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2021年4月18日 (日)

「残酷な遊戯・花妖」坂口安吾

坂口安吾 著
春陽堂書店(304p)2021.02.17
2,640円

坂口安吾が書いた未発表小説の生原稿が見つかった。昨年秋、業者向けの古書市で神保町の古書店主が入手したという。400字詰め原稿用紙で41枚。戦前に書かれた中篇小説の前半らしいが、何らかの事情で中断され未完。題名は書かれていない。編者(浅子逸男・七北数人)が原稿に書かれた言葉から「残酷な遊戯」と名づけ、安吾と関係の深かった春陽堂書店から刊行された。一緒に収められている「花妖」は、中断した「残酷な遊戯」を原型に戦後、人物や設定の根幹は残しながら樹勢を大きく広げて発表され、これも未完に終わった長篇小説(の一部)。この2篇のほかに戦前の短篇4本と、編者による解説が収められている。

小生、安吾をきちんと読んでいるわけではないけれど、30代のころ、好きになって代表的な小説とエッセイの何冊かに目を通したことがある。未完の「花妖」は全集にしか収録されていないので読んでない。そんなわけで、新発見の小説がどんなものか興味があった。結論から言うと、小説として断然面白かったのは「花妖」。「残酷な遊戯」は、その原型として比較しながら読むと、安吾の発想とそれが戦争をはさんでどう変化したかがよくわかる。

「残酷な遊戯」は、こう始まる。「私が諸国に居を移して、転々と住み歩いてゐたころ、ある町で、美貌をうたはれた姉妹があつたが、妹が姉をピストルで射殺した事件があつた」。安吾は少年時代から推理小説に親しみ、戦後に『不連続殺人事件』などの実作もあるから、そんな資質の片鱗だろうか。犯人を最初に明かす倒叙法で人物と場所を設定し、なぜ妹が姉を射殺することになったかを語ってゆく。

地方名家の令嬢である姉妹は姉が雪子、妹が千鶴子。雪子は英文科を首席で卒業した聡明な女性だが、妹の千鶴子は土地の女学校をお情けで卒業した「美しい無」。この姉妹が一人の男に夢中になる。その男、青山は金持ちの一人息子で、二十歳すぎからブラブラしている「頭の悪い坊ちゃん」。青山と妹の千鶴子は馬があって遊び歩いている。雪子は邪険にされていよいよ恋に狂い、青山に「燃えに燃えて恋は人みて知りぬべし嘆きをさへに添へて焚くかな」の古歌を贈り、千鶴子はそれをまた人前でからかって姉を侮辱する。やがて青山と千鶴子は結婚する。

ここから雪子の「復讐」が始まる。雪子は、東京から帰ってきた友人の信代を青山に引き合わせる。信代はソプラノ歌手だがせいぜい「二流の唄い女」で「荒れた感じ」を漂わせている。新婚の青山が信代にのぼせあがり、信代のパトロンになろうとする。一方、雪子は地元政財界の黒幕、大河原に接近し、こちらからも金を出させて信代のパトロンを青山と競わせようとする。さて……と、これから面白くなりそうなところで小説はなぜか中断。ここまでの展開から、二人の姉妹の心理戦を軸として、地方都市(安吾の故郷である新潟らしい)を舞台に彼の言うファルス(道化)的な群像劇を目指したと、とりあえず言えるだろうか。

「残酷な遊戯」が書かれたのは、編者の推定によれば1939(昭和14)年から41(昭和16)年の間。そこから戦争をはさんで「花妖」は1947(昭和22)年に東京新聞で連載がはじまった。基本的な人物設定はよく似ているが、舞台は焼跡の広がる東京に変更されている。

姉の名は「残酷な遊戯」と同じく雪子。妹は節子。ただ、妹が姉を射殺したという設定はない。雪子は「理知的で陰気な娘」。節子は「陽気で遊び好き」の「頭は悪いが社交の才気は横溢」した娘。この姉妹が、戦災で同居することになった伯母一家の息子、洋之助に二人して惚れる。洋之助は「小金持ちの一人息子の甘やかされた典型的な能なし」で、「優柔不断なくせに弱者に対しては強圧的な現実家」。どこぞの政治家を連想させなくもないが、女性崇拝の気味がある安吾の小説には、こんなちゃらんぽらんなダメ男がよく登場する。文学に身を捧げる一方、日常生活はでたらめだった安吾の一面を戯画化してみせた人物造形と言えようか。洋之助に焦れる雪子が「燃えに燃えて」の古歌を贈るのは前作と同じ。そして洋之助は妹の節子と結婚する。

原型である「残酷な遊戯」の語り手は姉妹の家に住み込む書生で、姉に密かに好意をもつ彼の目を通して、姉の雪子に同情的な眼差しで二人の行動が描かれる。姉妹の父である弁護士は、物語のなかにまったく登場しない。これに対して「花妖」では、やはり法律家である姉妹の父が重要な役どころで登場する。焼け出された一家は伯母一家にころがりこむが、父の木村修一だけは敗戦後も焼跡の防空壕に一人住んでいる。「俺がこの穴ボコで暮らすのは、余生を茶化す慰みといふ奴だ」とつぶやく修一には、蒲田で空襲に遭い焼跡の防空壕で暮らすことを考えた安吾自身が投影されているようだ。この小説は三人称で書かれているけれど、空襲で火の海に囲まれて感じた「大きな疲れと、涯しれぬ虚無」(「白痴」)から、それまでの人生に見切りをつけた安吾≒修一の心象が折々に挟みこまれる。

修一の娘の雪子も、「残酷な遊戯」に比べると複雑な性格と行動を示す。恋する洋之助が妹と結婚して、雪子は父の修一に、修一の会社の専務である井上の「オメカケになります」と宣言する。「私はオメカケが好き。なぜなら、オメカケの方が、お小遣いがしぼれるものよ」と父にのたまうあたりは、同じ雪子でも一途に恋に狂う「残酷な遊戯」の雪子では考えられない。

一方、雪子の妹・節子への「復讐」は、前作と相似形。洋之助の家の敷地内にある隠居屋に、雪子の勧めで医者一家が暮らすことになる。その娘、芳枝は雪子の同級生で、雪子は洋之助が芳江に浮気心を起こすのを見こしていた。芳枝は「出来たての素人劇団の女優」で無軌道な娘。「目の隈が深く黒ずみ、あゝ厭だ、生きてゐるのも、と顔が呟いてゐるやうな、沈痛な暗さがあつた」。こんな描写がいかにも戦後的。その「はしたない色気」に洋之助が狂い、妻の節子が逆上する。雪子はさらに、素人女優の芳枝が焼跡でお好み焼屋を開業する資金を洋之助に出させようと企む。その一方、雪子は芳枝を誘って防空壕に父の修一を訪ねる。案の定、芳江は修一とも親しくなり、「オヂサマ。お願ひです。私をオヂサマのオメカケにして。イノチガケ」なんてセリフも飛び出す。

もうひとり興味深い人物が登場する。雪子が妾宅として住む画家のアトリエを、ある日、画家の知り合いで栗原という男が訪れる。三十歳くらいの、「苦味ばしつた色男」。栗原は「闇屋でさ」と自己紹介する。闇屋ですぐ思い出すのは、1946(昭和21)年に発表され安吾を一躍有名にした「堕落論」の冒頭だろう。「半年のうちに世相は変った。……若者達は花と散ったが、同じ彼らが生き残って闇屋となる」。栗原が戦争帰りとは書かれていないが、年恰好からして元兵士と当時の読者の誰もが感じたことだろう。

栗原と雪子は会ううちにうちとけ、彼は札束で雪子を買いたいとほのめかしたりする。闇屋の手管かもしれないと思いつつ、雪子も栗原のもとに飛び込んで自分が変わってみたいと願う。「恋だの金はどうでもいゝのだ。ただ、すべてのものを投げだし、出しきつてみたいのだ」。ここまで読んでくると、「残酷な遊戯」の雪子からはずいぶん遠いところまで来てしまったような気がする。このセリフには、「生きぬきそして地獄に堕ちて暗黒の曠野をさまよう」ことを願い、「生きよ堕ちよ」と誘う「堕落論」の一節がこだましていないだろうか。

未完に終わったこの小説は、栗原の本気を試した雪子が栗原の腕を胸に抱きしめ、肩を寄せて歩くところで終わる。「栗原はてれた。白昼がくすぐつたい。然し栗原は雪子の情熱が軽快なので驚いた。大胆で断定的だ。理知とは狂気のことのやうな、気品とは媚態のやうな、風の中に舞ふ羽のやうに軽やかな娼婦の感触にくすぐられた」。いいねえ。

「花妖」がなぜ未完に終わったのか。どうやら安吾本人の事情ではなさそうだ。安吾全集(ちくま文庫版)の解題によると、挿絵を担当した岡本太郎の絵がシュールすぎて新聞小説になじまず、不快を感じた東京新聞の社長が「明日から掲載をやめる」と宣言したせいらしい。これからというところで、安吾はとんだとばっちりを喰ったことになる。

実際、「花妖」は読んでいてぐんぐん惹きこまれる。雪子と栗原はこれからどうなっていくのか。芳枝と修一のもう一組のカップルはどうなるのか。雪子の「復讐」はどんな結末を迎えるのか。ひょっとすると、妹への復讐などどうでもよくなってしまうのではないか。原型の「残酷な遊戯」に比べ、戦争と焼跡の体験を触媒に作品世界がぱちんと弾けて大きく広がり、会話がふえ文体もより口語的になって、いかにも安吾的な登場人物が生き生きとしゃべり、うごめいている。安吾の文学仲間だった評論家の大井広助は、「坂口の最もハリのある作品といえば躊躇なく『花妖』をあげる」と書いている。当初、安吾が「残酷な遊戯」でファルス的な群像劇を目論んだとすれば、それが見事な形で姿を現しつつあったのではないか。最後まで読んでみたかったなあ。なんとも惜しい。(山崎幸雄)

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2020年7月17日 (金)

「裁判官も人である」岩瀬達也

岩瀬達也 著
講談社(330p)2020.01.31
1,870円

多様な事件の訴訟、裁判に関するニュースは毎日の様に報道されている。そうしたニュースを読みながらも、三権分立の中で、特に司法の独立性はそれなりに担保されると無意識のうちに思っている自分がいる。「裁判官、弁明せず」と言われる様に、裁判官は自らの下した判断に解説することはない。それだけに、司法の実態については自分から積極的に知ろうとしない限り時代とともに進んで行く法律解釈の変化を理解していくことは難しい。

本書では、裁判官が判決に至るプロセスを追いながら、死刑制度、原発の稼働、最高裁を頂点とする裁判所組織、人事評価や裁判官の独立性といった、現代の司法が抱えている課題を多くの視点から取り上げている。特に、「司法」は裁判所を運営する最高裁判所の司法行政部門があり、それは行政の一部であると著者は指摘する。別の言い方をすれば、「人事権と予算査定権を立法府と行政府に握られている最高裁判所は三権分立の理念を実践できていない」という主張である。それを示すために本書では日々の裁判官の仕事の中で発生する判決で、国策を否定したり、各分野の違憲判決や最高裁判例を覆さざるを得ない判断によって発生する裁判介入や人事異動、評価への影響などを描いている。

国策に対する裁判として、原発の再稼働時の判決が取り上げられている。一連の裁判は、2006年金沢地裁は北陸電力の志賀原発2号機の安全対策が不十分として原発の停止を判断したことに始まる。2011年東日本大震災による東京電力福島原発の事故の後、2014年福井地裁での樋口裁判長は大飯原発の安全技術と設備は脆弱であるとして3号機と4号機の停止判決を出した。以降、高浜原発3-4号機の再稼働禁止、川内再稼働容認、伊方原発の再稼働容認、伊方原発の再稼働禁止、伊方原発再稼働容認といった形で原発再稼働の禁止と容認の判決が行ったり来たりの歴史を繰り返している。

ただ、2013年に最高裁判所は「高度な専門性が求められる原発の安全性を専門知識の無い裁判官が判断するのは難しい。従って、裁判官は行政側の審査基準が正当で、その審査過程で大きな手続き的欠落がないかを審査し、安全性の独自の審査には自省的であること」という意見を研修資料に取り入れている。介入ではなくガイドラインであると言い張るのだろうが、それは無理である。こうした状況下においては、原発再稼働を止めた裁判官と再稼働を認めた裁判官のその後のキャリアを見ると、法律議論以前に国策に逆らった裁判官に対する処分と言わざるを得ない。

また、裁判官への介入が公になったのが札幌地裁で行われた「長沼ナイキ事件」である。地対空ミサイルのナイキを配備するために保安林を伐採しようとした国に対して住民が起こした訴訟である。第二次安保闘争など騒然とした社会状況の中の1969年に札幌地裁の福島裁判長は「憲法違反の恐れのある自衛隊のために保安林指定解除処分の執行を停止すべき」と判決を出したのだが、その判決内容が国に告知される前に平賀札幌地方裁判所長が福島裁判長宛てに「国側の主張を認めるよう求めた」書簡を届け、結果その書簡が外部に流出したという事件である。

青年法律家協会の裁判官部会の世話人をしていた宮本は福島と同期で、平賀書簡の外部流出の犯人と最高裁から疑われ、青年法律家協会に参加していた裁判官達に対する差別(ブルーパージと呼ばれた)とともに、宮本は10年目の裁判官再任審査でただひとり再任されなかった。この問題は、裁判干渉が露骨に行われていた事実と人事権の使われ方の異常性である。ちなみに再任されなかった宮本は弁護士登録に必要な経歴保証書を最高裁判所に求めたが最高裁は発行を拒否したため、弁護士会の特例処置で弁護士登録が行われたと言う。

こうした、裁判官の職業人としての独立性を担保する仕組みの例として、裁判所法では「意に沿わない人事異動は応じなくて良い」という考え方が紹介されている。しかし、全国3000人の裁判官で構成されていることを考えれば、必然的に異動を前提にして育成・昇進をやって行かなければ組織運営は回って行かないのは目に見えている。毎年8月に裁判官は自身の健康状態、家族構成とともに次の異動の希望任地を記載するが、ここで「希望任地以外は不可」を選択すると処遇・昇進面で制約をうけることになるという。民間であれば社員は「希望」や「異動が出来ない理由」を上司に申告することはあっても、異動の発令が有ればそれに従うことになり、かりに「組織の指示に従わないとすれば、その結果「失う」ものもあるということは明らかだ。組織で仕事をする限り、裁判官の権利と考えてしまうと、問題を矮小化してしまうのではないか。職業人としての姿勢と組織の仕組みの両面を考えないと真の独立性の議論にはなりそうもない。

また、死刑制度そのものの問題提起している。現在、先進7ヶ国(G7)の中で死刑制度を続けているのはアメリカと日本だけである。戦後の憲法改正作業の時、GHQの法政司法課長だったドイツ系アメリカ人は死刑制度廃止論に立つ弁護士であったが、日本政府が死刑制度の温存を求めたため、あえて異議を唱えなかったという。この結果、現憲法下でも死刑制度は存続したが、一石を投じた事件として2011年に大阪で発生した放火事件(5名死亡)である。裁判長は死刑を宣告したが、この裁判では死刑は残虐な刑罰に当たるのかどうかが問われた。証人の一人であった元検察官の筑波大学教授が「絞首刑はむごたらしいとは言えないとは、実態を知らなさすぎる、と言わざるを得ない」と意見を述べている。検察官は死刑執行に立ち会う義務があるが、裁判官にはない。このため、死刑執行に立ち会ったこともない裁判官が「絞首刑は惨たらしくない」という判断がなぜできるのかと、裁判官を揶揄するような意見が紹介されている。こうした事例を読むにつけても、まだまだ、死刑制度に関しては議論が続く論点の様だ。

そして、気になった点がある。1968年に起きた尊属殺人事件で1969年宇都宮地裁は尊属殺人条項は違憲という判断をし、過剰防衛であるものの情状の余地ありとして刑を免じた。本来尊属殺人は死刑もしくは無期懲役であり、東京高裁は一審判決を破棄して情状懲役酌量のうえ3年6ヶ月の実刑判決を言い渡した。この判決にたいし世論は極めて批判的で1973年に最高裁は尊属殺人の違憲判断をするに至る。しかし、尊属殺人の条文が刑法から削除されたのは1995年の改正刑法である。何と時間の掛かることかと思う。司法判断から立法までの道のりの長さは気が遠くなる様だ。

裁判員制度がスタートして10年を超え、6万人以上の国民が裁判員として裁判に参加している状況を考えれば、自分自身が裁判に出席して人を裁くことはもはや他人事ではない時代になっていると思う。裁判員裁判制度の評価をするにはまだ早いのかもしれないが、裁判員裁判では裁判員は被害者の立場がストレートに出るため、量刑的に厳しい判決になりやすいと言われている。しかし、本来、法理だけではなく、社会経験からも判断するということが裁判員裁判の目的だとすると、その目的を果た結果ではないのかと思う。自分が人を裁き、量刑判断しなければならない時が来ることを想定しながら本書を読みながら、今更ながら裁判官という職業の大変さを実感する。(内池正名)

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2019年10月18日 (金)

「在野研究ビギナーズ」荒木優太 編

荒木優太 編
明石書店(286p)2019.09.06
1,980円

「在野」という言葉の意味を問われて、「ブロ」に対する「アマチュア」、「公」に対する「民」、「組織」に対する「個」といった様に、自分自身の中では曖昧な概念として理解していることに気付かせられた。本書は10名を超える在野で研究している人達の実践体験を自ら紹介する形で「在野」を選択した理由や研究手法、仕事との兼ね合いなどが語られている。編者の荒木は、「在野研究」とは「大学に所属しない学問研究」というザックリとした定義で研究者を取り上げていることもあり、対象の広がりが面白さを増している。

「在野」という言葉は在朝(政府)と対で用いられたもので、「十分に能力はあるが朝廷に仕えない民間人」を指していた。明治以降はより広く政権を得ていない政治家達を指し、官学に対して私学を確立する教育者たち(福沢諭吉や大隈重信)も「在野」であり、美術の世界で官展(日展)の外での芸術活動に対して在野という言葉が使われているという記述を読むと、自分自身の定義の曖昧さという事だけでなく、「在野」ということばが時代とともに多様な使われ方をしてきたことが良く判る。

戦後、鶴見俊輔たちが立ち上げた「思想の科学」の同人たちは「民間アカデミズム」とか「在野の知識人」といった表現がされているのだが、鶴見は終戦で復員するとともに大学に籍を置いていたことを考えると何となくしっくりこない。とは言え、少なくとも「アカデミズム」に埋没していなかったと言うのは事実だ。そう考えると荒木の言う「在野とは、権力そのものを相対化する立場」という意味付けが私には一番納得感がある。

本書は、大きく三つの論点で構成されている。第一部として「働きながら論文を書く」という観点、第二部は「学問的なるものの周辺」としていかにも学問的な領域から趣味的な領域まで知の世界を広く紹介している。第三部は「在野研究」のインフラとして「新しいコミュニケーションと大学の再利用」を取り上げている。ただ、各章は14名の在野研究家たちが自らの研究の説明をしているので、興味のある章だけを読み進むことでも十分楽しめる。

何故在野で研究を始めたかについては、「教員になりたくなかった」とか「研究は好きだが仕事にはしたくない」という理由を挙げている人もいれば、人文系は一人で文献を読むことで成果は出せるという人も居る。そうした中でアシナガバエを研究してきた人が学問領域の特性として、生物の研究は歴史的にアマチュア研究者が大きな役割を果たしたという指摘をしている。フィールドの調査、収集が基本という理由だろう。

研究領域によって在野研究のやり易さ、やり難さがあると思うが、やはり設備・装置が要らない人文系が多くなるのは否めないと思う。働きながらの研究は「仕事が研究に役に立つのか」や「研究が仕事の役に立つのか」といった真面目な論点もあるのだろうが、いずれにしても両立させる努力と割り切りが必要ということだろう。

在野で研究することの苦労の種も多く語られている。文献収集やフィールドワークの費用捻出、大学図書館へのアクセスの制約、他研究者との接点の少なさによる学問的刺激の不足等々。こうした点は想像がつく範囲であるが、論文やフィールド調査に於ける「肩書」が悩みどころであるとは気づかなかった点だ。やはり仕事上の名刺みたいなものが必要なのだろうか。海外論文では「Independent Scholar」という肩書が使われていて問題ない様であるが、「皇居におけるタヌキの食性と季節変動」という2008年の論文の共著者のひとり「明仁」という人物の所属は「御所(The Imperial Residence)」と記載されているという。何とも不思議な表見である。

昨今の情報化社会で言えば、情報の発信・検索の観点では、図書館などに情報収集を依存する必要性は徐々に少なくなっているし、今までであれば論文によって研究成果を発信していたものが、多くの在野の研究者がインターネットを活用しているというのは肯けるところだ。そもそもインターネットで情報を集めることにコストは掛からないし、自宅で検索が出来ることを考えると、10年、20年前の研究状況とは全く変わってしまっていると思う。

同時に、発信手段として考えれば、日本語・英語の併記発信をすると海外研究者の目に止まる頻度も圧倒的に多くなる。こうした、グルーピングの形成も新しい流れなのだろう。ただ、インターネットによる欠点として、web情報にページの概念がなく、参照先を明確にし難いという指摘も一理ある。

一方、物理的な「本」の価値を力説している人がいる。本の効用として論考のまとめ、研究のけじめ等に加えて訂正がないことを指摘しており、「本は研究を終わらせるとともに、次を始めさせる強制力としての作用」があるというもの。その気持ちはなんとなく判る気がする指摘だ。

「在野」の学問のあり方について一般解が有るわけではないし、本書でも研究者達の体験・実践をベースにして読者一人一人が手法選択のヒントにしてほしいと編者は言っている。興味のあることを掘り下げて調べたり、実験したりすることは本人が無自覚のうちに研究者的なことをしている人は多いという。そう考えると、ちょっとした発想の転換で趣味が研究に変わるという事だ。つまり、「好きなものに憑りつかれ、好きの力を信じる」という姿勢が在野を支えているというのは事実だろう。その中で「書評を書くことも研究」という意見が出ていたが、今私が書いている読書感想文的書評では「継続」の意味はあっても「研究」には程遠いと思うのだが。

在野研究には「明日が無い」と編者は言う。
「明日は労働、育児、家事、病院通いといったもろもろのスケジュールで埋め尽くされているから。それでも『明後日はある』と信じて在野の研究者は日々励んでいる。また、明日の明日(明後日)は二重の意味で在野研究者に到来する。知識不足、指導者不在、その研究がなんの価値があるのかといった不安定の中、それでも突き進む頓珍漢でジグザグな方向へ、あさっての方向へ」

それでも、既存のアカデミズムの利用出来るものを目ざとく見つけ、「好きな領域=趣味」を掘り下げるという姿勢は、長い人生を考えれば自分自身でも持ち続けたいと思わせられた。

そう書きながら、若い時に国鉄の切符を集めていたことを思い出した。昭和初期から昭和30年代の山手線の切符の変遷だ。渋谷駅の切符のパンチの形が昭和16年の10月前後で変更になっていたり、硬券から物資不足で軟券に代わっていったり、なかなか興味深い事実があったことを思い出し、本棚の切符ホルダーを手にした。

「あさっての方向」でも「好きな方向」ならいい。研究という観点だけでなく、人生感として読んでも面白い一冊だった。(内池正名 )

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2018年12月16日 (日)

「サリン事件死刑囚 中川智正との対話」アンソニー・トゥー

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アンソニー・トゥー 著
KADOKAWA(232p)2018.07.26
1,512円

サリン事件の死刑囚が東京拘置所から各地の拘置所に移送され死刑執行が近いだろうという想定はしていたものの、実際に麻原以下7名の死刑か執行されたとのニュースに接すると色々な思いが去来した。教団の国政選挙出馬、坂本弁護士一家殺人事件、松本サリン事件、東京地下鉄サリン事件といった、それまでの常識ではとても理解出来ないオウムの宗教活動や犯罪が続くと同時に、私自身も会社で責任分野が変わった時期で、多少なりともこの事件に対して企業として対応しなければならなかったことも思い出す。麻原は多くを語る事なく死刑が執行された。結局、ぼんやりとした割り切れなさだけが残ってしまった。

この事件は世界で初めて一般市民に対して化学兵器が使われた大規模テロであり、戦時に使用されるために開発製造されて来た化学兵器が防衛手段を持たない市民に使用されるリスクが指摘され民間防衛(シビル・ディフェンス)の重要性が語られる契機になったといわれている。これは警察と軍隊との役割の再確認と、宗教活動と政治の妥当な折り合いを見いだせるのかが問われた事件だったと思っている。

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2016年7月19日 (火)

「ザ・カルテル(上下)」ドン・ウィンズロウ

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ドン・ウィンズロウ 著
角川文庫(上636p、下594p)2016.04.23
各1,296円
ドン・ウィンズロウの『犬の力』(2009)は、アメリカとメキシコを舞台に数十年にわたる麻薬戦争を描いた傑作ミステリーだった。米国麻薬取締局(DEA)捜査官とメキシコ麻薬カルテルのボスが宿命的に対決する物語の圧倒的な面白さで、確かその年のミステリー・ランキングで1位を総なめしたはずだ。『ザ・カルテル』はその続編に当たる。

冒頭に「本書を次の人々に捧げる」として、131人もの人々の名前が4ページにわたって挙げられている。著者は、「(131人は)本書の物語が展開する時代に、メキシコで殺されたり“消え”たりしたジャーナリストの一部である」と述べ、こうつけくわえている。「本書はフィクションである。しかし、メキシコの“麻薬戦争”に詳しい人なら誰でも、本文中の出来事が実際の出来事から着想を得ていることに気づくだろう。わたしは数多くのジャーナリストの作品を参考にした」

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2016年4月19日 (火)

「3.11 震災は日本を変えたのか」 リチャード・J・サミュエルズ

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リチャード・J・サミュエルズ著
英治出版(432p)2016.03.08
3,024円

3.11から5年が経った。その間、多くの刊行物や報道が多様な視点でこの災害を表現し、論じてきた。3.11に係わる本をそれなりに読んで来たつもりではあるが、外国の研究者によるものは初めてだと思う。著者は1951年生まれ、MIT( Massachusetts Institute of Technology)政治学部教授、MIT国際研究センター所長で日本の政治経済と安全保障政策を専門としている所謂知日派である。原書はコーネル大学出版局から「3.11 Disaster and Change in Japan」と題して出版されたもので、「3.11」の結果として、日本の何が変わって、何が変わらなかったのかという視点から、国家安全保障、エネルギー政策、地方自治といった三つの観点を掘り下げている。

本書を読むに際していくつかのポイントがあると思うのだが、その一つが、原書は2013年4月に出版され、3.11発生からの2年間を俯瞰したものであること。つまり現在から見ると直近の3年間の状況は反映されていないということである。政治的に言えば菅直人・野田佳彦という二人の総理大臣の民主党政権の時代である。二点目は著者が日本の政治経済と安全保障政策の専門家として日本国内外の幅広い情報チャネルや文献を駆使して実証しており、これによって新しい視点との出会いが期待されること。三点目は、1854年の安政の大地震をはじめ、関東大震災、阪神淡路大震災など、過去日本で発生した自然災害への対応事例を詳細に分析しており、3.11以前からの著者の日本研究の成果が発揮されている。

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2015年9月22日 (火)

「されどスウィング」相倉久人

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相倉久人 著
青土社(256p)2015.07.25
2,376円

相倉久人が「ジャズは死んだ」と宣言してジャズ評論から撤退したのは1971年のことだった。ジャズ喫茶に通いはしたが、ときどきライブハウスをのぞく程度のジャズ・ファンにすぎなかった僕は、このときの相倉の文章をきちんと読んでいない。でも今から考えると、この「死んだ」という言葉には二つの意味が込められていたように思う。

ひとつは相倉久人が自ら語っているように、「これこそジャズだ」と信じた音楽が死んだということ。象徴的に言えば、1967年にジョン・コルトレーンが亡くなったとき、ジャズは死んだという認識。1940年代のビ・バップ、50年代のハードバップと発展してきたジャズの主流は、60年代になって二つの方向に分解した。ひとつはコルトレーンを代表とする前衛ジャズ。もうひとつは、エレクトリック・サウンドのジャズからフュージョンへという流れ。

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2013年4月20日 (土)

「さらさらさん」大野更紗

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大野更紗 著
ポプラ社(360p)2013.03.13
1,470円

著者は25歳で「筋膜炎脂肪織炎症候群」という難病を発症し、退院したもののステロイドをはじめ30数種のくすりを服用しつつ、室内での安静状態を余儀なくされていながら親と同居することなく一人暮らしをしている女性。1984年生まれ、2008年に上智大学外国語学科フランス語科を卒業後、ビルマ難民支援や民主化運動に関心を抱いて大学院に進学。ビルマでのフィールドワークの最中に発症した。本書は著者にとって二作目の本であり、評者は一作目も読んでいなかったので、この際とばかり、「さらさらさん」と一作目の「困ってるひと」をまとめて読んでみた。

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2010年8月13日 (金)

「残夢整理 – 昭和の青春」多田富雄

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多田富雄 著
新潮社(228p)2010.06
1,680円

多田富雄は1934年生まれ、東大医学部教授から東京理科大の生命科学研究所所長などを歴任。免疫学の泰斗であるとともに、俳句・能にも造詣が深く、自ら新作能も多く書き下ろしているという多能の人。今年の4月に前立腺がんで死去、享年76歳であった。この10年間は脳梗塞から声を失い、右半身不随となったものの、「新潮」2009年新年号から2010年3月号が本書の初出であることからも判るように、病後も精力的に執筆活動を続けてきた。病の中で著者がその生涯を振り返って思い出深い6名の人物、5名の故人と1名の消息不明者についての回想であり、完結していない気持ちを自分なりに片付けようとして綴るまさに「残夢整理」である。上手いタイトルをつけるものである。

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2008年11月12日 (水)

「さよなら渓谷」 吉田修一

Sayonara 吉田修一著
新潮社(208p)2008.06.20

1,470円

私ごとから始めるのをお許しいただきたい。小生、1年ほどニューヨークに滞在していた。8月中旬に帰国して1カ月。まだ日本の日常に復帰しきれていない。 電車に乗っても町を歩いていても、ニューヨークと違ってやけにきれいで清潔で静かで、なんだかアメリカからまた別の国に来たみたいで、自分が半世紀以上も 暮らして慣れ親しんだ国に戻ったという実感がない。それと関係あるのかどうか、1年ぶりにこのレビューを書こうと新刊を読みはじめたけれど、2冊試みて2冊とも最後まで読み通せずに放り投げてしまった。どちらも興味あって買った本なんだけど、身体のどこかが醒めていて忍耐がきかない。

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