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証言 沖縄スパイ戦史/「湘南」の誕生/贖罪の街(上下/親鸞と日本主義/じーじ、65歳で保育士になったよ/醤油 (ものと人間の文化誌 180)/主権なき平和国家/ジャズメン死亡診断書/〆切本/ジャズを求めて60年代ニューヨークに留学した医師の話/自然の鉛筆/昭和を語る– 鶴見俊輔座談/書物の夢、出版の旅/司馬遼太郎 東北をゆく/地震と独身/純粋異性批判/社会の抜け道/ジャズ昭和史/『昭和』を送る/従軍歌謡慰問団/神道はなぜ教えがないのか/社会を変えるには/『諸君!』『正論』の研究/疾走中国/時間の古代史/自由生活 上・下/新 13歳のハローワ

2020年9月18日 (金)

「証言 沖縄スパイ戦史」三上智恵

三上智恵 著
集英社新書(752p)2020.02.22
1,870円

1945年4月、沖縄本島に上陸した米軍と日本軍との戦闘で、日本軍の主力部隊が南へ南へと追い詰められ、集団自決など住民を巻きこんだ凄惨な戦いが本島南部で繰り広げられたことはよく知られている。

でも、島の北部でどんな戦闘があったのかは、あまり知られていない。僕自身も知らなかった。もちろん北部にも日本軍はいたが、それだけでなく陸軍中野学校から40人以上の将校・下士官が送り込まれ、徴兵前の島の少年を組織して「秘密戦」と呼ばれるゲリラ戦を展開した。この本は、少年兵として戦った人たちなど30人以上に話を聞いてまとめた、その戦いの記録だ。そこには米軍との戦闘だけでなく、スパイの疑いをかけられて殺された住民の話など、生々しい証言がいくつも出てくる。

著者の三上はジャーナリストであると同時にドキュメンタリー映画の監督で、2018年に『沖縄スパイ戦史』(大矢英代と共同監督)を完成させた。本書の前半は、主にその映画のためのインタビューを活字化したもの。映画の完成後、それ以外の元少年兵の証言、陸軍中野学校出身の隊長の生涯、またスパイ虐殺の被害者側・加害者側双方の証言を追加取材して700ページ以上の大部な新書にまとめあげた。

「少年ゲリラ兵たちの証言」と題された第1章では21人の元少年兵の体験が語られる。1944年9月、中野学校出身の村上治夫中尉と岩波壽中尉が沖縄に降り立ち、島の中・北部で「護郷隊」と呼ばれるゲリラ軍を組織しはじめた。召集されたのは、1000人ほどの地元の15、6歳の少年たち。スパイ・テロ・ゲリラ戦・白兵戦の技術を教え込まれ、米軍が上陸した後、後方を攪乱する戦闘の前線に放り込まれた。

軍服を脱ぎ住民のふりをして米軍が占領した飛行場にもぐりこんで捕虜になり、燃料のドラム缶の数や位置を報告して、後に爆破する。松並木や橋をダイナマイトで爆破し、米軍の前進を妨害する(米軍はあっという間にブルドーザーや仮鉄橋で修復した)。夜間に停めてある戦車を爆破する(失敗)。やがて護郷隊が陣取る山に敗走する日本軍も合流し、組織としてまとまった部隊から戦闘意欲を失った敗残兵まで入り乱れての戦いになった。

「僕は監視役だから全部見えるわけだよ。……もう戦意喪失してる兵隊もいて、下士官たちが、貴様らーとぶんなぐって戦わせようとしたけど、動けないものも多かった。彼らが飯盒を並べて飯を炊こうとして煙を出すもんだから、迫撃砲がど真ん中に飛んできて、バーンと、30人全員吹っ飛んで、一瞬で手や足が木の枝にぶら下がってるわけ。もう地獄の風景。肉も骨も、恩納岳は木が生い茂ってて深いから外に飛び散らないでみんな木に引っかかるわけ。見たくなくても見てしまう。人間は首絞められて死んだ方がずっとまし。恩納岳の神様も、あれは……きつかったと思うよ。あんなの見た人はやっぱりおかしくなるよ」

こんな戦闘を経験した多くの元少年兵が、戦後はPTSDに苛まれた。その一人は「兵隊幽霊」と呼ばれ、座敷牢に閉じ込められた。また日本軍にとって軍隊内の苛めはどこまでもついてまわる組織悪だが、護郷隊も例外ではなかった。中国戦線から帰った在郷軍人が下士官として少年たちを訓練したが、その一部にはひどい苛めをしたり、飢えのなかで食料を独占したりする者がいた。彼は戦死したことになっているが、戦いの最中に後ろから撃たれたといい、「殺した人も島の人、殺された人も島の人」と元少年兵は語る。さらに、退却するときに負傷して動けない兵を殺したという話も多くの少年兵が語っている。

第2章では、護郷隊を率いた村上治夫中尉と岩波壽中尉の生涯が追跡される。ふたりとも沖縄へ来たとき23歳。村上は親分肌、岩波は沈思黙考型と対照的だが部下からの信頼は厚く、元少年兵たちから彼らの悪口はまったく聞こえてこない。そのひとり、村上治夫は大阪府出身。満洲での兵役を経て陸軍中野学校に入り、卒業直後に沖縄に派遣された。任務は護郷隊の結成・教育と住民の掌握。住民を掌握する要は、軍に協力させ、裏切り者を出さないこと。「住民を使った秘密戦を学んだ彼らが持ち込んだ構図、つまりスパイは常に周りから入り込むという恐怖を煽り、警戒させること。軍の機密を知ってしまった住民が米軍に投降すればこれも通敵=スパイ行為とみなすという価値観と密告の奨励」が村々にいきわたった。村上は第一護郷隊隊長として遊撃戦を戦ったが、途中から戦意を失った3~4000人の他部隊の兵士が陣地になだれこみ、敗残兵と住民の「始末」が村上を悩ませた。

やがて敗戦。村上が籠った山を下り米軍に投降したのはポツダム宣言受諾から5カ月後、1946年1月だった。戦後、元少年兵たちは戦死した隊員の慰霊祭を企画して村上を呼ぼうとした。村上にようやく沖縄への渡航許可が下りたのは1955年。それから2002年までの47年間、村上は一度も休むことなく沖縄に通いつづけ、元少年兵たちと戦死者を慰霊し、酒を飲み、カチャーシーを踊った。

村上と岩波が戦った「秘密戦」は沖縄だけのことではなかった。本土決戦に際しては全国に護郷隊と同じ「国土防衛隊」を組織し、陸軍中野学校の出身者を中心にゲリラ戦を展開する。そのための教育機関として中野学校に「宇治分校」がつくられた。第3章では、ここに学んだ岐阜の「国土防衛隊」の元教官と元少年兵の証言が収められている。沖縄で起きたことは、戦争がつづけば日本全国で起きるはずの事態だった。

本書の後半には、スパイ容疑で多くの住民が殺された事件と、住民を虐殺した3人の将校・下士官を巡る証言が収められている。

沖縄戦の末期、米軍は着々と北上してくる。村を逃げ日本軍とともに山へ避難していた住民のなかには、飢えて山を下りて生活しはじめる者、米軍に投降して収容所に収容される者も多かった。敗残兵が多く統制のきかない軍隊、米軍地域と日本軍地域を行き来する住民、飢餓と混乱のなかで軍民ともに疑心暗鬼にとらわれ、「スパイリスト」がつくられる。「命がけで食糧さがして、生きるために、生活するために精いっぱいなのに。早く山を下りた人はスパイなんだと、勝手に決めつけているわけさ。日本軍が、自分が生きるために」

この住民虐殺は、沖縄戦で聞き取り調査がいちばんむずかしい分野だと三上は言う。「踏み込んで言えば『手を下した日本軍』の中に、沖縄県民が含まれていることもあるからである。密告した人と、殺した人、殺された人の遺族が戦後も同じ集落に住み続けなければならない地域もあった」。それだけに証言をする人たちの口も重い。スパイリストに載せられた当時18歳の女性は、著者が四回目に会って話を聞いたとき、ようやく自分が夜、寝ているときに兵隊に踏み込まれ殺されかけたことを語った。

第5章では、住民を虐殺したことがはっきりしている3人の軍人について記述される。3人の戦後についてだけ紹介しよう。少なくとも7人の住民を殺した陸軍曹長は、復員後、遠縁の家に婿養子に入って製材所を立ち上げて成功した。家族には戦争で沖縄に行ったことを一言も言わず、70歳で亡くなった。

スパイとして本人だけでなくその家族も斬殺した海軍大尉は、記録では行方不明とも戦死とも書かれている。だが著者の調べでは、敗戦後も生き延び山に潜伏していたところを米軍に発見され収容された。けれども、その後の消息は同じ部隊の誰もが語らず、「行方不明」のまま封印されている。

スパイ殺害を自ら手帳に記録した海軍少尉は、山に籠っているところを米軍に発見され射殺された。その地区の村人は、村人と親しかった少尉ら12人を丁重に埋葬した。戦後、少尉の両親が沖縄を訪れて手厚く葬られていることに感激し、村人との交流がはじまった。両親は慰霊碑を建て、事あるごとに地区に寄付し、毎年、命日には必ず慰霊碑を訪れた。両親が亡くなってからも、少尉の妹やその子供と地区との交流は今もつづいているという。

陸軍中野学校に国内ゲリラ戦のための学校があったことからわかるように、軍は本土決戦のために「国内遊撃戦の参考」などのマニュアルを作成していた。ここでもスパイと疑われる者には「断乎たる処置」を取ると明記されている。別のマニュアルには民間人を「義勇隊」として組織することや、義勇隊が「不逞の徒」に「適切なる処置」をほどこすことも規定されている。

「もし半年でも終戦が遅れてこの教令のもとに『本土決戦』が始まっていたら、敵の攻撃による被害とは別に地域社会の中に不逞分子の処置が横行し、しかも軍人すら介入しない処刑も起きうる状況にあった。沖縄戦以上の悲劇が各地で起きていたことは明らか」と著者は記す。これは遠い歴史の彼方のことでも、沖縄という地域だけに起こった出来事でもない。日本国中どこでも起きる可能性があったし、もしかしたらこれからも起きるかもしれない。そういうものとして本書を読んだ。

三上が話を聞いた元少年兵はいま、90歳前後。戦後ずっと、仲間うち以外では口を閉ざしてきた。その重い口を開けた著者の誠実と粘りがこの貴重な記録を生み出した。(山崎幸雄)

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2019年9月15日 (日)

「湘南」の誕生

Shounan_masubuchi

増渕敏之 著
リットーミュージック(288p)2019.02.28
1,728円

「湘南」という言葉はごく日常的な言葉として使われている。しかし、その言葉は多様なイメージを持っていることからその構成要素を分析して「湘南」を考えてみようというのが本書の狙い。著者は1957年生まれというから、私より10歳若い世代であることを考えると、「湘南」という言葉から受ける感覚の差はそれなりに大きいと想像できる。しかし、本書では歴史的経緯や、「湘南」を表現した多くのコンテンツを客観的に捉えることで、世代論として議論を狭めることはない。読者自身の「湘南」経験を本書が示す湘南イメージ全体の中に位置付けてみるという、双方向的な感覚が面白い読書になった。

湘南という地域名称の発祥から本書はスタートする。1669年、大磯に禅僧の崇雪が鴫立庵を構え、「著盡湘南清絶地」と石碑に刻んだことに因んでいるという見方。加えて、明治以降、文人たちが相模川を湘江と呼び、その南側を「湘南」と名付けて政治結社、病院、会社、村などに「湘南」を冠していったという歴史が紹介されている。

一方、相模川の東岸である茅ヶ崎や寒川などでは「湘東」という名称が橋や団体名に付けられていた等、歴史的な「湘南」の範囲については興味深い話が多く紹介されている。

そして、現在の行政上の区分や、自動車の「湘南」ナンバープレートの対象自治体、気象庁が使う湘南の範囲の間でも地理的相違があるが、いずれにも鎌倉、逗子、葉山は入っていない。一方、湘南の範囲に関するアンケート結果が紹介されているが、第一位は「茅ヶ崎から葉山まで」であり、「大磯から葉山まで」が第二位であるという結果を見ても湘南の定義の複雑さが良く判る。

明治以降の大きな変化は西欧文化の流入とともに海水浴保養が謳われ、御用邸や別荘地化が進み湘南文化の礎となった。この範囲は大磯から葉山までの海岸線であり、こうした開発を支えたインフラとして国府津までの東海道線の開通(1887年)、横須賀線の開通(1889年)は重要な要素であった。

こうした要素を踏まえて、著者は本書における「湘南」を「大磯、平塚、茅ヶ崎、藤沢、鎌倉、逗子、葉山」としてその範囲を定義している。

この地域としての「湘南」の等質性を著者は以下の三つの構成要素で説明しようとしている。別荘文化に代表される「高級・富裕」イメージ。サーフィン、ヨット、海水浴といった夏と海に代表される「若者」イメージ。「爆走族・暴走族」に代表される「ヤンキー」イメージ。これらが重層的に組み合わされて湘南イメージが作られていったという仮説である。これらを湘南の発展や歴史的事象に加えて、文学、音楽、映像、マンガといった領域での湘南の表現の実態を描いている。

「湘南の音楽」という切り口では、自由民権運動の盛んな時代に演歌師として活躍した添田唖蝉坊やオッペケペ節の川上音二郎が茅ヶ崎に住んだところから著者は語るが、そう言われても「なるほど湘南」という感覚は希薄だ。しかし、戦前に上原謙が病気がちな息子の加山雄三の健康のために茅ヶ崎に転居したという逸話や、戦後の相模湾沿岸の米軍演習場や施設が作られて米国に代表される基地文化が湘南サウンドの創成に大きく影響したと見ている。

こうした歴史を踏まえて、「湘南サウンド」を、湘南育ちの若者を中心に発表された海やスローライフを主なテーマとした一連のライトミュージックと定義しているのだが、加山雄三とランチャーズ、ザ・ワイルドワンズの時代を経て、1972年に荒井由実が登場し、初期の作品の「天気雨」では直接的に湘南が登場する。八王子に住んでいた彼女と湘南を結ぶ相模線か重要なインフラであり、加えてTUBEも座間の出身で相模線の貢献を指摘しているのは鉄道好きの私としては拍手したくなるような分析である。

そして、サザンオールスターズが茅ヶ崎出身として1978年にデビューしたが、そのインパクトの大きさを考えるとサザンの持つ「湘南」イメージは圧倒的である。一方、堀ちえみや荻野目洋子といったアイドル達も楽曲として湘南を歌っているものの、湘南を表現するコンテンツはやはり自作自演のアーチストの持つ表現力の強さが裏打ちされているという事だろう。

「湘南の文学」として、1903年に発表された村井玄斎の「食道楽」が取り上げられている。村井は平塚に広大な敷地を持ち耕作をしながら、東京や大磯から著名人を招きまさに食道楽を堪能していた人間である。そして、大正期に入り、里見弴、久米正雄など多くの文士が本邸や別邸を構えて鎌倉文士と言われ、鎌倉を舞台とした多くの作品を発表していた。

戦後は1955年に石原慎太郎が葉山を舞台とした「太陽の季節」を、1964年立原正秋が鎌倉を舞台とした「薪能」といった名作が生まれる。その後、片岡義男の「スローなブギにしてくれ」、村上春樹の「村上朝日堂」などにも湘南が語られているとしている。ただ、私は「スローなブギにしてくれ」からは「湘南」というよりも、あの時代の「若者の切なさ」を感じていたというのが実感である。

「湘南の映像」という切り口として、まず1936年に松竹撮影所が蒲田から大船に移転したことが指摘されている。これを契機に俳優たちが鎌倉などに居を構えたり、大船の都市開発の進展なども湘南イメージの醸成の一翼を担ったと言える。

湘南を描いた映画としては「太陽の季節」や「若大将シリーズ」、黒沢明の「天国と地獄」など多くの映画作品が紹介されているが、その中で1971年の藤田敏八の「八月の濡れた砂」や1990年の桑田佳祐の「稲村ジェーン」が私としては印象深い作品である。この二作はともに主題歌が大きなインパクトを感じていたことを思い出す。

最後の視点は「湘南とマンガ・アニメ」である。「スラムダンク」や「ピンポン」「南鎌倉高校女子自転車部」といった作品のストーリーから「ヤンキー」と「湘南」の係わり合いを読み解いているのだが、私は1980年代以降のマンガやアニメについては知見もなかったが、唯一、イラストレイターのわたせせいぞうを取り上げていたところは共感できるところであった。1970年代に出逢ったわたせのイラストや作品には若い落ち着いた男女、海、車、空といった風景が独特な色彩感覚で描かれている。わたせの作品が持つイメージは私の湘南の感覚に重なり合うというのも事実である。

こう考えてみると「湘南」という地域イメージ、地域ブランドの形成とは各自治体の努力によって作られたものではなく、時代と人々によって自然と作られていったというのが著者の主張の大きなポイントであり、多くの自治体が現在進めている地域活性化の戦略のヒントになるだろうと言う主張もしている。「湘南」で終わらせることなくこうした分析から地域活性化のヒントが生まれてきてほしいと思うのだ。

私は1987年から1991年の4年間(年齢的には40代前半)平塚市八重咲町に住んでいた。村井玄斎の旧宅と道を隔てたところだ。10分も歩けば海岸。134号線をドライブして茅ケ崎や片瀬などのレストランを訪れたり、平塚海岸からの投げ釣りや花火大会を楽しみ、箱根駅伝の応援をしたりと、東京の下町育ちとしては束の間の湘南ボーイを体験した。そうして充分楽しい時間を過ごした思い出を蘇らせてくれた読書であった。(内池正名)

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2019年3月15日 (金)

「贖罪の街(上下)」マイクル・コナリー

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マイクル・コナリー 著
講談社文庫(上320・下320p)2018.12.14
各950円

ミステリーのシリーズものを読む楽しみは、なじみのバーで酒を飲むのに似ている。バーへの道筋の風景は、すっかりなじんでいる。扉を開け、まずはお気に入りの席が空いているかどうか目で確かめる。その席に座ると、バーテンダーが黙っていても自分のボトルをカウンターに置いてくれる。いつもの酒(ジャック・ダニエルズのソーダ割)が目の前に差し出される。そして気の置けない会話。すべての手順が決まりきって、すべてが心地よい。

ミステリーのシリーズものを読むのも、そんな安心感とともにある。なじみの主人公と、主人公を取りまく常連たち。彼らの関係性が時に発展し、時に停滞しながらも小宇宙をつくりだし、そのなかに浸るのが快い。でも読者というのは贅沢であり残酷でもあるから、長いことシリーズものを読んでいると、ある瞬間、その小宇宙になじみがあるからこそ飽きがくることがある。そんなふうにして、いくつのシリーズものと別れてきたことだろう。

ローレンス・ブロックの探偵マット・スカダーものは飽きがくるまえにシリーズ自体終わってしまったが、ロバート・パーカーのスペンサー・シリーズ、パトリシア・コーンウェルの検視官スカーペッタ・シリーズ……。ほかにもある。そんななかで、今も読みつづけているのがマイクル・コナリーの刑事ハリー・ボッシュ・シリーズだ。『贖罪の街』は、その最新作。

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2018年11月22日 (木)

「親鸞と日本主義」中島岳志

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中島岳志 著
新潮選書(304p)2017.08.25
1,512円

今年5月のブック・ナビで中島岳志の『超国家主義』を取り上げたとき、書店で同じ著者のほかの本もぱらぱらと立ち読みした。そのとき、『親鸞と日本主義』がどうやら『超国家主義』と対になる著作であるらしいことがわかった。研究者の書くものというよりノンフィクションのようだった『超国家主義』につづけてこの本も読みたくなったので、今月はちょっと古くなるが去年8月に刊行された『親鸞と日本主義』を取り上げることにした。こちらは、いかにも研究者の著作というスタイルが採用されている。

2冊とも明治から昭和前期にかけての超国家主義を素材とする。『超国家主義』は、近代化によって生まれた自我意識と立身出世の風潮や封建的家族関係の相克に悩む煩悶青年がテロリストとして転生する「テロリスト群像」といった趣きの本だった。彼らのなかには、日蓮の教えを独自に解釈して「国家改造」「昭和維新」を夢見た日蓮主義者が多くいた。

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2018年10月22日 (月)

「じーじ、65歳で保育士になったよ」高田勇紀夫

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高田勇紀夫 著
幻冬舎(306p)2018.08.30
1,404円

著者はIT業界という育児とは無縁の職場で定年まで活躍し、退職後に待機児童の問題を目の当たりにして65歳から保育士として働くことを決意したという。保育士の資格取得から、保育士としての体験とそこから得られた保育に関する提言を一冊にしたもの。

保育士の仕事の内容も、国家資格であることさえも知らなかったシニア男子が典型的な女性の職場に適応できるのかといった不安もかかえつつ「保育士になる」と決断させたのは、問題解決の一助として貢献したいという一念だったと著者は語っている。少子化や待機児童に関していろいろな立場の人達から問題提起がなされてきたし、ニュースにもなってきた。それに伴い、政府施策が華々しく発表されたものの、結果として問題解決に至ったという感覚はあまりない。そうした中で、問題を声高に語るだけでなく、保育士としての貢献だけに満足せず、課題を探り提言するという一連の活動は著者の意志の強さを感じる。

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2018年5月20日 (日)

「醤油 (ものと人間の文化誌 180) 」 吉田 元

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吉田 元 著
法政大学出版局(269p)2018.03.09
2,808円

古代から現代まで日本における「醤油」の歴史を辿っている一冊。加えて、アジア各国における「醤油類」の製造についても俯瞰していて、広範囲な醤油文化を描いている。技術に重点を置いた内容なので、詳細な醗酵のメカニズムや製造プロセスの説明など、読み手の興味によって、選択的な読書をしても良いと思う。醤油の歴史についての好奇心を満たしてくれる十分な内容になっている。

いうまでもなく、醤油は日本で愛されて来た発酵調味料。その理由として、温暖湿潤な気候に支えられた農耕文化のわれわれ日本人の食生活は穀物中心の植物性タンパク質を大量に摂取するため。塩に頼った味付けが必要だった。過去においては、こうした日本型の食生活の欠陥として動物性タンパク質の摂取不足と塩分の過剰摂取が指摘されてきた。最近はその日本食は健康食として世界からもてはやされているというのも皮肉なものである。要すれば、何事につけても過剰摂取やバランスの崩れが食生活として問題が有るという事なのだろう。

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2018年2月21日 (水)

「主権なき平和国家」伊勢﨑賢治・布施祐仁

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伊勢﨑賢治・布施祐仁 著
集英社(272p)2017.10.31
1,620円

沖縄で米軍機の事故や米兵の犯罪が起こるたびに「日米地位協定」という言葉がメディアをにぎわす。でも、たいていは「協定によって○○(逮捕とか、調査とか、規制とか)できない」というだけで通りすぎてしまう。日米地位協定とはそもそもどんなものなのか、多くの人が知らないのではないか。僕自身もそうだった。そこで「地位協定の国際比較からみる日本の姿」というサブタイトルのこの本を読んでみることにした。

著者のひとりである伊勢﨑賢治は、国際NGOで活動した後、国連PKO幹部として東チモールの行政官となり、シエラレオネでは国連派遣団の武装解除部長を務めた。また日本政府特別代表としてアフガニスタンの武装解除を担ったこともある。自称「紛争屋」、世界の紛争地の現場で仕事をしてきた人である。本書はジャーナリストの布施祐仁が伊勢﨑へのインタビューを基に、他国の地位協定のありようを調査してまとめたものだ。

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2017年4月25日 (火)

「ジャズメン死亡診断書」 小川隆夫

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小川隆夫 著
シンコーミュージック・エンタテイメント(312p)2017.02.13
2,160円

著者は自ら整形外科医・Jazzジャーナリストと名乗っているように、ジャズ好きと医師という二つの目線を組み合わせながら「ミュージシャンの『死』から見えてくる人生、そして聴こえてくるジャズ」という考え方に基づいて彼らの人生を表現してみせている。具体的には23名のジャズ・ミュージシャンの死亡原因とその経緯を著者の医学的考察を示し、そこから遡って、音楽活動の記録を重ねてプレーヤー達のジャズ人生を振り返ってみるという試みである。このユニークな手法では死亡原因を探り、持病、麻薬中毒、アルコール依存、そして人間関係などメンタルな要素も加えることで、ジャズプレーヤー達の生き様を描き出すという構想を温めてきたとして次のように語っている。

「『音楽はミュージシャンの写し鏡』とよくいわれる。演奏に人柄が反映されていることも少なくない。……マイルス・デイヴィスやブルーノートの創業者であるアルフレッド・ライオンのお墓や墓地からは、その人物のひととなりが見えて来て、さまざまなことを考えさせられた」

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2016年11月20日 (日)

「〆切本」 夏目漱石ほか

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夏目漱石ほか 著
左右社(365p)2016.08.30
2,484円

本書は「作品原稿の〆切(締切)」にまつわるアンソロジーである。夏目漱石、田山花袋、泉鏡花といった明治・大正の文豪から堀江敏幸、吉本ばなな、西加奈子といった気鋭作家まで、作家、評論家、漫画家、加えて出版・編集関係者など90名の文章が集められている。物を書いて禄を食んでいる人達だけに「書けない・〆切に追われる」描写は切実で、「作家と編集者との関係」についても仕事と割り切れない複雑な人間関係も見て取れる。

本書を読んでいると作家一人一人の性格に肉薄できた気になるし、作品を通してイメージしていた作家の人物像とのギャップも垣間見えるという点も面白い。それにも増して、〆切に苦しみ、悩み、もがいている作家や編集者たちの姿に同情と共感が残るのはどんな仕事でも時間や日程に追われるからだろう。

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2016年3月17日 (木)

「自然の鉛筆」トルボット

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ウィリアム・ヘンリー・フォックス・トルボット 著
赤々社(192p)2015.1.27
4,320円

写真の歴史に興味のある人なら、トルボット(タルボットと表記されることも多い)、あるいは『自然の鉛筆(The Pencil of Nature)』という言葉を目にしたことがあるにちがいない。トルボットは19世紀前半、ニエプスやダゲールとともに写真術を発明した草創期の写真家であり、『自然の鉛筆』とはトルボットが出版した世界最初の写真集のことだ。

1844年から46年にかけて6巻刊行された『自然の鉛筆』には合わせて24点の写真が収められている。写真史の本にはたいていそのなかから、トルボット邸の厩舎の開いた扉と立てかけられた箒の写真が、小さく不鮮明な複写(複写の複写)で使われている。僕自身もそのように写真の黎明期を象徴する資料のひとつとしてこの写真を認識していたにすぎなかった。また彼が考案したカロタイプという写真術の歴史的意義は、ネガ・ポジ法によって一枚のオリジナルから同一のコピー(プリント)を無限につくりだせることにあった。そのような写真術を発明したトルボットと『自然の鉛筆』は、多くの人にとって偉大ではあるが過ぎた歴史のひとこまとして整理されていたと言ってもいいだろう。

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