者、日本の政治といった興味深い要素が全て入っている作品であったが、当時の私は小説のストーリーにのめり込むことは無かった。それほど、殺伐とした学生生活だったし、全力で生きていた時代だったと私は勝手に納得している。そして、半世紀が経って、本書を読みながら、あの時代を懐かしむことはあっても、今ならこうするのにといった反省は浮かんでこないという、楽しい時間旅行であった。加えて、これから迎える後期高齢者の一つの姿を五木に見せてもらったという読書だった。(内池正名 )

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2018年3月19日 (月)

「コンパス綺譚」グレゴリ青山

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グレゴリ青山 著
龜鳴屋(120p)2017.12.20
2,700円

映画でも小説でも、1930年代の上海を舞台にしているというと、それだけで手が伸びてしまう。最近だと松浦寿輝の『名誉と恍惚』。「魔都・上海」を絵に描いたような、暗い魅力に満ちた小説だった。スピルバーグが映画にもしたJ.G.バラードの『太陽の帝国』は、この時代の上海を少年の目から見ている。映画なら韓国映画『暗殺』やアン・リーの『ラスト・コーション』が、日本軍占領下の上海で日本人や日本への協力者の暗殺をテーマにしていた。時代は少しさかのぼるが、舞台で『上海バンスキング』という名作もある。漫画なら湊谷夢吉の『魔都の群盲』が忘れがたい。

『コンパス綺譚』は1920~30年代の大連、青島、哈爾浜(ハルビン)、上海を舞台にした連作漫画。ひとつの方位磁石(コンパス)を狂言回しに、コンパスを手にした人々の運命を飄々としたタッチで描いてゆく。登場するのはこの地を訪れた日本人と中国人。詩人の安西冬衛、少年時代の三船敏郎、金子光晴と妻の三千代、プロレタリア作家の前田河広一郎、内山書店の内山完造、作家の魯迅と郁達夫、人気女優の阮玲玉、男優で亡命朝鮮人の金焔といった面々だ。

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2016年3月17日 (木)

「誤植文学アンソロジー 校正者のいる風景」高橋輝次 編

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高橋輝次 編
論創社(230p)2015.12
2,160円

本書はタイトル通り、「校正」という仕事とそれに携わる人間たちをテーマとした、小説編とエッセイ編、各々8つの作品から構成されている。文章のプロとして禄を食んでいる人たちの文章だけに業界の状況や校正に携わる人々の姿、校正の仕事などが詳細に描かれている。戦前の作品を含めて年代的には幅広く選択されていて、このテーマに取り組んできた編者の努力というか執着心が見えてくる一冊だ。小説では校正者の仕事ぶりや人物像を主題に描かれたものが多く、エッセイは校正の仕事と誤植について語られていることを考えると、タイトルの「校正者のいる風景」は小説編を「誤植文学」はエッセイ編を、イメージしたように思える。

取り上げられている作品の内、佐多稲子、吉村昭、杉本苑子、杉浦民平といった作家以外は、はじめて文章に接する方々のものであった。本書のような、アンソロジーという形態では編者の視野の広がりが重要な要素であるだけに、読者として初見のものに出合うこと自体も楽しみの一つと言えるのだろう。それにしても、評者のような出版業界の門外漢としては「著者が居て、本が手元にある」という出版プロセスの頭と尻尾しか認識できていないだけに、全体のプロセスの中で編集者とか校正者をはじめとした多くの人々の、仕事の内容や成果物、必要な技術・資質などについては判っていないというのが正直なところである。

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2015年6月16日 (火)

「広告写真のモダニズム」松實輝彦

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松實輝彦 著
青弓社(404p)2015.2.20
3,240円

写真史、あるいは広告の歴史に興味がある人なら、中山岩太という名前を聞いたことがあるにちがいない。聞いたことがなくても、中山岩太が撮った「福助足袋」の広告写真を見たことがあるかもしれない。「写真家・中山岩太と1930年代」とサブタイトルを打たれたこの本は、昭和前期に活躍した写真家・中山岩太を有名にした「福助足袋」をめぐって、日本の広告写真の歴史と中山岩太の足跡を交差させながらその意味を探っている。

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「福助足袋」は、中山岩太の展覧会が開かれれば必ず出品されるし写真集が出版されれば必ず掲載される、中山岩太の代表作のひとつとされる。それだけでなく、デザイン史でも画期的なものとされるし、写真表現としても従来の絵画的な「芸術写真」に代わってモダニズムの台頭を告げる作品として歴史的評価が高い。

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2015年4月17日 (金)

「皇后考」原 武史

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原武史 著
講談社(656p)2015.2.4
3,240円

巻頭にエピグラフとして折口信夫「女帝考」から取られた一節が置かれている。実在を疑われる神功皇后(じんぐうこうごう)について書かれた文章で、「皇后とは中つ天皇(なかつすめらみこと)であり、中つ天皇は皇后であることが、まずひと口には申してよいと思うのである」というものだ。

中つ天皇というのは折口によれば「神と天皇との間に立つておいでになる御方」で、神の意志を聞いて天皇に告げる仲介者のこと。記紀には皇后、妃などと記されていると折口は言い、その例として神功皇后や飯豊青皇女(いいとよあおのひめみこ)を挙げている。

著者の原武史は先ごろ折口信夫について書かれた本を書評しながら、「女帝考」についてこう書いていた。「折口は…同時代を生きた…女性を意識していたのではないかと思いたくなる。その女性とは、大正天皇の妃で、折口が中天皇と見なした神功皇后に強い思い入れをもち、折口の最晩年に当たる1950年と51年の歌会始で相まみえた皇太后節子(さだこ)(貞明皇后)である」(朝日新聞、2015年1月25日)。

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2015年1月12日 (月)

「『この国のかたち』を考える」長谷部恭男

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長谷部恭男 編
岩波書店(224p)2014.11.27
2,052円

「「この国のかたち」を考える」 長谷部恭男編  岩波書店刊
本書は、2013年の10月から2014年の1月にかけて、東京大学で行われた学術俯瞰講座の「この国のかたち - 日本の自己イメージ」をベースとしてまとめられたもの。当時、盛んになりつつあった憲法改正に関する議論を見据えて、日本国憲法を考えるための材料を提供するという趣旨で、法学(葛西康徳:古代ギリシャ・ローマ法、宍戸常寿:憲法、長谷部恭男: 憲法)・政治学(苅部直:日本政治思想史)・歴史学(加藤陽子:日本近代史)・社会学(吉見俊哉:メディア論・都市論)といった領域からの広範な視点で構成されている。本書の編者である長谷部はその意図を「人にそれぞれ人柄があるように、国にも国柄があります。現在の日本の国柄はどのようなものか、憲法のテクストを変えることは、その国柄にどんな影響を及ぼすことになるのか・・本書がそうした問題を考える手がかりとなれば幸いです」と記している。

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2014年8月11日 (月)

「この写真がすごい 2」大竹昭子

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大竹昭子 編著
朝日出版社(172p)2014.05.25
1,944円

『この写真がすごい 2』には70点の写真が収められている。撮影者にはプロもいればアマチュアもいるけれど、撮影者が誰か、どんな状況でどんなふうに撮られたのか、テーマやタイトルは何か、文字情報はいっさいない(巻末にまとめられている)。読者は何の先入観もなく、まず写真と向き合うことが求められる。

「すごい」と銘打たれているが、「ナショナル・ジオグラフィック」みたいに驚異的な自然とか、人間がつくった目新しい創造物のような、ひと目で「すごい」写真は実はほとんどない。誰も撮ろうと思わない変哲もない街角や、開きかけたビニールの衣装ケースをただ撮ったものなんかまである。でもじっと見ていると、たしかになにか変だ。ページをめくると、その「変」をめぐって、大竹昭子が短い文章を書いている。

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2014年3月 9日 (日)

「国境 完全版」黒川創

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黒川創 著
河出書房新社(432p)2013.10.20
3,780円

『国境』は1998年に刊行された、日本の植民地文学をめぐるエッセイ集。それが100ページほどの書下ろしを巻頭に収めて「完全版」として出版されたのには訳がある。著者の黒川創は昨年、小説『暗殺者たち』(新潮社)を発表した。「暗殺者」とは1909(明治42)年に旧満洲のハルビン駅で伊藤博文元首相を暗殺した安重根のこと。「暗殺者たち」と複数形になっているのは、殺された伊藤博文もまた幕末の「暗殺者」であった、つまりハルビン駅頭でふたりの暗殺者が交錯したことから来ている。

『暗殺者たち』が話題になったのは、これまで全集に収められていなかった夏目漱石の「韓満所感」を黒川が発掘し、小説のなかにその全文が取り入れられていたことによる。「韓満所感」は漱石が旧満州と朝鮮を旅行したときの印象を記したもので、旅から帰った数日後に伊藤博文暗殺が起こった。その事件のことが本文中に触れられている。『国境 完全版』巻頭に納められたエッセイは、新発見の「韓満所感」をめぐって小説とはまた別の視点から漱石と満洲のかかわりを探ったものだ。

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