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2023年6月16日 (金)

「宝ヶ池の沈まぬ亀 Ⅱ」青山真治

青山真治 著
boid(592p)2022.12.25
3,850円

本書は2022年3月21日に食道がんで亡くなった映画監督、青山真治(享年57)が死の直前まで記した日記だ。青山は『EUREKA ユリイカ』(2000)でカンヌ映画祭国際批評家連盟賞を受けたのをはじめ、『サッド    ヴァケイション』『東京公園』など国際的にも評価の高い映画を何本もつくった。『EUREKA』を自らノベライズした同名の小説では三島由紀夫賞を受賞しているし、映画に関する著書もある。また高校時代にバンドを組んでいたから自作で映画音楽も手がけるなど、多彩な才能を発揮した。ミニシアター系だから興行的に大ヒットした作品はないけれど、どの映画、たとえ失敗作といえそうな映画にも、凄い、と唸るしかないショットが散りばめられている。

この日記はウェブ雑誌に連載されたもので2020年9月から、未発表のままパソコンに保存されていた22年3月までの1年半。実はこの本を読もうと思ったのには評者の個人的理由もあって、この期間は小生と連れ合いが続けてがんを発症した時期にあたる。またコロナ禍とも重なっている。小生が抗がん剤治療、寛解、間もなく連れ合いが発症、看病、介護という時期に青山真治はどのように病気と闘っていたのか、という同志的(?)関心もあった。

日記は20年9月、青山が病院から退院したところから始まる。本書はタイトルからわかるように日記の続編「Ⅱ」で、未読の「Ⅰ」にはそのあたりの事情が書いてあるのだろうが、どうやらアルコール依存からくる低血糖と、呑んでは吐くを繰り返して倒れたらしい。日記には、体力を回復するために自転車に乗り、朝粥を自分でつくるリハビリ生活のなかで、一日の多くの時間をすさまじいまでの「勉強」に費すさまが記されている。勉強の中身は映画(DVD)と音楽(レコード、CD)と読書。その勉強のなかから映画の新しい企画が生まれ、途中からシナリオも書きはじめる。その合間に痛みや発作や呼吸困難が来るのだが、それをやりすごすと、またすぐに映画と音楽と本に戻る。600ページ近い本書のあらゆるページから発されるその気力とエネルギーは、同じくがんを経験した身からすれば信じがたい。

「お粥と自転車と読書と写経(と称して、谷崎『春琴抄』の書き写し)と(ジョン・)フォードと(ラオール・)ウォルシュ、これらによって一日は完璧な形で費やされ、これこそ望んでいた生活である」

「かつて『モノクロホークス全部』や『39年までのフォード全部』『溝口全部』『小津全部』『ムルナウ全部』は成功したものの、それ以降企画倒れに終わることもしばしばで『モノクロルノワール全部』も『モノクロウォルシュ全部』も途中挫折、『ドライヤー全部』は目下『奇跡』一本きり、『西部劇以外のアンソニー・マン全部』も最初の一本のみで空振りもいいとこ。そこに『サーク全部』が足枷として乗ってくる。どれも一度は見ているとはいえ。いい加減一本化してグッと締めていきたい」

ここに挙げられている監督の映画はすべて古典だけど、絨毯爆撃のように次々にDVDを鑑賞する。旧作だけでなく、新作を見に映画館にも出かけて、そのコメントがまた青山らしい。見たのはペドロ・コスタ監督の『ヴィタリナ』。

「超ド級の大傑作だと自信を持って言おう。見事なほど的確な、というか私の好みなのだろうが、初めてデジタル撮影を称賛できた。九割がたナイター(ナイトシーン)といっていいと思うが、時折這入るデイシーンがこれまた何とも絶妙な時間の光を狙っていて、そうした光と影の推移を見ているだけで満足できる。いや、そうではなく映画とは元来そういうものである筈で、話などあってもなくてもどうでもよろしい」

「光と影の推移を見ているだけで満足できる」「話などあってもなくてもどうでもよろしい」とは、青山真治の映画の特質を見事に言い表している(別の日に彼は「因果律にまみれた現在の日本映画」という言い方もしている)。もっとも、それが青山映画のスタイルであるのは確かだけど、でも平凡な映画ファンとしては、映画はああなってこうなる因果律のあるストーリーも大事な要素でしょ、と言ってみたくもなる。

映画や音楽もそうだが、読書も何かに関心が向くと関連本が次々に気になり、購入してしまう(寡作の映画監督として毎月のアマゾンの払いはどのくらいだったか、心配してしまう)。退院直後は新しい企画に関する歴史本に関心が向いている。

「午前中から午後にかけて読書。歴史関連本読了。岩倉具視関係なのだが、あまり知りたいことを知れなかった。というかほぼ知っていることばかりだった。……読まねばならない本が多すぎるとか言っていたら岩波文庫『太平記』全六巻などというものが届いてしまった。もうちょっとこの辺でいい加減にやめておきたい」

新企画にからんだ歴史への関心は、さらに柳田国男、宮本常一、網野善彦へと続く。読書だけでなく、古典を一文字一文字書き写す「写経」は谷崎から漱石「こころ」、一葉「たけくらべ」(「この躍動感。この生命力。写しながらひたすら感動」)へと続く。だけでなく、大学で英米文学を専攻したからか「翻訳と原書の見比べがここしばらく最も夢中な趣味になりつつあり」、あげく「趣味の翻訳」に手を伸ばす。訳すのはフォークナー「サンクチュアリ」。

音楽への興味はバンドをやっていたこともあって、素人の域を超えている。「レコ屋巡りギター屋巡り。渋谷の街があちこち変わっているのに驚く。……レコ屋もギター屋も心和む数少ない空間」。レコードやCDを聴くだけでなく、ラジオの「バラカン・ビート」と「山下達郎 サンデー・ソングブック」がお気に入り。がんを告知された後は、それまであまり聴いていなかったらしいジャズ、それもオーネット・コールマンやジョン・コルトレーンのフリージャズのすべての盤を聴きはじめる(「フリーにロマンは、心はない。というより心をなくすための音楽である」)。

こんな映画や小説や音楽への関心は、それぞれが別個のものではない。青山のなかで、ひとつにつながっている。例えば1970年代の映画『北国の帝王』(ホーボーを主人公にした痛快アクション映画だった)から新作『ビーチ・バム』へとつながる人名や作品を列挙したこんな一文。

「アメリカの『自由』が大恐慌以後そのオルタナティブなラインとしてスタインベックからフォード『怒りの葡萄』を生み、一方でウディ・ガスリーからディランに繋がり、もう一方でエリック・ホッファーやネルソン・オルグレンやビートに、つまりケルアックへと流れ、彼に『ジェフィ・ライダー物語』を書かせ、そこからさらに例えばジャームッシュの諸作へと至る、いわばアウトサイダー文化の大きな潮流となり、この国に存在しないそれをあえて考えるなら『寅さん』が末席を濁す感じかもしれないが、それが現在、ホーボーたちを地の果てマイアミでルノワールや小津と出会わせ、もしくは七福神と出会わせ、bumとしての達磨さんや布袋さんや恵比寿さんのコスプレをマコノヒーにさせ、鯛の代わりに白い子猫を抱かせて船の先に乗せたのがつまり『ビーチ・バム』だ」

青山真治は何を見ても、読んでも、聴いても、その刺激によって脳内でこんなふうに彼だけの曼荼羅図が渦巻いているらしい。

とはいえ病気は容赦なくやってきて、がんが発覚する。「全身が痛み、食べても痛み、ダウン」(21年4月)。「内視鏡検査。喉の痞えは食堂に潰瘍ができたせいで、幅二センチほどの膨らみがある。薬物治療で大丈夫」(5月)、「化学療法。一種類め、これはかなり強いもので割と副作用も重いらしい。続いて二種類め。46時間かかる。一種類めの終わり頃に放射線治療」、「第二の薬を入れる際、刺さった針からその周辺を急激な激痛に見舞われる。それを境に次々と薬の副作用が繰り出され、前後不肖」。

その後も「完全寛解とは言い難い状況」(10月)で入退院を繰り返し、鎮痛剤で痛みを抑えながらの化学療法がつづく。「病院へ。転移再発の可能性」(12月)。年が明けて1月。「病院へ行くと、どうやらよろしくない状況、明日入院と即決」。「一日の覚醒時間の三分の一を占める間歇的な嘔吐感」。2月。病院へ。「おかみさん(女優のとよた真帆)、来たる。三者面談、というか通告。シビア」。「胃瘻を設置する」。3月。「来るべくして来た結果が報告された。三回投与された抗がん剤は効果なし、余命半年以下。秋から想定はしていたのでそれほどの驚きもショックもなかった、お互いに穏やかに事実を認め、受け入れ、真穂(おかみさんの本名)は家に帰り、私は冷静に同僚たちへの報告の手紙を書いた」。

がんを病んだ以後も「勉強」は続いている。その最後の日々に記された、記憶に残る言葉をいくつか引いてみる。

「もうどこにも出かけることはせず、この世の『耻』と『疵』と『痛苦』とともにあるために、森の礼拝堂のような場所で集中すべきなのだろう」
「鎮痛剤を服用して良き読書良き映画鑑賞良き音楽鑑賞をして誰にも読ませるでもないものを書いていればそれで満足な余生を送りたいと思う」
「然るべき瞬間に然るべき位置に『霊性』が映り込んでいることが演出の主眼であって、それ以外はそんなに重要ではない」
「霊性とは、宇宙の中の生命の自覚である。とりあえず、それだけで良い」
「世界をドミニク・サンダのように清廉に感じてもいる」

この本を読みながら、青山真治のスタイルをまねて何本かの彼のDVDを集め、見直したり、初めて見たりしていた。20年ぶりくらいで見た『Helpless』『EUREKA ユリイカ』『サッド ヴァケイション』の「北九州3部作」はいま見ても新鮮で、地方都市を舞台にざらざらした時代感覚に引き込まれる。珍しく他人(荒井晴彦)の脚本で撮った『共喰い』はドラマとしての完成度が高い。はじめて見た『こおろぎ』は海外の映画祭に出品されたきり、国内では公開されなかった。製作サイドのトラブルらしいが、内容も斬新というか大胆というか、いろんなことが説明されずに放り出されている。「話などどうでもよろしい」「光と影の推移だけで満足できる」という青山の言葉を文字通り体現した作品。とはいえ、光と影に敏感な監督だけに青山は女優をきれいに撮る。この映画の鈴木京香はなんともなまめかしい。

遺作となった『空に住む』(2020)でもそれは変わらない。外部から持ち込まれた企画らしく、映画の出来は必ずしも満足のいくものではなかったかもしれないが多部未華子が美しい。殊にラストショット、タワマンの窓辺で彼女が空に向かって伸びをするバストショットは、「世界をドミニク・サンダのように清廉に感じてもいる」という言葉とシンクロしていると思われた。このショットが遺作の最後の画面だったことに、本書を読んだ後では深く納得する。(山崎幸雄)

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2022年10月18日 (火)

「谷崎潤一郎と映画の存在論」佐藤未央子

佐藤未央子 著
水声社(320p)2022.4.15
4,400円

谷崎潤一郎といえば若いころ「細雪」とか「痴人の愛」とか代表作しか読んだことがなく、大作家という印象を持っていたが(それには違いない)、彼が大正時代に書いた初期作品の妖しい魅力に目覚めたのは『美食倶楽部 谷崎潤一郎大正作品集』(種村季弘編・ちくま文庫、1989)を読んでからだった。東京というモダン都市に育った知的スノッブが当時最先端の探偵小説や映画の魅力にはまり、映画館や浅草オペラや見世物が集まる浅草を歩き回り、その経験から犯罪や映画や魔術や美食や異性装を素材に小説に仕立てあげた。文豪というイメージが一気に、そのへんを歩いていそうな都会青年に見えてきた。

同時に、若き日の谷崎が映画という大衆娯楽であり新興芸術でもあったメディアに興味を持っただけでなく、のめりこんだあげく実際に映画製作にもかかわったことを知った。『美食倶楽部』と同じころ、谷崎と映画を主題にした千葉伸夫『映画と谷崎』(青蛙房)が出版され、それが実際にどんなものだったかがわかった。1920(大正9)年、谷崎は横浜にあった大正活動写真(大活)に顧問として招かれ、4本の映画の製作にたずさわっている。

その4本は、谷崎原作で谷崎の妻の妹・葉山三千子(「痴人の愛」のモデル)を主演女優にした『アマチュア倶楽部』。泉鏡花原作・谷崎脚色の『葛飾砂子』。谷崎脚本で谷崎の娘が演じたファンタジー『雛祭の夜』。上田秋成原作・谷崎脚本の『蛇性の婬』。残念ながら4本ともフィルムが失われ、見ることはできない。どれもいかにも若き谷崎の好み。見てみたいなあ、と思った。たしか淀川長治さんが、『葛飾砂子』だったかを見たことがあると話していた。

そんな記憶が残っていたので、『谷崎潤一郎と映画の存在論』の新聞広告を見て読んでみたいと思い、注文して取り寄せた。手に取った本は、エッセイというより専門的な研究書に近い。実際、本書は著者の博士論文に加筆修正したものだという。学位論文というものはそれなりの作法があり、まず先行する研究を検討し、引用して位置づけ、その上で著者の見解を述べるのが一般的。この本もそういうスタイルを取っている。だから著者が自分の見方を縦横に語った(その語りの面白さが読書の楽しみでもある)ものではない。それでも興味深く読めたのは、映画と谷崎を巡って知らなかった事実をたくさん教えられたのと、谷崎研究の主流からすれば異端であるこのテーマに興味を持つ研究者がけっこういて、へえ、こんな議論をしてるんだ、と分かったから。

映画と谷崎というテーマで先駆的な仕事をした千葉伸夫の本は、谷崎が実際に製作にたずさわった4本の映画とその実態を中心にしたものだった。本書はそうでなく、谷崎が映画と映画人、映画監督や女優を素材にした小説について主に論じる。具体的には「人面疽」「月の囁き」「肉塊」「青塚氏の話」「魔術師」といった短篇を取り上げ、それら小説の「テクストに表れた映画にまつわる思考」を追っていく。

「人面疽」は、大活が映画化に動きはじめたが実現しなかった短篇だ。当時は無声映画で尾上松之助の時代劇や新派の現代劇が人気。それが弁士と楽隊つきで上映されることが多かった。「人面疽」はどちらとも違う「純文芸物」。映画女優を語り手に、劇中映画で青年が人面をした腫物に寄生され、狂い死ぬ。著者はクライマックスたる「人面疽」のクローズアップを評して、「近代テクノロジーかつ人工物であるはずの映画に見いだされる、原初的な<不気味>さ」を狙い、「実現すれば、映画の黎明期に多くの人びとが体感した驚きや戦きを、新式の技術によって増幅させる『アトラクションの映画』となりえた」と書く。実際に映画化されたら弁士も楽隊も必要としない、ひたすら映像の魔力を追求する映画になっただろう。

「月の囁き」は「映画劇」として発表されたもの。小説ではなく、谷崎が映画用に書き下した脚本を自ら修正して「『撮影台本』、いわゆるコンティニュイティの形式」で発表したものだ。実際、この作品には随所に「タイトル(字幕)」とか「C、U(クローズアップ)」とかの文字が挿入される。例えば「水面。C、U。さし出された女の顔がそれへ映っている」といった具合。「場面」と「場面」をつなぐことで全体が構成される。ここで谷崎は「C、U」を多用している。当時、日本映画はまだ女形が女性を演じることが多かったが、この作品では入浴シーンを含め女優のエロティシズムが求められている。月を見ることで狂気を孕む女と、彼女に魅入られた男という組み合わせは、谷崎の小説によく出てくる構図。「『月の囁き』は『読物』化されても、物語を推し進める散文的な語りではなく、ショットの連辞による映画的文体を持つ作品として編まれる必要があった」と著者は記す。

もう少し挙げてみよう。「肉塊」や「青塚氏の話」は、谷崎の映画論としても読める。「肉塊」で、実業を営みながら芸術家でありたいと望み遂に映画製作に乗り出した主人公(谷崎のように)は、映画の魔力をこう述べる。「映画といふものは頭の中で見る代りに、スクリーンの上へ映して見る夢なんだ。そしてその夢の方が実は本物の世界なんだ」。谷崎はエッセイ「映画雑感」でも「まことに映画は人間が機械で作り出すところの夢であると云はねばならない」と書いている。小説の主人公の言葉は、そのまま谷崎の考えであると思っていいだろう。

「青塚氏の話」では、熱狂的な映画ファンの青塚氏が偏愛する女優について、こう語る。「此の世が既にまぼろしであるから、人間のお前もフイルムの中のお前もまぼろしであるに変りはない。まだしもフイルムのまぼろしの方が、人間よりも永続きがするし、最も若く美しい時のいろいろな姿を留めてゐるだけ、此の地上にあるものの中では一番実体に近いものだ」。映画は機械が作り出した精巧な夢であり、まぼろしである現実よりも夢のほうが本物なのだ。谷崎が繰り返すいかにも彼らしい映画論の背後に、著者はじめ研究者はベルクソンの影響を見ているようだが、それは置いといて。

大正期に映画にのめりこんだ谷崎は関東大震災を機に関西に移り住んで映画製作から遠ざかり、『春琴抄』から『細雪』に至る代表作を生み出す。以後、自らの小説が映画化され、原作者として女優と嬉々として戯れることはあっても、映画を主題にした小説や映画製作からは遠ざかる。文学史の上からは、谷崎の映画への傾倒はここで途切れた、大正期の活動はいわば寄り道だったと解されることが多いようだ。でも著者は、戦後の谷崎の創作ノートから「影」と題された映画の構想メモを取り出してみせる。これは全部で十数行の文字通りのメモだが、そのひとつはこんな具合。

「○Aなる男、自分一人でディズニーのやうな作り方(注・アニメーションということだろう)で映画を作り、自分の愛スル女を創作してその映画の中で動かす、そして自分にそつくりの男を作りその女と同棲させる、しまひにAは映画中のA’と合体してしまひ映画以外にはAと云ふ人物がゐなくなつてしまふ」

同じころ発表された短篇「過酸化マンガン水の夢」は、昼間見た映画と夢が重なる小説。大正期の映画小説をちょっと思い出させる。青年谷崎を捕らえた映画の夢が、功成り名遂げた老年期になってもそのまま保存されているのがわかる。

この本を読んでよかったのは、本書にそそのかされて谷崎の大正小説を何本か読み返したこと。また「月の囁き」を初めて読んだこと。この「映画劇」は、先に触れたように文字による絵コンテのようなものだ。谷崎が求める映像がどんなものだったかがよくわかる。ひたすら映像の美を追い求める純粋映画。それは戦後の構想メモ「影」まで一貫していよう。著者はそれをこう結論づけている。「映画へのコミットメントは文壇的視座から見れば逸脱と映るかもしれないが、そこに谷崎を捕らえこんだ映像の強度そのものを見出すこともできるだろう」。

おまけ。中央公論社版『谷崎全集』をぱらぱら見ていたら、「月報・7」に内田吐夢が小文を寄せているのが目に入った。内田吐夢は谷崎が参加した大活で映画人としてのキャリアをスタートさせている。彼はこう書いている。「谷崎先生は私の最後のたった一人の先生だったが、ついに何のご恩も返すこともなく、然も、先生の作品を生前一本も映画化していない。……何故、思い切って撮らせていただき、お叱りをうけて置かなかったかと、それこそ取り返しがつかない悔みとなっている」。

さて、内田吐夢の撮る谷崎潤一郎映画とはどんなものだったろう。またどの小説が内田らしい映画となったろう。そんな想像をしてみたくなる。ちなみに小生がいちばん好きな谷崎映画は増村保造監督・若尾文子主演の「刺青」。増村はほかにも「卍」「痴人の愛」と映画化しているけれど、増村と内田ではだいぶ体質が違う。例えば「瘋癲老人日記」はどうだろう。これは大映で一度映画化されているが、昔見た記憶ではあまり出来のいい映画ではなかった(若尾文子はよかったが)。主演は『飢餓海峡』で組んだ三国連太郎。老人が狂う息子の嫁には若尾文子をそのまま。どろどろで滑稽で、それでいながら重厚で、内田吐夢らしい映画になりそうな気がする。(山崎幸雄)

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2021年11月17日 (水)

「タコの才能」キャサリン・ハーモン・カレッジ

キャサリン・ハーモン・カレッジ 著
太田出版(284p)2014.04.17
2,530円

タコは、日本では馴染み深い食べ物だ。刺し身や酢の物、おでん、たこ焼きなどがすぐに思い浮かぶ。馴染み深いとは言っても、その生態や習性はそれほど知られているわけではない。せいぜい分かっているのは、イカなどと同様に「頭足類」と呼ばれ、マンガなどで頭として描かれているのは胴体であり、実際の頭は足(腕)の付根の眼や口が集まっている部分である、ということぐらいだ。本書を一読すれば、タコの生態や能力だけでなく、生物学からロボット工学まで、最先端の研究の現場を垣間見ることができる。

著者のキャサリンは生物学者ではない。ミズーリ大学ジャーナリスト学科で修士号を取得したあと、雑誌の編集者を務めるかたわら、ネイチャー誌などに寄稿し、最新の科学ニュースから料理にいたるまで幅広い執筆活動を続けていて、書籍としては本書がデビュー作となる。ジャーナリストらしく好奇心が旺盛で、各地の漁港や研究機関、はては料理店まで取材して、タコが人を惹きつけてやまない理由を探ろうとしたのがこの本だ。

「タコはつかみどころがない。腕は八本、心臓は三つ、皮膚は変幻自在に変えられ、知性の宿るまなざしには妙に愛嬌があるけれど、エイリアンにしか見えない。それでも、人間はタコを取りつづけ、もう何千年も前からタコのとりこになっている。世界各地で、タコを題材にした天地創造の物語や、芸術、もちろん料理も生み出されてきた。これだけ大昔から魅了され、何百万ドルもの資金を投じて研究してきたにもかかわらず、このぬるぬるした生きものの実態ははっきりつかめていない」と著者はいう。

「タコにくわしくなりたければ、まずは海に行くべきだろう」というわけで、著者がまず最初に訪れたのはスペインのヴィゴという街だ。スペインのガリシア州北西部にあり、世界各地を相手にタコの搬入・加工・輸出入を専門にしている。ここで、専門家にタコの生態について教えを乞い、ついでに、“プルポ・ア・フェイラ(タコのガルシア風)”という料理の味見をしようというわけだ。海洋研究所などを訪れたあと、旧広場の一角にある小さなレストランで、お目当ての“プルポ・ア・フェイラ”に舌つづみをうつ。そして、翌日は早朝の五時からタコ漁の漁船に乗り込んで、船員たちが海の怪物と格闘する姿を目の当たりにする。乱獲を防ぐために、一キロにも満たない小さなタコは、規則で海に戻すことになっているという。

タコの種類は多い。スーパーなどでは「マダコ」と表示されているのをよく見かけるが、「これは“何でもあり”という意味らしい」。「タコは気が遠くなるほど多種多様だ。・・・現在名前がついているだけでも三百種ほどのタコがいるが、未知の種がそれ以上に存在するのではないかと考えられている」。本書では、めぼしいとものとして、神秘的な中深海のタコ「アオイガイ」、カルフォルニアのマダコ族の一種「オクトプス・ビアクロイデス」、北大西洋の「オオメンダコ」のほか「ミズダコ」「ヒョウモンダコ」「ムラサキダコ」などを挙げている。名前を聞いたことがあるのは「ミズダコ」ぐらいだ。「ヒョウモンダコ」には致死性の毒があるらしい。

ここで、タコの体の構造についての記述をいくつか紹介しておこう。
タコには八本の腕(足)がある。どれも同じように見えるかもしれないが、実は用途によって使い分けているらしい。海底をうろつくときには、前の腕であちこち触って餌を探しながら、後ろの腕で歩くことが多いという。しかも、タコの腕の中央には、神経束もしくは神経節が通っている。ヘブライ大学の研究チームは、使用頻度の高い“腕を伸ばす”という単純な動作が、腕そのものの神経系でコントロールされていることを突き止めた。さらに、脳を通さなくても、腕同士で連絡を取り合えるようだ。ロボット研究者や軍は、こうした能力に着目し研究資金をつぎ込んでいる。タコの腕は自立しているばかりか、簡単に取り替え可能だ。新たに尻尾を生やせるトカゲと同じように、神経も含めて再生できる。こちらも再生医療の研究に役立ちそうだ。

腕だけでなく吸盤もまた多くの能力を秘めているようだ。伸びたり、曲げたりできるうえに吸盤自体に味覚まで備わっている。吸盤をひとつひとつ動かしたり、回したりすることが可能で、折りたたんでものをつまむこともできる。これらの能力は、いくつかの研究チームで実証済みで、ロボット工学に応用する試みも始まっている。

他の生物との連想から頭と間違えられやすい部分は、“外套膜”と呼ばれる胴体だ。外套部の内部には三つの心臓をはじめ消化器などの臓器がある。「(心臓が)三つといっても、外套膜にある本来の心臓が大部分の働きをこなし、あとのふたつはあくまでも補助的なポンプで、エラに血液を送っている」。酸素を運ぶ物質が人間などと異なり、鉄ではなく銅を含むタンパク質であるため、解剖をすると青い血が出る。

タコの能力で傑出しているのは「擬態能力」であろう。天敵からの防御や、餌を捕るときに有効な能力だ。サンゴや岩や海藻だけでなく、ヒラメやウミヘビに変身したりもする。この件に関して、著者はいくつもの研究所で、何人もの研究者に取材を試みるが、解明は一筋縄ではいかないようだ。研究者たちは、外見上の形の変化だけでなく、擬態のスピードの早さにも注目している。タコの色素胞や神経伝達物質の解明が進めば、軍事や医療への応用も期待されている。アメリカの海軍研究所は、体色変化という暗号の解読に、複数年にわたり巨額の助成金を提供しているという。

タコの特徴をひとまとめにすると以下のように言えるかもしれない。
「肉食で、餌を探しに出かける。巣穴をこしらえたり、模様替えをしたりする。道具を使う。空間認識力があって道に迷わない。遊びをする。人の顔を見分けられる。つまり・・・タコはとても賢いんだ」。著者が取材で出会った、シアトル水族館で四十年あまりもタコを研究してきた生物学者R.アンダーソンの言葉だ。「この世で一番賢い無脊椎動物だ」とも言う(ちなみに地球上の生物の95%以上は無脊椎動物だ)。

著者は、取材の合間にニューヨークのとある韓国料理店を訪れ、“タコの踊り食い”に挑戦して、改めてタコの神経系統の複雑さや生命力の強さに感嘆している。

タコは美味しい。個人的には、タコの知能が高いことがあまりに世間に知れ渡ってしまうと、クジラのように「知能の高い生物を食べるのはケシカラン」みたいな風潮になるのではないかと危惧している。ちなみに、国内で流通しているタコは、国産だけではなく近年ではモロッコ、モーリタニア、セネガルなど北アフリカ沿岸諸国からの輸入ものが増えているそうだ。(野口健二)

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2020年9月18日 (金)

「太平洋戦争の収支決算報告」青山 誠

青山 誠 著
彩図社(224p)2020.07.27
2,608円

昭和20年8月15日のポツダム宣言受諾から75年。新聞やテレビで75年という数字が飛び交っている。そして今更ながら、73才である自分が終戦から2年弱で生まれたという実感とともに、その混乱の時代に働き、家庭を守り、二人の子育てをした両親の苦労に今更ながらに思いを馳せるばかり。同様の苦労は多くの戦前・戦中派の国民が体感したものだろうが、そうした自らの戦争体験を語り継げる世代は減少し、戦後育ちの国民しかいなくなる時代もそう遠くないのだろう。

15年戦争と言われる時代を俯瞰すると、昭和6年の奉天郊外で発生した「満州事変」、昭和12年の北京郊外の盧溝橋事件に端を発する「支那事変」から日中全面戦争に突入して行く。こうして欧米諸国との関係も悪化し日本の孤立化は進み、国内では仮想敵国としてアメリカの脅威を煽る中で、昭和16年に太平洋戦争が始まる。滅亡を覚悟して国力の限界をはるかに超えて投入され続けた金・物資・人命等、この戦争で途方もない消耗があった。本書のタイトルが「収支決算報告」とある通り、太平洋戦争で投下された戦費、失った物的・人的資産、そして賠償という視点でまとめられている。そこには、主義についての議論はなく純粋に数字から太平洋戦争とは何だったのかを問い掛けている。その一つとして、戦後の軍事恩給の支給対象者数の推移と支給総額を見るにつけ、国民にとっての「戦争の意味」と「国家負担額の膨大さ」という異なった視点をそこから読み取ることが出来る。

昭和15年に近衛内閣は「東亜共栄圏」と名付けた政策を打ち出し、欧米列強の植民地支配からアジアを解放するという理念のもと、アジア各国の協調を呼びかけた。一方、アジア各国への日本の資本投資額は我が国の経済力の限界もあり、石油資源国の蘭印では欧米・中国からの総投資23億ドルの中で日本の投資額は1%以下であり、中国の1/10でしかない。石油の確保の為、開戦前に必至で交渉を続けていた蘭印に対しても、経済的な手段による権益確保という戦略が取られていないという意図のちぐはぐさが見える。また、戦前の日本の石油はアメリカに80%依存していたが、そのアメリカを仮想敵国としながら昭和16年の禁輸までは備蓄用石油をアメリカから買っていたという矛盾も見えてくる。

そして、開戦時の国力を列強と比較すると、日本のポジションはアメリカとの比較でGDPベースは1/5、工業生産高は1/10であった。こうした数字を見るにつけても開戦を決定するプロセスで客観的な分析を示した官僚なり軍参謀は居なかったのか、と考えるのは当事者でない現代人の気楽さなのだろうか。

まず、本書での「戦費」の部分を概括すると、支那事変(昭和12年)から終戦(昭和20年)までの8年間で総額7559億円の軍事費が使われたという。この間、毎年GDPの25%以上、昭和20年には60%が軍事費として支出されており、GDPの1%の軍事支出で済んでいる現代と比較すると戦時の厳しさが判ってくる。この7559億円という数字を現在の貨幣価値で理解するために、大卒初任給の昭和16年(1941年)と現在を比較すると2500倍となるので、この比率で見ると太平洋戦争軍事費の7559億円は現在価値では1,889兆円となり、2019年のGDP553兆円の3.4倍となる。本書でも色々な金額が示されるのだが、消費者物価指数であったり、GDP比であったりして理解が難しいところもあったので、私は大体2500倍程度として現在価値を理解することにして読み進んだ。

各論としては軍隊編成のための人件費が語られている。当時陸軍550万人、海軍240万人という国民の10%が兵役についていたが、例えば、二等兵は月額6円の支給であった。食事や衣服は全て無償支給されていたとはいえ、当時、軍需工場に動員された女学生は月額30円を手にしていたと聞くとそのギャップに驚くばかり。兵役は義務なので、軍からの支給金額に不満で兵役を拒否することは出来ない。軍馬34万頭、軍用犬1万頭の食管理費などと比較して、馬の方が二等兵より待遇が良さそうに見えたりするのも辛い所である。

兵器については、兵力としての能力や威力を考えたことはあるがコストを考えたことは無く、新たな発見もあった。銃・戦車・航空機・戦艦といったコストが示されているのだが、零戦は開発当初は一機5万円だったが、エンジン性能や防護機能を向上につれ末期には10万円になっていたという。現在価格でみると一機1億円から2億円。この零戦を1万7千機製造している。加えて飛行場の建設、搭乗員の訓練、整備費用、燃料代などが積みあがっていくことを考えると航空戦力の確保のコストも膨大なものになることが判る。海軍でみると、昭和12年から6ヶ年計画で大和型を含めて66隻の軍艦が建造されているが、大和型でいえば単価1億4千万円(現在価値は3400億円)。高いのか安いのか判断できないが、自衛隊の最大艦「いずも」のコストを調べてみたが、大和の1/3の排水量で1200億円と言われていることを考えると、いつの時代も軍艦とは高価なものであるらしい。

開戦の重要なトリガーであった石油の視点で考えると、すべての軍事費7559億円をつぎ込んで、蘭印の石油、年間1000万キロリットル(2億7千万円)の確保を目指したと言う収支の戦いだったというなんとも虚しいバランスが明らかになる。

次のテーマである「損失」を概括すると、終戦直後の帝国議会で東久邇首相は、太平洋戦争での戦没者を軍人46万7千人、民間人24万1千人の計70万8千人と報告している。しかし、現在の戦没者の数字は昭和52年の政府報告による、軍人230万人、民間人80万人の計310万人と言われている。時間の経過で判明して行く戦没者が戦後30年間続いていたという事か。

軍備の損失については、海軍艦艇は80%を失い全滅状態。航空機は本土決戦用に5000機が温存されていたが廃棄。生産力で見ると石油精製施設の58%、火力発電所の30%、産業施設の50%を喪失している。まさに日本の全産業が壊滅状態だった。

日本は敗戦によって日清・日露の戦争で獲得したすべての植民地を失い、国土は67万5千㎢から37万8千㎢に減少した。敗戦国である日本は国・企業・個人の、台湾では、日本の資産総額は425億円(現在価値8.5兆円)。朝鮮半島では、戦後GHQ・日本銀行・大蔵省の共同チームが調査し日本の総資産は891億円(現在価値17兆円)。満州では資産総額は1465億円(現在価値で30兆円)という膨大なものである。その他南樺太、中国本土などでも膨大な日本の公私の資産が存在していた。昭和26年に講和条約が日本と連合国48ヶ国の間で調印されたことで、連合国の占領統治が終ると同時に日清・日露戦争で得たすべての植民地と日本の対外資産3794億円(現在価値75兆円)を放棄することと引き換えに連合国の多くが戦時賠償請求権を放棄した。

この講和会議に参加していない中華民国、中華人民共和国、韓国臨時政府などが個別の条約を締結して行くことになる。昭和27年に中華民国との平和条約を締結して賠償放棄。昭和40年に韓国と日韓基本条約締結し、日本が2880億円の経済協力金の提供し、韓国が賠償請求権を放棄した。昭和47年に中華人民共和国と日中平和条約締結し賠償請求権放棄に対して日本はODAで以降40年間に3兆6500億円が拠出されている。

自国民に対しての賠償は軍人恩給・戦傷者恩給の形で行われた。私は恩給を数字として捉える機会が無かったので、個々の手厚さとともに支給総額については考えさせられる点が多かった。恩給の受給対象者は830万人、昭和27年の制度創設から現在までの支給総額は50兆円を超えている。これは他国への賠償金総額よりも大きな負担であるし、現在の国民年金よりも手厚く、戦後日本に存在したことになる。そして、中国に対するODAの額も違和感は残る。何故という問いに対して著者は「昭和20年の東久邇稔彦首相の一億総懺悔発言が、手厚い軍人恩給や経済大国となった中華人民共和国にODAを与え続けると言う矛盾の原点になっていたのではないか」と述べている。

軍事費を調達するために、不足分は膨大な戦時国債によって賄われていった。国民はなけなしの金で国債や公債を買っていった。しかし、終戦後の昭和21年に財産税法が制定され国民が国内に所有していた財産全て(不動産・預金・株券・戦時国債)対して25%~90%の高率な税を課した上に、インフレが進み昭和24年の物価指数は昭和12年の約220倍となった。この二つの要素で日本国政府は債務整理を実施したことになる。要すれば、太平洋戦争に勝とうが負けようが国民はその財産を奪われたと言える。今私の手元に「大東亜戦争割引国債債権・参拾円」が一枚残っている。父が残した本に挟まっていたのだと思うが、発行日が昭和18年、償還日は昭和28年とある。ハイパーインフレの中では戦時国債も本の栞がわりに使われたと言ったところだろうか。そして振り返れば、現在のコロナとの戦いの財政資金の使い方やその決断を冷静に考える必要性もあるのだろう、というのが読後感である。「アベノマスク」を曽孫が見つけてこれは何?と思うようなものか。内池正名)

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2020年8月17日 (月)

「大洪水の前に」斎藤幸平

斎藤幸平 著
堀之内出版(356p)2019.04.25
3,850円

去年、斎藤幸平編『未来への大分岐』(集英社新書)を読んだ。編者とドイツの哲学者マルクス・ガブリエルら3人との対話で、グローバル化した資本主義の危機が論じられていた。NHK・Eテレがマルクス・ガブリエルの特番をつくったときも斎藤は番組に顔を見せていて、そんなことから彼のことが気になった。

でも斎藤の唯一の著書である『大洪水の前に』は、ベルリン・フンボルト大学に提出された博士論文を基に再構成された本で(博士論文の英語版で2018年ドイッチャー記念賞受賞)、書店でぱらぱら立ち読みするとえらく難しい。とても73歳のジジイのにおえる本ではないと尻込みしていたが、コロナ禍で家にいる時間が長いので思いきって挑戦することにした。買って奥付を見ると「第3刷」とある。出版の危機が言われるなか、少部数であるにせよこういう本に興味をもつ読者がちゃんといるんだと、半分引退した編集者として心強く思った。

この本には「マルクスと惑星の物質代謝」とサブタイトルがつけられている。取り上げられているのはガブリエルでなくカール・マルクス。しかも、かつてソ連で刊行された『マルクス・エンゲルス全集』には収録されず、現在刊行中の新『マルクス・エンゲルス全集』にいずれ収録される、未刊行の抜粋ノート、メモ書き、蔵書への書き込みを丹念に調べて、未完成に終わった『資本論』第2、3巻(マルクス没後、エンゲルスの編集で刊行)が本来どんな構想を持っていたかを考えるという雄大なもの。あらかじめ言ってしまえば、晩年のマルクスには現在の言葉でいうエコロジー的な視点があり、利潤追求を最優先に求める資本主義は自然と人間の関係を歪めて持続可能性を持たないシステムであるという結論になるはずではなかったか、と著者は推論している。

このエコロジー的な視点は、19世紀の言葉でいえば「物質代謝」ということになる。従来、マルクスは資源の枯渇や生態系の破壊といった環境問題に関心がなく、技術の進歩と経済の成長によってすべてが解決するという生産至上主義だという批判が根強くあった。確かに若きマルクスには、そういった19世紀の楽観的な近代主義の言葉が散見される。でも1848年にヨーロッパの革命が挫折して以降、マルクスは自然科学の研究に没頭して自然というものが持つ限界を知り、資本と自然の緊張関係のうちに資本主義の矛盾を見定めるようになった。未刊行の抜粋ノートやメモ書きからそれが見えてくる、と斎藤は言う。

「物質代謝」という言葉は19世紀初頭から生理学の用語として使われていた。あらゆる生物が外から栄養物を摂取・吸収・排泄するかたちで、外界との関わりのなかで生命を維持していることを指す。さらにこの言葉は自然科学だけでなく哲学や経済学の領域で、人間の生産・消費・廃棄といった社会的活動を分析する概念としても使われるようになった。

マルクスはこの言葉に刺激を受け、自らの経済学批判に用いるようになる。人間もほかの生物と同様に外界の自然との間で「物質代謝」を行なっているが、人間は労働というかたちで「意識的」に自然と関わる。その結果、人間と自然の「物質代謝」は労働の社会的あり方に対応して変容を迫られる。資本主義の社会は、一方で自然の力(エネルギー、食料、原料)を徹底的に開拓し利用しようとするが、他方で利潤獲得が最優先されるため、限界を超えて自然の力を利用するようになり世界的規模で「物質代謝」に矛盾と軋轢をもたらす。

マルクスは、およそそんな道筋で資本主義の矛盾を考えるようになった。もちろん斎藤によるマルクスの抜粋ノート追跡はこんな大雑把なものでなく、「素材」と「形態」、「物象化」、「商品」といった概念を駆使した細かなものだが、その過程(それこそ斎藤論文が評価された部分だろう)は省略。興味ある方は書店へどうぞ。

もうひとつ、マルクスが自然科学研究から取り入れたのが「略奪農業」という言葉。若きマルクスは農業についても技術と化学(肥料)によって農業生産を増大させられると楽観的だったが、「物質代謝」という概念でもマルクスに影響を与えた化学者リービッヒは、土地の肥沃さを維持することを考えず、利潤を得るために自然の無償の力を絞りつくす農業を「略奪農業」と批判していた。これに刺激を受けたマルクスは、土地の疲弊や自然資源の枯渇について研究するようになり、やがて「大土地所有は、社会的な物質代謝と自然的な、土地の自然諸法則に規定された物質代謝の連環のなかに修復不可能な亀裂を生じさせる諸条件を生み出す」(『資本論』)と書くにいたる。

晩年のマルクスは、土地の疲弊、森林伐採、(高く売るための)羊の奇形的飼育といったさまざまな持続可能性に関心を持っていた。また、過度な農耕と森林伐採が自然的物質代謝の攪乱を引き起こして気温が上昇し、その結果、多様な植生が失われステップが広がってゆくというフラースの著書も読んで抜粋ノートをつくっていた。斎藤は、こうしたマルクスの抜粋ノートが「もし『資本論』が完成したなら、マルクスは人間と自然の物質代謝の攪乱という問題を資本主義の根本矛盾として扱ったという推測を根拠づけてくれるように思われる」と書く。

しかしマルクス死後、その仕事を引き継いだエンゲルスは「物質代謝」という概念をマルクスのようには評価しなかった。結果、エンゲルスの手になった『資本論』第2、3巻では「そのエコロジカルな視座も完全には取り入れられることはなかった」。

では晩年のマルクスは、「物質代謝の攪乱」をどう解決しようと考えていたのか。斎藤は、マルクスのこんな一文を引用している。「歴史の教訓は、農業を別の見地から考察してもわかるように、ブルジョア的制度は合理的農業に反抗し、農業はブルジョア的制度と相容れないということであり、自らの労働する小農の手か、アソシエイトした生産者たちの管理を要するということである」。つまり持続可能な社会であるためには「アソシエイトした生産者」によって合理的、意識的に労働や生産が管理されることが必要ということだろう。

斎藤によれば、マルクスは『共産党宣言』の段階では大恐慌が労働者の蜂起を引き起こすと楽観的に考えていたが、1948年革命の失敗後は楽観論を放棄し、「労働組合などを通じて物象化(注・生産物が商品となり社会的な力を得て生産者に敵対するようになること)の力を制御し、より持続可能な生産を実現するための改良闘争が持つ戦略的重要性を強調するように転換して」いったという。

著者は最後に、宮沢賢治の次のような言葉を記している。「新たな時代のマルクスよ/これらの盲目な衝動から動く世界を/素晴らしく美しい構成に変へよ」

日本では、いまマルクスに対する関心はきわめて低い。その人物も著作も歴史上のものとして整理され棚上げされてしまっている。でも地球規模での経済の長期停滞や、1%対99%といわれる極端な格差拡大、温暖化による気候変動を背景に、ヨーロッパやアメリカではマルクスの再評価、エコ社会主義の視点から新しい読み込みが進んでいるという。そんな世界の最前線を伝えてくれる一冊だった。

カバーは、イルカやクジラが波頭から頭を出した瞬間のイラスト(装画・マツダケン)を全面に銀で箔押しした贅沢なもの。専門的な書籍を、本棚にとっておきたくなるような造本でモノとしての魅力を加え、少部数高定価で出版する。増刷していることからわかるように、こういう方向はひとつのモデルになるかも。(山崎幸雄)

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2018年11月22日 (木)

「タイワニーズ 故郷喪失者の物語」野嶋 剛

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野嶋 剛 著
小学館(315p)2018.06.08
1,620円

本書は「タイワニーズ」という言葉を「本人や家族に多少でも台湾と血統的につながりのある人」と定義した上で、日本で活躍した「タイワニーズ」とその家族(ファミリー)の生き様を描いて、日本と台湾との歴史的関係を多面的に俯瞰してみせている。著者が選んだのは、民進党第二代代表だった蓮舫。戦後政治の裏方として活動していた辜寛敏と野村総研の研究員として活躍した息子のリチャード・クー。「流」で直木賞をとった作家東山彰良。「真ん中の子供達」という日・中・台の中で揺れる若者を描いた作家の温又柔。歌手のジュディ・オング。俳優の余喜美子。「豚まん」で一世を風靡した「551蓬莱」の創業者羅邦強。「カップヌードル」の安藤百福。そして、日・台・中に身を置いた作家の陳舜臣と作家・経済評論家の邱永漢を取り上げている。

この10名とファミリーが各時代に決断を強いられながら生きてきた姿を示すために、野嶋は本人から始まり、両親・祖父母などの家族を調べ、本人・生存する親族にインタビューしたり、記録を調査するために台湾に足を運んでいる。逆に、本人がインタビューを断った人(例えば、渡辺直美)は本書の対象から外すという筋の通し方をしている。著者は、1968年生まれ、上智大学新聞学科を卒業し新聞社に入り、アフガン・イラク戦争の従軍取材や台北支局長等を経て、フリーになったという経歴を持つが、そうしたぶれない取材手法と多くの人達との取材こそが本書の説得力の源泉になっているようだ。

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2018年8月24日 (金)

「宝島」真藤順丈

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真藤順丈 著
講談社(544p)2018.06.19
1,998円

「戦果アギヤー」という言葉がある。「戦果をあげる者」という意味の琉球語(ウチナーグチ)だ。この言葉は、第二次大戦敗戦後、米軍占領下の沖縄で生まれた。

米軍と日本軍の地上戦が繰り広げられた沖縄では多くの民間人が命を落としたが、生き残った者も家や土地など生きる基盤を根こそぎ奪われた。米軍は各所に民間人収容所を設置し、テント、食糧、衣服などを支給。収容所では地域ごとに住民が責任者や民警を選び、これが沖縄の戦後自治体のはしりとなった。

収容所生活が終わっても、土地を米軍基地に奪われ働く場もなかったから、沖縄人が食うに困る状況は変わらなかった。この時期、沖縄人の生活を支えたのは「戦果アギヤー」と「密貿易」だった(岸政彦『はじめての沖縄』)。

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2017年6月23日 (金)

「田中陽造著作集 人外魔境篇」 田中陽造

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田中陽造 著
文遊社(480p)2017.04.25
3,564円

ずいぶん凝った装幀の本だなあ、と思って書店で手に取った。コートしてないオフホワイトのカバー用紙に、余白をたっぷり取った小村雪岱の版画。鏡台のある部屋から外を眺めている。運河と低い甍の連なりは明治の風景か。「田中陽造著作集」のタイトルは、かすれさせた古風な明朝で小ぶりな縦組み。紺色の帯のキャッチコピーに「魔の棲む映画」とある。本を開くと見返しにも雪岱の墨一色の版画。別丁扉の前にもう一枚、半透明で模様入りの扉が挟まれている。雪岱が装幀家、挿画家として人気だった大正から昭和初期の造本を意識したらしい粋な仕上がりだ。

脚本家・田中陽造の名前をはじめて記憶にとどめたのは、「実録白川和子 裸の履歴書」(1973)だったか「㊙女郎責め地獄」だったか。当時、日活ロマンポルノが猥褻図画として摘発されてスキャンダルになり、しかも映画として質の高い作品が多かったので、週刊誌記者として面白がって取材し記事にしたのだった。田中陽造は20本以上のロマンポルノの脚本を書き、その後も『新仁義なき戦い 組長の首』『嗚呼‼ 花の応援団』『ツィゴイネルワイゼン』『陽炎座』『セーラー服と機関銃』『魚影の群れ』『居酒屋ゆうれい』と話題作の脚本を書いた。

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2016年12月20日 (火)

「駄犬道中おかげ参り」 土橋章宏

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土橋章宏 著
小学館(427p)2016.09.14
1,620円

著者の土橋は「超高速 ! 参勤交代」で華々しくデビューの後、時代小説を得意ジャンルとして活躍している気鋭だ。「駄犬道中おかげ参り」は天保元年(一八三〇年)の「おかげ参り」が舞台となっている。この年「おかげ参り」の人数は二百五十万人を超えたといわれている。江戸からの道中は東海道を進み伊勢の四日市宿から分岐して松坂宿を経由して伊勢神宮に至るというルート。旅としては十五日から二十日程の旅だろうか。年端もいかぬ子供達が柄杓一本を持って旅が出来た。この柄杓をみると宿場の人々は伊勢への信心の旅人とわかり施し(路銀の寄進)をしてくれる。人数だけでなく、子供達の安全を担保する環境があったことに驚かされるばかりである。

江戸から伊勢までの旅物語に登場する人物は三人と一匹。まったく見ず知らずの彼らが、江戸を発ち、最初の品川宿、次の川崎宿の間でたまたま出会い共に旅をするというストーリー。

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2016年6月12日 (日)

「谷崎潤一郎文学の着物を見る」大野らふ+中村圭子編著

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大野らふ+中村圭子編著
河出書房新社(160p)2016.03.20
2,052円
谷崎潤一郎を読んだことのある人なら、殊に大正期の初期作品や、己の本性に先祖返りした晩年の作品を読んだことのある人なら、谷崎がどんなにフェティッシュな作家であるかはよくわかっている。

いちばん有名なのは、谷崎が足フェチであることだろう。短編小説「富美子の足」の隠居は「お富美や、後生だからお前の足で、私の額の上を暫くの間踏んで居ておくれ」と富美子に懇願するし、「瘋癲老人日記」の主人公は、元踊り子だった息子の嫁・颯子の足型を取って自分の墓に刻み、嫁の足に踏まれて永眠したいと願っている。颯子のモデルで、谷崎の息子の嫁だった渡辺千萬子と谷崎との往復書簡を読むと、谷崎は実際にそんな願望を千萬子に語っていたのがわかる。

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