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2020年9月18日 (金)

「太平洋戦争の収支決算報告」青山 誠

青山 誠 著
彩図社(224p)2020.07.27
2,608円

昭和20年8月15日のポツダム宣言受諾から75年。新聞やテレビで75年という数字が飛び交っている。そして今更ながら、73才である自分が終戦から2年弱で生まれたという実感とともに、その混乱の時代に働き、家庭を守り、二人の子育てをした両親の苦労に今更ながらに思いを馳せるばかり。同様の苦労は多くの戦前・戦中派の国民が体感したものだろうが、そうした自らの戦争体験を語り継げる世代は減少し、戦後育ちの国民しかいなくなる時代もそう遠くないのだろう。

15年戦争と言われる時代を俯瞰すると、昭和6年の奉天郊外で発生した「満州事変」、昭和12年の北京郊外の盧溝橋事件に端を発する「支那事変」から日中全面戦争に突入して行く。こうして欧米諸国との関係も悪化し日本の孤立化は進み、国内では仮想敵国としてアメリカの脅威を煽る中で、昭和16年に太平洋戦争が始まる。滅亡を覚悟して国力の限界をはるかに超えて投入され続けた金・物資・人命等、この戦争で途方もない消耗があった。本書のタイトルが「収支決算報告」とある通り、太平洋戦争で投下された戦費、失った物的・人的資産、そして賠償という視点でまとめられている。そこには、主義についての議論はなく純粋に数字から太平洋戦争とは何だったのかを問い掛けている。その一つとして、戦後の軍事恩給の支給対象者数の推移と支給総額を見るにつけ、国民にとっての「戦争の意味」と「国家負担額の膨大さ」という異なった視点をそこから読み取ることが出来る。

昭和15年に近衛内閣は「東亜共栄圏」と名付けた政策を打ち出し、欧米列強の植民地支配からアジアを解放するという理念のもと、アジア各国の協調を呼びかけた。一方、アジア各国への日本の資本投資額は我が国の経済力の限界もあり、石油資源国の蘭印では欧米・中国からの総投資23億ドルの中で日本の投資額は1%以下であり、中国の1/10でしかない。石油の確保の為、開戦前に必至で交渉を続けていた蘭印に対しても、経済的な手段による権益確保という戦略が取られていないという意図のちぐはぐさが見える。また、戦前の日本の石油はアメリカに80%依存していたが、そのアメリカを仮想敵国としながら昭和16年の禁輸までは備蓄用石油をアメリカから買っていたという矛盾も見えてくる。

そして、開戦時の国力を列強と比較すると、日本のポジションはアメリカとの比較でGDPベースは1/5、工業生産高は1/10であった。こうした数字を見るにつけても開戦を決定するプロセスで客観的な分析を示した官僚なり軍参謀は居なかったのか、と考えるのは当事者でない現代人の気楽さなのだろうか。

まず、本書での「戦費」の部分を概括すると、支那事変(昭和12年)から終戦(昭和20年)までの8年間で総額7559億円の軍事費が使われたという。この間、毎年GDPの25%以上、昭和20年には60%が軍事費として支出されており、GDPの1%の軍事支出で済んでいる現代と比較すると戦時の厳しさが判ってくる。この7559億円という数字を現在の貨幣価値で理解するために、大卒初任給の昭和16年(1941年)と現在を比較すると2500倍となるので、この比率で見ると太平洋戦争軍事費の7559億円は現在価値では1,889兆円となり、2019年のGDP553兆円の3.4倍となる。本書でも色々な金額が示されるのだが、消費者物価指数であったり、GDP比であったりして理解が難しいところもあったので、私は大体2500倍程度として現在価値を理解することにして読み進んだ。

各論としては軍隊編成のための人件費が語られている。当時陸軍550万人、海軍240万人という国民の10%が兵役についていたが、例えば、二等兵は月額6円の支給であった。食事や衣服は全て無償支給されていたとはいえ、当時、軍需工場に動員された女学生は月額30円を手にしていたと聞くとそのギャップに驚くばかり。兵役は義務なので、軍からの支給金額に不満で兵役を拒否することは出来ない。軍馬34万頭、軍用犬1万頭の食管理費などと比較して、馬の方が二等兵より待遇が良さそうに見えたりするのも辛い所である。

兵器については、兵力としての能力や威力を考えたことはあるがコストを考えたことは無く、新たな発見もあった。銃・戦車・航空機・戦艦といったコストが示されているのだが、零戦は開発当初は一機5万円だったが、エンジン性能や防護機能を向上につれ末期には10万円になっていたという。現在価格でみると一機1億円から2億円。この零戦を1万7千機製造している。加えて飛行場の建設、搭乗員の訓練、整備費用、燃料代などが積みあがっていくことを考えると航空戦力の確保のコストも膨大なものになることが判る。海軍でみると、昭和12年から6ヶ年計画で大和型を含めて66隻の軍艦が建造されているが、大和型でいえば単価1億4千万円(現在価値は3400億円)。高いのか安いのか判断できないが、自衛隊の最大艦「いずも」のコストを調べてみたが、大和の1/3の排水量で1200億円と言われていることを考えると、いつの時代も軍艦とは高価なものであるらしい。

開戦の重要なトリガーであった石油の視点で考えると、すべての軍事費7559億円をつぎ込んで、蘭印の石油、年間1000万キロリットル(2億7千万円)の確保を目指したと言う収支の戦いだったというなんとも虚しいバランスが明らかになる。

次のテーマである「損失」を概括すると、終戦直後の帝国議会で東久邇首相は、太平洋戦争での戦没者を軍人46万7千人、民間人24万1千人の計70万8千人と報告している。しかし、現在の戦没者の数字は昭和52年の政府報告による、軍人230万人、民間人80万人の計310万人と言われている。時間の経過で判明して行く戦没者が戦後30年間続いていたという事か。

軍備の損失については、海軍艦艇は80%を失い全滅状態。航空機は本土決戦用に5000機が温存されていたが廃棄。生産力で見ると石油精製施設の58%、火力発電所の30%、産業施設の50%を喪失している。まさに日本の全産業が壊滅状態だった。

日本は敗戦によって日清・日露の戦争で獲得したすべての植民地を失い、国土は67万5千㎢から37万8千㎢に減少した。敗戦国である日本は国・企業・個人の、台湾では、日本の資産総額は425億円(現在価値8.5兆円)。朝鮮半島では、戦後GHQ・日本銀行・大蔵省の共同チームが調査し日本の総資産は891億円(現在価値17兆円)。満州では資産総額は1465億円(現在価値で30兆円)という膨大なものである。その他南樺太、中国本土などでも膨大な日本の公私の資産が存在していた。昭和26年に講和条約が日本と連合国48ヶ国の間で調印されたことで、連合国の占領統治が終ると同時に日清・日露戦争で得たすべての植民地と日本の対外資産3794億円(現在価値75兆円)を放棄することと引き換えに連合国の多くが戦時賠償請求権を放棄した。

この講和会議に参加していない中華民国、中華人民共和国、韓国臨時政府などが個別の条約を締結して行くことになる。昭和27年に中華民国との平和条約を締結して賠償放棄。昭和40年に韓国と日韓基本条約締結し、日本が2880億円の経済協力金の提供し、韓国が賠償請求権を放棄した。昭和47年に中華人民共和国と日中平和条約締結し賠償請求権放棄に対して日本はODAで以降40年間に3兆6500億円が拠出されている。

自国民に対しての賠償は軍人恩給・戦傷者恩給の形で行われた。私は恩給を数字として捉える機会が無かったので、個々の手厚さとともに支給総額については考えさせられる点が多かった。恩給の受給対象者は830万人、昭和27年の制度創設から現在までの支給総額は50兆円を超えている。これは他国への賠償金総額よりも大きな負担であるし、現在の国民年金よりも手厚く、戦後日本に存在したことになる。そして、中国に対するODAの額も違和感は残る。何故という問いに対して著者は「昭和20年の東久邇稔彦首相の一億総懺悔発言が、手厚い軍人恩給や経済大国となった中華人民共和国にODAを与え続けると言う矛盾の原点になっていたのではないか」と述べている。

軍事費を調達するために、不足分は膨大な戦時国債によって賄われていった。国民はなけなしの金で国債や公債を買っていった。しかし、終戦後の昭和21年に財産税法が制定され国民が国内に所有していた財産全て(不動産・預金・株券・戦時国債)対して25%~90%の高率な税を課した上に、インフレが進み昭和24年の物価指数は昭和12年の約220倍となった。この二つの要素で日本国政府は債務整理を実施したことになる。要すれば、太平洋戦争に勝とうが負けようが国民はその財産を奪われたと言える。今私の手元に「大東亜戦争割引国債債権・参拾円」が一枚残っている。父が残した本に挟まっていたのだと思うが、発行日が昭和18年、償還日は昭和28年とある。ハイパーインフレの中では戦時国債も本の栞がわりに使われたと言ったところだろうか。そして振り返れば、現在のコロナとの戦いの財政資金の使い方やその決断を冷静に考える必要性もあるのだろう、というのが読後感である。「アベノマスク」を曽孫が見つけてこれは何?と思うようなものか。内池正名)

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2020年8月17日 (月)

「大洪水の前に」斎藤幸平

斎藤幸平 著
堀之内出版(356p)2019.04.25
3,850円

去年、斎藤幸平編『未来への大分岐』(集英社新書)を読んだ。編者とドイツの哲学者マルクス・ガブリエルら3人との対話で、グローバル化した資本主義の危機が論じられていた。NHK・Eテレがマルクス・ガブリエルの特番をつくったときも斎藤は番組に顔を見せていて、そんなことから彼のことが気になった。

でも斎藤の唯一の著書である『大洪水の前に』は、ベルリン・フンボルト大学に提出された博士論文を基に再構成された本で(博士論文の英語版で2018年ドイッチャー記念賞受賞)、書店でぱらぱら立ち読みするとえらく難しい。とても73歳のジジイのにおえる本ではないと尻込みしていたが、コロナ禍で家にいる時間が長いので思いきって挑戦することにした。買って奥付を見ると「第3刷」とある。出版の危機が言われるなか、少部数であるにせよこういう本に興味をもつ読者がちゃんといるんだと、半分引退した編集者として心強く思った。

この本には「マルクスと惑星の物質代謝」とサブタイトルがつけられている。取り上げられているのはガブリエルでなくカール・マルクス。しかも、かつてソ連で刊行された『マルクス・エンゲルス全集』には収録されず、現在刊行中の新『マルクス・エンゲルス全集』にいずれ収録される、未刊行の抜粋ノート、メモ書き、蔵書への書き込みを丹念に調べて、未完成に終わった『資本論』第2、3巻(マルクス没後、エンゲルスの編集で刊行)が本来どんな構想を持っていたかを考えるという雄大なもの。あらかじめ言ってしまえば、晩年のマルクスには現在の言葉でいうエコロジー的な視点があり、利潤追求を最優先に求める資本主義は自然と人間の関係を歪めて持続可能性を持たないシステムであるという結論になるはずではなかったか、と著者は推論している。

このエコロジー的な視点は、19世紀の言葉でいえば「物質代謝」ということになる。従来、マルクスは資源の枯渇や生態系の破壊といった環境問題に関心がなく、技術の進歩と経済の成長によってすべてが解決するという生産至上主義だという批判が根強くあった。確かに若きマルクスには、そういった19世紀の楽観的な近代主義の言葉が散見される。でも1848年にヨーロッパの革命が挫折して以降、マルクスは自然科学の研究に没頭して自然というものが持つ限界を知り、資本と自然の緊張関係のうちに資本主義の矛盾を見定めるようになった。未刊行の抜粋ノートやメモ書きからそれが見えてくる、と斎藤は言う。

「物質代謝」という言葉は19世紀初頭から生理学の用語として使われていた。あらゆる生物が外から栄養物を摂取・吸収・排泄するかたちで、外界との関わりのなかで生命を維持していることを指す。さらにこの言葉は自然科学だけでなく哲学や経済学の領域で、人間の生産・消費・廃棄といった社会的活動を分析する概念としても使われるようになった。

マルクスはこの言葉に刺激を受け、自らの経済学批判に用いるようになる。人間もほかの生物と同様に外界の自然との間で「物質代謝」を行なっているが、人間は労働というかたちで「意識的」に自然と関わる。その結果、人間と自然の「物質代謝」は労働の社会的あり方に対応して変容を迫られる。資本主義の社会は、一方で自然の力(エネルギー、食料、原料)を徹底的に開拓し利用しようとするが、他方で利潤獲得が最優先されるため、限界を超えて自然の力を利用するようになり世界的規模で「物質代謝」に矛盾と軋轢をもたらす。

マルクスは、およそそんな道筋で資本主義の矛盾を考えるようになった。もちろん斎藤によるマルクスの抜粋ノート追跡はこんな大雑把なものでなく、「素材」と「形態」、「物象化」、「商品」といった概念を駆使した細かなものだが、その過程(それこそ斎藤論文が評価された部分だろう)は省略。興味ある方は書店へどうぞ。

もうひとつ、マルクスが自然科学研究から取り入れたのが「略奪農業」という言葉。若きマルクスは農業についても技術と化学(肥料)によって農業生産を増大させられると楽観的だったが、「物質代謝」という概念でもマルクスに影響を与えた化学者リービッヒは、土地の肥沃さを維持することを考えず、利潤を得るために自然の無償の力を絞りつくす農業を「略奪農業」と批判していた。これに刺激を受けたマルクスは、土地の疲弊や自然資源の枯渇について研究するようになり、やがて「大土地所有は、社会的な物質代謝と自然的な、土地の自然諸法則に規定された物質代謝の連環のなかに修復不可能な亀裂を生じさせる諸条件を生み出す」(『資本論』)と書くにいたる。

晩年のマルクスは、土地の疲弊、森林伐採、(高く売るための)羊の奇形的飼育といったさまざまな持続可能性に関心を持っていた。また、過度な農耕と森林伐採が自然的物質代謝の攪乱を引き起こして気温が上昇し、その結果、多様な植生が失われステップが広がってゆくというフラースの著書も読んで抜粋ノートをつくっていた。斎藤は、こうしたマルクスの抜粋ノートが「もし『資本論』が完成したなら、マルクスは人間と自然の物質代謝の攪乱という問題を資本主義の根本矛盾として扱ったという推測を根拠づけてくれるように思われる」と書く。

しかしマルクス死後、その仕事を引き継いだエンゲルスは「物質代謝」という概念をマルクスのようには評価しなかった。結果、エンゲルスの手になった『資本論』第2、3巻では「そのエコロジカルな視座も完全には取り入れられることはなかった」。

では晩年のマルクスは、「物質代謝の攪乱」をどう解決しようと考えていたのか。斎藤は、マルクスのこんな一文を引用している。「歴史の教訓は、農業を別の見地から考察してもわかるように、ブルジョア的制度は合理的農業に反抗し、農業はブルジョア的制度と相容れないということであり、自らの労働する小農の手か、アソシエイトした生産者たちの管理を要するということである」。つまり持続可能な社会であるためには「アソシエイトした生産者」によって合理的、意識的に労働や生産が管理されることが必要ということだろう。

斎藤によれば、マルクスは『共産党宣言』の段階では大恐慌が労働者の蜂起を引き起こすと楽観的に考えていたが、1948年革命の失敗後は楽観論を放棄し、「労働組合などを通じて物象化(注・生産物が商品となり社会的な力を得て生産者に敵対するようになること)の力を制御し、より持続可能な生産を実現するための改良闘争が持つ戦略的重要性を強調するように転換して」いったという。

著者は最後に、宮沢賢治の次のような言葉を記している。「新たな時代のマルクスよ/これらの盲目な衝動から動く世界を/素晴らしく美しい構成に変へよ」

日本では、いまマルクスに対する関心はきわめて低い。その人物も著作も歴史上のものとして整理され棚上げされてしまっている。でも地球規模での経済の長期停滞や、1%対99%といわれる極端な格差拡大、温暖化による気候変動を背景に、ヨーロッパやアメリカではマルクスの再評価、エコ社会主義の視点から新しい読み込みが進んでいるという。そんな世界の最前線を伝えてくれる一冊だった。

カバーは、イルカやクジラが波頭から頭を出した瞬間のイラスト(装画・マツダケン)を全面に銀で箔押しした贅沢なもの。専門的な書籍を、本棚にとっておきたくなるような造本でモノとしての魅力を加え、少部数高定価で出版する。増刷していることからわかるように、こういう方向はひとつのモデルになるかも。(山崎幸雄)

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2018年11月22日 (木)

「タイワニーズ 故郷喪失者の物語」野嶋 剛

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野嶋 剛 著
小学館(315p)2018.06.08
1,620円

本書は「タイワニーズ」という言葉を「本人や家族に多少でも台湾と血統的につながりのある人」と定義した上で、日本で活躍した「タイワニーズ」とその家族(ファミリー)の生き様を描いて、日本と台湾との歴史的関係を多面的に俯瞰してみせている。著者が選んだのは、民進党第二代代表だった蓮舫。戦後政治の裏方として活動していた辜寛敏と野村総研の研究員として活躍した息子のリチャード・クー。「流」で直木賞をとった作家東山彰良。「真ん中の子供達」という日・中・台の中で揺れる若者を描いた作家の温又柔。歌手のジュディ・オング。俳優の余喜美子。「豚まん」で一世を風靡した「551蓬莱」の創業者羅邦強。「カップヌードル」の安藤百福。そして、日・台・中に身を置いた作家の陳舜臣と作家・経済評論家の邱永漢を取り上げている。

この10名とファミリーが各時代に決断を強いられながら生きてきた姿を示すために、野嶋は本人から始まり、両親・祖父母などの家族を調べ、本人・生存する親族にインタビューしたり、記録を調査するために台湾に足を運んでいる。逆に、本人がインタビューを断った人(例えば、渡辺直美)は本書の対象から外すという筋の通し方をしている。著者は、1968年生まれ、上智大学新聞学科を卒業し新聞社に入り、アフガン・イラク戦争の従軍取材や台北支局長等を経て、フリーになったという経歴を持つが、そうしたぶれない取材手法と多くの人達との取材こそが本書の説得力の源泉になっているようだ。

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2018年8月24日 (金)

「宝島」真藤順丈

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真藤順丈 著
講談社(544p)2018.06.19
1,998円

「戦果アギヤー」という言葉がある。「戦果をあげる者」という意味の琉球語(ウチナーグチ)だ。この言葉は、第二次大戦敗戦後、米軍占領下の沖縄で生まれた。

米軍と日本軍の地上戦が繰り広げられた沖縄では多くの民間人が命を落としたが、生き残った者も家や土地など生きる基盤を根こそぎ奪われた。米軍は各所に民間人収容所を設置し、テント、食糧、衣服などを支給。収容所では地域ごとに住民が責任者や民警を選び、これが沖縄の戦後自治体のはしりとなった。

収容所生活が終わっても、土地を米軍基地に奪われ働く場もなかったから、沖縄人が食うに困る状況は変わらなかった。この時期、沖縄人の生活を支えたのは「戦果アギヤー」と「密貿易」だった(岸政彦『はじめての沖縄』)。

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2017年6月23日 (金)

「田中陽造著作集 人外魔境篇」 田中陽造

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田中陽造 著
文遊社(480p)2017.04.25
3,564円

ずいぶん凝った装幀の本だなあ、と思って書店で手に取った。コートしてないオフホワイトのカバー用紙に、余白をたっぷり取った小村雪岱の版画。鏡台のある部屋から外を眺めている。運河と低い甍の連なりは明治の風景か。「田中陽造著作集」のタイトルは、かすれさせた古風な明朝で小ぶりな縦組み。紺色の帯のキャッチコピーに「魔の棲む映画」とある。本を開くと見返しにも雪岱の墨一色の版画。別丁扉の前にもう一枚、半透明で模様入りの扉が挟まれている。雪岱が装幀家、挿画家として人気だった大正から昭和初期の造本を意識したらしい粋な仕上がりだ。

脚本家・田中陽造の名前をはじめて記憶にとどめたのは、「実録白川和子 裸の履歴書」(1973)だったか「㊙女郎責め地獄」だったか。当時、日活ロマンポルノが猥褻図画として摘発されてスキャンダルになり、しかも映画として質の高い作品が多かったので、週刊誌記者として面白がって取材し記事にしたのだった。田中陽造は20本以上のロマンポルノの脚本を書き、その後も『新仁義なき戦い 組長の首』『嗚呼‼ 花の応援団』『ツィゴイネルワイゼン』『陽炎座』『セーラー服と機関銃』『魚影の群れ』『居酒屋ゆうれい』と話題作の脚本を書いた。

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2016年12月20日 (火)

「駄犬道中おかげ参り」 土橋章宏

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土橋章宏 著
小学館(427p)2016.09.14
1,620円

著者の土橋は「超高速 ! 参勤交代」で華々しくデビューの後、時代小説を得意ジャンルとして活躍している気鋭だ。「駄犬道中おかげ参り」は天保元年(一八三〇年)の「おかげ参り」が舞台となっている。この年「おかげ参り」の人数は二百五十万人を超えたといわれている。江戸からの道中は東海道を進み伊勢の四日市宿から分岐して松坂宿を経由して伊勢神宮に至るというルート。旅としては十五日から二十日程の旅だろうか。年端もいかぬ子供達が柄杓一本を持って旅が出来た。この柄杓をみると宿場の人々は伊勢への信心の旅人とわかり施し(路銀の寄進)をしてくれる。人数だけでなく、子供達の安全を担保する環境があったことに驚かされるばかりである。

江戸から伊勢までの旅物語に登場する人物は三人と一匹。まったく見ず知らずの彼らが、江戸を発ち、最初の品川宿、次の川崎宿の間でたまたま出会い共に旅をするというストーリー。

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2016年6月12日 (日)

「谷崎潤一郎文学の着物を見る」大野らふ+中村圭子編著

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大野らふ+中村圭子編著
河出書房新社(160p)2016.03.20
2,052円
谷崎潤一郎を読んだことのある人なら、殊に大正期の初期作品や、己の本性に先祖返りした晩年の作品を読んだことのある人なら、谷崎がどんなにフェティッシュな作家であるかはよくわかっている。

いちばん有名なのは、谷崎が足フェチであることだろう。短編小説「富美子の足」の隠居は「お富美や、後生だからお前の足で、私の額の上を暫くの間踏んで居ておくれ」と富美子に懇願するし、「瘋癲老人日記」の主人公は、元踊り子だった息子の嫁・颯子の足型を取って自分の墓に刻み、嫁の足に踏まれて永眠したいと願っている。颯子のモデルで、谷崎の息子の嫁だった渡辺千萬子と谷崎との往復書簡を読むと、谷崎は実際にそんな願望を千萬子に語っていたのがわかる。

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2015年8月17日 (月)

「堕天使殺人事件」ボリス・アクーニン

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ボリス・アクーニン 著
岩波書店(326p)2015.06.25
2,052円

ロシアのSFはストルガツキー兄弟はじめ豊かな伝統があり、『ストーカー』とか『神々の黄昏』とか映画にもなっているけれど、ロシアのミステリーというのは読んだことがない。書店でぱらぱらページをめくって、19世紀ロシアを舞台にした歴史ミステリーらしいとわかって食指が動いた。

ボリス・アクーニンという名前からして、なにやら怪しげだ。訳者解説を読むと、アクーニンというペンネームは日本語の「悪人」から取ったという。もともと日本文学に通じ三島由紀夫をロシア語訳したジャパノロジストで、本名はグリゴーリイ・チハルチシヴィリ。彼がアクーニンの名前で、モスクワ警察特捜部のファンドーリンを主人公に出版した本書がベストセラーになり、その後発表された「ファンドーリン・シリーズ」はロシアで大ブームを巻き起こした。テレビドラマ化や映画化もされたそうだ。本書は1998年に発表されたその第1作。

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2014年9月11日 (木)

「立ちそばガール! 」イトウエルマ

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イトウエルマ 著
講談社(224p)2014.05.21
1,296円

本書は、日経ビジネス誌のインターネット配信サービスである日経ビジネスオンライン(NBO)に連載されていた、都内の「立ち蕎麦店」食べ歩きのエッセイ「ワンコイン・ブルース」を書籍化したものである。本書を手にしたとき、青・壮年の男性会社員がNBOの利用者層の殆どを占めるとすると、「立そば」と「女性」という二つのキー・ワードがその読者層にプラスに作用するとは考えにくいと直感的に思った。「蕎麦」といえば評者を含めて、世のおじさん達の得意領域であり、とめどなく薀蓄を語りたがるものだし、ましてや蕎麦屋で遭遇する女性客が運ばれて来た蕎麦に手を付けるでもなくおしゃべりをしていたりする姿に、蕎麦屋の親父に成り代わって「早く食え」と言いそうになった経験は一度や二度ではない。また、立そばのイメージについても半世紀前の駅そばのイメージが強く、単に「早いのが取り柄」と見てしまうこともあって、やや斜に構えての読書スタートとなった。

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2014年5月16日 (金)

「大東京23区散歩」泉 麻人

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泉 麻人 著
講談社(322p)2014.03.14
2,592円

著者の泉麻人は1956年生まれ、雑誌編集者を経てコラムニストとしての活躍が長い。TVの人気番組である「アド街ック天国」のコメンテイターとして出演していたのは随分昔のことのように思っていたが、調べてみると、1995年に番組スタート時から5年間ほど出ていたようなので、評者のような団塊の世代からすると、たかだか20年前ということになる。当時、泉は30歳台後半ということだから、街の薀蓄を語るプロとしてその立場に居たというのも才能なのだろう。

本書は2009年から2013年4月までの49回にわたって「おとなの週末」誌に連載された「大東京23区画報」を一冊の本にまとめたものだ。ただし、変化の速い東京の街だけに、例えばスカイツリー建設中に書かれた墨田区の項は、完成している現時点での加筆が行われている等、常に完成形はないのかもしれない。基本的に、東京23区の各区を2回に分けて書いており、中央区・港区・世田谷区だけは例外的に3回に分割している。各区のポイントとなる町や界隈を選択し、歩いているのだが、千代田区を例にとれば、1回目は、丸の内、番町、九段南を、2回目は九段北、神保町、神田、秋葉原をカバーしているという具合だ。

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