な  行

仲人の近代/納豆の食文化誌/なぜ、生きているのかと考えてみるのが 今かもしれない/名取洋之助/永山則夫 封印された鑑定記録/なぜ豊かな国と貧しい国が生まれたのか/流される/なぜヒトは旅をするのか/何が映画を走らせるのか?/なぜわれわれは戦争をしているのか/夏目漱石を読む

2022年2月17日 (木)

「仲人の近代」阪井裕一郎

阪井裕一郎 著
青弓社(208p)2021.10.27
1,760円

本書は江戸期から現代までの「恋愛」「見合」「仲人」「結婚」といった事柄に係わる実態変遷をまとめた物。今までも家族や結婚に関する研究は多く発表されているが、「仲人」を中心軸にして日本の歴史を紐解くという研究は初めてとのこと。その冒頭でリクルート社の「ゼクシイ結婚トレンド調査」が示した、2007年に結婚した人達のうち仲人を立てた人は1%に満たなかったという数字に少なからず驚きを覚えた。「頼まれ仲人」を含め仲人を立てる結婚式は減少していると感じていたが、その数字は想像を超えている。ただ、「仲人が自明でなくなった現代だからこそ、あらためて『仲人』とは何かを包括的に語る事が出来るようになった」という著者の言葉に研究者としての思いの強さが出ている。

本書は時代を四つの時代に分けて、江戸から明治初期までの武家や一部の特権階級と農民・漁民・庶民の結婚習俗の違いを、明治期から大正期にかけて、過去の習俗と文明化との狭間での結婚観の変化を、戦時体制下における結婚媒介の国家管理や人口政策・優生思想の流れを、そして戦後の「民主化」と「高度経済成長」による家制度の崩壊と企業社会における仲人のあり方などを論点として歴史を俯瞰している。こうした仲人前史から現代までの仲人や媒酌婚の役割変化を明らかにすることで、伝統として語られて来た仲人や媒酌婚が「創られた伝統」であるとする著者の見解を導き出している。「家を唯一の根拠とした武家のものの見方が一世を風靡した世の中(明治)が到来した結果、仲人結婚が『多くの縁組の標準』 になっていった」という柳田国男の言葉のように、江戸期から明治初期では大多数の日本人にとって仲人を立てた結婚はまったく無縁で、仲人結婚が日本の伝統文化だったとは言い難い状況だったことが判る。

明治初期でも、一般庶民にとっては村内婚が当たり前で、結婚を媒介したのは村内の「若者仲間」と呼ばれる同年輩男女の集団であった。彼らは氏神祭祀や村の共同作業などを取り仕切りながら、集団として男の「求婚資格」を、女の「求婚を受けるかどうかの決定権」を承認していた。加えてこの「求婚」と「決定」のプロセスの中に「夜這い」が定着していたという。ただ、嫁入り頃の娘を持つ民家では戸締りをしないことが共同体の中で定められていたという話にはいささか驚きを覚えた。しかし、明治中期になると、日本が文明国家として世界に認められるために「新しい文化の基準」でこうした地縁集団としての「若者仲間」は廃止され、夜這いや混浴といった旧習が「野蛮」とされ禁止されていくことになる。

同時に、交通網の発達や経済発展により、徐々に村外婚も多くなっていくと、結婚相手の双方を見知っているわけでもないことや、「子供は親に仕え、従う」といった武家の儒教文化からの「家」の論理が強まり、「媒酌婚」の重要性の声が高まる中で、明治民法素案には「媒酌人ななくして婚姻を成すべからず」という文言が有ったという。しかし、最終的にはこの文言が入った形では立法化されていないという事実について、著者は「文明化」の一環として、「家族主義」と「個人主義」の折衷が求められていた結果としている。この時代、武家・華族(上流階級)の慣習を「美徳」とみなして庶民に定着させる「上からの働きかけ」と、日本の習俗を旧風として西洋文明を取り入れるという「外からの働きかけ」の動きがあった。この「国粋」と「欧化」という二つの文明化の動きのなかで媒酌婚位置づけは揺れ動いのだろう。また、結婚に関するいくつかの興味深い対立点を著者は指摘している。

一つは「結婚した夫婦は同じ姓を名乗る」ことを法制定しているのは現在でも日本だけであるが、これは日本の伝統と言うよりも、キリスト教のファミリー・ネームの発想を取り入れて明治民法制定したと著者は考えている。二点目は結婚式である。もともと日本の結婚式では「神に誓う」という慣行はなかったし、伝統的な結婚は村落共同体による承認の「人前結婚」であった。キリスト教の結婚式に倣って、「小笠原式」様式を取り入れた日本版結婚式が生み出されたが、この神前結婚式も戦前は殆ど普及しておらず大衆化したのは戦後であるという。このように、「文明化」「近代化」に伴って多くの伝統や慣習は現実社会との整合性を失い、旧来の儀礼や形式を用いながら新たな社会に適合した「伝統」が再構築されて来たことは興味深い指摘である。

こうした変化の中で、国策として「人口問題」と「優生学」の視点が結婚のプロセスに組み込まれていく。都市に流入した人達の結婚難は社会問題化していき大正10年には結婚媒介所の公営化が始まり、昭和5年には「人口増殖=結婚相談」、「遺伝劣等者の断種=民族の進化」を目標として「日本民族衛生学会」が設立された。昭和13年の国家総動員法の公布とともに「結婚報国会」が結成され、都道府県、企業、工場、町村会での結婚媒介が義務化されるとともに「日本の長い伝統である仲人を国策に生かす」という考えが声高に叫ばれるなど、社会事業として国家管理が徹底されたこの状況は戦時下の日本を象徴している。

敗戦とともに「民主化」がキーワードとなり「父母の同意を必要とする結婚規定」は廃止された。こうして、本人の意思の尊重が進められたが、1950年代でも仲人(多くは親族)を立てた結婚がほとんどであった。高度経済成長期から安定成長期(1960年代~1980年代)には多くの企業で年功序列賃金や終身雇用制が定着し、社員を「家族」としてとらえるようになった。この時代では職場や仕事の関係でのいわば職場見合い結婚が多くなったことから、必然的に仲人を担うのは会社関係者であった。1980年代の結婚で仲人を務めたのは、それ以前の「親族等」から「会社の上司」が一番多くなった。

こうして仲人は「地縁」「家系」から「会社」と移行していく中で二人の後見役として継続していたという事だろう。しかし、団塊のジュニア世代の結婚期に入ると、仲人を立てた結婚は1994年63%、1999年21%、2004年は1%と激減していく。

この戦後の結婚や媒酌人の役割の推移は、私自身の体験そのものであることに気付かされる。私は1971年に学生時代に知り合った妻と結婚をしたが、仲人は親戚(母方の伯父)に頼んだ。その後、社会人になり役職につくようになると、部下の結婚で10年間(1985年~1994年)に12回の仲人を務めた。 そして1999年に娘は仲人を立てず結婚した。こうしてみると、私の仲人に係わる体験は時代の流れそのものだったことが良く判る。平凡というか、なんというか。

仲人を立てた結婚の激減の理由について著者の見解は、親の世代が戦後生まれとなり家制度が希薄になったことに加えて、企業内でも上司が部下のプライバシーに介入すべきではないという考え方の増加など、企業と個人の関係に変化が起きたのではないかと言う見方である。今や、企業にだけでなく、あらゆる共同体から離脱する個人があり、地域も職場も安定的なコミットメントの場ではなくなってしまった。こう考えると、一人一人が個人化していく中で安定的な帰属をどこに求めて行くのかが考えるべき点のようである。若者達が「地域」「家族」「職場」「学校」等どこに関係性を創出・維持していくのかが問われていると思いながらの読書であった。(内池正名)

| | コメント (0)

2021年8月17日 (火)

「納豆の食文化誌」横山 智

横山 智 著
農文協(301p)2021.06.23
2,970円

納豆は子供の頃から我が家の食卓に欠かせないものだった。季節野菜のぬか漬けとともに食卓でしっかり立ち位置を確保していた。父は福島、母は新潟出身で東日本食文化の典型的な家庭だったと思う。本書で日本の糸引き納豆の歴史の大きな転換点として、稲わらのつとに入って売られていた時代から、戦後1950年代に経木で三角形に包まれた形になり、そして発砲スチロール製の小分けされた商品へと変化してきたことを挙げているのだが、そうだったと納得しながら、納豆のパッケージの転換期を体験してきた私は、「団塊の世代」ならぬ「納豆世代」とでもいえるのかもしれない。そんな個人的な納豆観を頭の片隅に置いて夏の読書を楽しんだ。

本書の冒頭で、植物学者の中尾佐助の「納豆はいわば、大豆と植物とそれに付く菌の三種の植物複合文化」という言葉が紹介されている様に、日本の稲わら文化と納豆づくりの歴史にはじまり、東南アジア各国で作られている納豆を紹介している。特に、著者が東南アジア各地を辿り、街の市場を訪れ納豆を探し、納豆生産者を訪問して製造工程や原材料を教えてもらいながら、各地での地域固有の食べ物を実食するという、まさに足と舌で辿る調査の集大成といえる。

醗酵という複雑な化学プロセスが科学的に解明される以前から、人類は日常的に菌や酵素を利用してきた。失敗も繰り返したと思うが、代々の知恵を受け継いで醗酵食品を作って来た歴史が有る。醤油・みそ・鼓などの麹による醗酵調味料は古くからの文献に載っているが、稲わらの枯草菌醗酵による納豆づくりが始まったかについては文献からの確定は難しい様だ。ただ、室町中期の「精進魚類物語」という御伽草子が紹介されていて、豆太郎を大将とする精進物と鮭大介を大将とする魚鳥物との合戦という怪作である。この御伽草子の中で、豆太郎がわらの中で昼寝をしている絵があるというから、この時代以前から稲わらで納豆を作る文化は確立していたということが判る。

稲作文化と納豆の関係についての考察も興味深い。日本では稲の収穫後のわらは、家畜の飼料にしたり、畑に鋤込んで肥料にしたり、燃料にするなどして土に戻すという循環に稲霊があるとされてきた。こうした稲作文化においてハレの食べ物として納豆が位置付けられており、恵比寿講や彼岸などに神仏への供物として使われるとともに、東北・北関東などでは正月用の納豆を「納豆年越し」「納豆正月」などと名付けて自家製納豆を作っていたという習慣を初めて知った。納豆は東日本の食べ物という先入観が有る中で、飛び地的に京都の一部で正月納豆の風習が有ったという著者の指摘は好奇心をそそられる。なぜ、京都で?との疑問は残るが、その理由は明らかにされていない。

醗酵の研究が進んだのは19世紀中頃にパスツールが酵母の作用としてアルコール発酵の原理を解明し、その半世紀後の1905年に日本の醗酵の権威で後に醸造研究所設立に貢献した澤村眞が稲わら納豆から枯草菌の一種として納豆菌を特定したうえで、純粋培養に成功した。しかし、納豆の製造の多くは小規模の製造者によって稲わらを用いて作られていたのが実態。そして、1950年代に稲わらを使った納豆づくりは消滅した。これは納豆菌の培養が可能となったこととともに、戦後のサルモネラ菌による納豆中毒の発生が契機となって、納豆生産が許可制になったことで衛生管理が進んだ結果である。以降、日本の納豆は工業化されて安全と安定生産を手に入れた代わりに、食文化の多様性を失ったという著者の指摘は重く感じられる。

一方、東南アジアの多くの地域で作られている納豆について、タイ系、ミャンマー系、チベット系、ネパール系など大きく四つに分けて詳細に語っている。日本以外の納豆に関する状況はまったく知らなかったので、大変興味深く読み進んだ。そこから見えてくるのは、一つは大豆を醗酵させるための菌の供給方法の違いであり、もう一点は日本のように御飯のおかずとして納豆を食べているのは例外で、ほとんどの地域では調味料として料理に使われているという点である。

まず、菌の多様な供給方法について、日本は稲わらの枯草菌を使っているが、アジアの各国では地域に自生する植物の葉を使って大豆を煮てその葉っぱで包んだり、竹籠の内側に葉っぱを引き詰めて煮豆を入れて醗酵させ納豆を作っている。例えば、タイでは「シダ」が多く使われ、インドでは「イチジクの葉」、ミャンマーでは「パンノキ」、その他各地ではバナナ、ビワ、チーク、笹などが使われているという。特筆すべき点として生産者は「味」によって使用する植物を選んでいて、香りが良いとして多く使われているのが「シダ」であり、強い粘りを求めるときは「いちじく」を使うといった好みが出ているという。この様に、アジア各国で見られる色々な植物の葉っぱを使って納豆の味を楽しむという選択肢が、何故日本の納豆に無かったのだろうかと思う。

こうして作られた納豆を潰してセンベイ状や碁石状、そして厚焼きクッキーのように成型したうえで天日乾燥して調味料としての納豆は作られる。これらは、いずれも炒め物、煮物、麺、スープなどに加えられて使われているのだが、地域独自に進化したアジアの納豆は糸を引かない枯草菌が選ばれていった。加えて、想像もつかないラオスのピーナッツ納豆や乳製品との混合などが有る事を知り、こうした多様性のある納豆について好奇心がそそられる点が多い。

東南アジアの特徴的な調味料としての納豆が食文化として形作られていることから、著者は「うま味文化圏」の一角に位置づけることを提案している。今までのアジア圏の「うま味文化圏」は、日本を含む東アジアの味噌、醤油に代表される大豆醗酵調味料が定着している「穀醤卓越地帯」と魚醤や塩辛などの魚介類醗酵調味料が強い「魚醤卓越地帯」に二分して考えられている。しかし、この二つの領域の境界にまたがる「納豆」調味料を加えて「三種類のうま味文化圏」という提案だ。

現在も東南アジア各国では、手間暇かけて手作業で少量の納豆を作っている。近年は輸送手段の発達に加えて、海岸地帯で作られている魚醤が内陸地域でも簡単に手に入る様になるとともに「味王」や「味の素」といった工業製品化された調味料との競争にもさらされているのが実態とのこと。工業化された日本の納豆生産でも納豆製造業者数は減り続けている。しかし、現代でも稲わらを利用した納豆生産に挑戦している企業も紹介されている。

現代の私たちが各国の多様な食文化を楽しめるのも、製造や物流の近代化のおかげ。一方、大量生産や厳しい品質管理にそぐわないことで失われていく食文化もある。なかなか難しい時代に生きていることを認識させられた一冊だった。内池正名)

| | コメント (0)

2020年10月17日 (土)

「なぜ、生きているのかと考えてみるのが 今かもしれない」辻 仁成

辻 仁成 著
あさ出版(288p)2020.08.26
1,430円

本書は「ロックダウンしたパリから贈る日々のこと」とあるように、パリ在住の著者が2020年2月1日から6月18日までのコロナ禍の体験をネットにアップしていた文章をまとめたもの。私はこの本を手にする迄、「辻仁成」という人物を知らなかった。プロフィールを読んで1997年の芥川賞を受賞していることを知り、16才の息子と二人きりでパリで生活しているということなど、何やらいろいろな人生を辿った人だということは想像に難くなかったが、テーブルの上に置いておいた本書を見て、家人が「中山美穂の亭主だった人」と教えてくれた。

このコロナという未体験の状況下で、どう考え・どう生活するのかを迷う事も多いものの、終息が見えない中ではその正解は見出しにくいし、世代の違い、文化の違いの中でこの感染症への考え方の違いもあるだろう。そう考えると、家族と共に住み慣れた日本に居る私と違って、著者の置かれた状況は異なった文化、ロックダウンという制約、父親と息子の二人きりの生活といった条件はメンタルにも大きな影響を与えることは容易に想像がつく。それだけに本書から正解を得ようとは思わず、辻仁成の一個人の体験として読んだ。そして自分を振り返って、今をどう生きるかについて考える刺激には事欠かない読書であった。

コロナ禍の半年で、家で考える時間が多く、物事の整理の時間が確保出来たことなど、自粛期間の時間は有効に活用出来たと私は思うのだが、逆に引きこもりストレスが溜まったと言う人も沢山いる。平時の日常生活においても人により疲れ方が違ったり、ストレスの個人差が有る。そうした個人差や環境の差が極端に振れてしまうのが、ロックダウンや自粛の時代なのだろう。辻は「価値観の変化、異常事態をどう受け止めるのか、絶望から希望を取り戻す方法、親子で力を合わせて頑張った日々、これらを書き留めてきた。書くことで希望を手に入れようとしていたような気がする」と記している。

3月17日から5月11日までのパリのロックダウン期間中の体験を読むと、武漢の「都市封鎖」と東京の緊急事態宣言下の「自粛要請」の間の様に思える。パリのロックダウンは外出制限であり、外出禁止ではない。食品・薬品の買い物は出来るし、自宅から1km以内で1時間以内の運動や犬の散歩などは許されている。ただ、外出理由を書いた書面を持っている必要があり、これに違反すると罰金が科せられる。警察は通行人を呼び留めて書面を確認し、自宅からの距離を調べ取り締まる。10日間で26万人が検挙されたとのこと。日本の「自粛・お願い」に比較すると大きな差がある。ソーシャルディスタンス感覚(パリでは1m、イギリスでは2m)や外出時のマスクの徹底度合いは文化の差が大きそうである。ただ、辻が外出する際のスタイルはマスク、メガネ、ハンチング、サージカル手袋と聞くとその徹底ぶりにいささか驚くのであるが、その姿ではパリであろうが日本であろうが違和感を持たれるのではないか。

そして「Stay Home」による人間関係のストレスでDVが一週間で30%増えたことが象徴する様に、多くの人は逃げ場のない人間関係に追い詰められた。一方、異文化に住む辻自身の考え方が語られている。一言で言えば「冷静と情熱の間」が丁度良いというもの。辻は「僕は誰からも負けたことは無い、いやもしかしたら、負けた事に気付かないので結局は負けた事にならない・・」という生き方を示しつつ、自分は攻撃を受けやすい人間として自らをサボテンに例えている。

「全身トゲをまとって人を近づけない。しかし、たまに花を咲かせると誰かが声を掛けてくれる」

こんな自身の分析であるが、本書を読む限りでは、もう少し攻撃的な要素もありそうに思えたのだ。こう言いながらも、辻のパリに於ける近所との付き合いはなかなかポジティブである。多くのエピソードを含めて、散歩途中の近所との会話やカフェ、食料品店などでのやり取りはパリの地区の風土もあるのだろうが、辻の性格だからこそ出来る付き合い方の様に思える。

辻が「心の体操」と言っている一つが「感謝を忘れない」というものだが、日本での医療従事者やその家族に対する偏見と差別のニュースに怒りつつ、パリで有名な毎晩八時になると家の窓を開けて拍手をして医療従事者に対して感謝の気持ちを表わす行動に参加してきたという。5月11日のロックダウンが解除された夜、辻が窓を開けて拍手をすると誰も居ないことに気付く。それでも拍手をし続けると一人二人と隣人が拍手を始めて以前と同じ様子になったという。

辻の息子と二人のステイホームというのも厳しい時間だったようだ。シングルの親は働きながら家事・育児の全てをこなさなければならない。その大変さは想像するに余りあるが、父親が子育てをするとなると大変なことだろう。それも、フランスという外国である。

辻は「親の権利を手渡された時」という言い方をしているので、自分の意志で親権を取ったのではないようだ。 しかし、子育ては単に意地だけでできることではない。我が息子と二人三脚という意味を見つけることが重要だったと言っている。自宅に居て、限られた時間だけ外に出て買い物をして帰ってくるというロックダウンの生活の中で、洗濯、食事作りなど全てを行うことにフラストレーションを感じつつも、特に食事作りには情熱を捧げていることが良く判る。加えて息子に包丁の使い方や火の扱い方などを教え、単に美味いものを食べる楽しみの共有だけでなく、生きるための教育になったとことが良く判る。そして、食べ物に対する感謝の気持ちが息子に育まれたことを喜んでいる。この意味ではコロナのロックダウンを有効活用したということなのだろう。

友人が「国民だから国のルールには従う。でも、心が折れてまで生き残りたくない」と言ったことに対して「もし一人だったらそう考えていたかも知れない。でも息子が居るから・・・」と、時としてストレスの対象になる息子の存在が、救いになったと語っているのも印象深い。

長い歴史の中で人間は集合体として智慧を磨き、仕組みを作り上げてきたが、それらへの構造変化も起こるだろう。加えて、文明によってもたらされた幸福感や達成感などの価値観の変化も確実に起こっている。それらは経済的側面だけでなく、政治的側面へも必ず影響を及ぼす。

辻は渡仏して18年、初めてひっそりとした姿のパリに接し、沈みゆく夕日を見ながら「老境に入った自分を感じた」と感慨している。私を含め団塊の世代であれば日々考えることなのだが、50代で「老境」は早すぎる。こうした気持ちから自分を取り戻す手段として辻は歌を歌うという。何であれ気分を切り替えるスイッチを持っていることは重要だ。

人間が持ち込むストレスとは、我慢、頭を下げる、自分の人格が否定されるといったことが原因である。だから彼はそうした社会・集団には近づかず孤独で良いという。しかし、現代では人と交わらず生きて行くことは不可能だ。必ずストレスが発生する。それだけに「会話」「言葉」の大切さに気付くことになる。同じ「ことば」でも使い方ひとつで「武器」にもなれば「支援」にもなる。その伝える力の多くは論理だけでない、表情や仕草も必要だ。 

孫がこの春、大学に入学した。ずっとオンライン授業が続いているという。「勉強はどうにか進むけど、友達は出来ない」という言葉が切ない。若い人達がこの事態をどう乗り越えて希望に繋げていくのか正念場だ。彼らには「どう生きるか」を考えてもらいたい。一方、本書は、私を始めとした団塊の世代が「なぜ生きているのか」を問い掛けているようだ。(内池正名

| | コメント (0)

2014年2月16日 (日)

「名取洋之助」白山眞理

Natori_sirayama

白山眞理 著
平凡社(160p)2014.01.10
1,680円

昨年の暮れ、「報道写真とデザインの父」というキャッチ・コピーを付されて「名取洋之助展」が開かれた(日本橋高島屋)。本書はこの展覧会と連動して発行されたもの。いわばカタログを一般読者向けに編集したヴィジュアル本である。

名取洋之助は写真やデザイン、出版に興味のある人以外、今ではなじみの薄い名前になっているかもしれない。戦前戦後の昭和期に活躍した写真家、編集者、出版プロデューサー。写真家としては昭和10年代、ヨーロッパで盛んになったグラフ雑誌を飾る「報道写真」という新しい流れを日本に持ちこんだことで知られる。

続きを読む "「名取洋之助」白山眞理"

| | コメント (1)

2013年7月17日 (水)

「永山則夫 封印された鑑定記録」堀川恵子

Nagayama_horikawa

堀川恵子 著
岩波書店(354p)2013.02.27
2,205円

永山則夫が1968年に北海道から京都まで放浪して拳銃で4人を殺した「連続射殺魔事件」は、50歳以下の世代にはほとんど記憶されていないだろう。死刑制度に関心のある人なら、死刑の「永山基準」として名前を聞いたことはあるかもしれないが、事件の詳細までは知らないにちがいない。

僕を含めそれ以上の世代にとっても、この事件は貧困のなかで育ち、学校教育もろくに受けなかった永山が貧しさゆえの「無知」から金欲しさに引き起こしたもの、と世に流布された解釈に従って記憶の片隅に片付けてしまっている。発生から45年、永山の死刑執行から15年、この連続射殺魔事件が別の角度から光を当てられた。「家族」の物語としてである。

続きを読む "「永山則夫 封印された鑑定記録」堀川恵子"

| | コメント (0)

2013年6月22日 (土)

「なぜ豊かな国と貧しい国が生まれたのか」ロバート・C・アレン

Naze_robert

ロバート・C・アレン 著
NTT出版(226p)2012.12.6
1,995円

世界にはなぜ豊かな国と貧しい国が存在するのか。この単純かつ根源的な疑問に簡潔に答えたのが本書。著者のアレンはオクスフォード大学で経済史を専攻する学会の大御所だそうだ。原題は「Global Economic History: A Very Short Introduction」というもので、オクスフォード大学出版「入門シリーズ」の一冊として出版された。

だからこれ、一読した感想は大学教養課程の教科書みたい。ところがこれが面白いんだなあ。だからこそ一般書として翻訳されたんだろうけど。その理由は、ひとつにはかつての経済史が近代国家を対象にしたものだったのに対し、アジア、アフリカ、南米を含んだグローバル・ヒストリーとして経済史を考える新しい視点が出てきたこと。もうひとつは、それぞれの地域を時間軸に沿って数量的に比較しながら考えることができるデータが揃ってきたことにある。

続きを読む "「なぜ豊かな国と貧しい国が生まれたのか」ロバート・C・アレン"

| | コメント (0)

2011年11月12日 (土)

「流される」小林信彦

Nagasa_3

小林信彦 著
文芸春秋(284p)2011.09
1,550円

小林信彦は昭和7年(1932年)生まれ。この世代は「満州事変の勃発とともに生まれ、以降、戦争の中に居た」と小林自身が言っているように「戦争とともに育った世代」だ。もう少し上の世代であれば徴兵で戦地に狩り出されたが、この世代は10代の多感な時期に戦争と敗戦という真逆の環境におかれ大きな戸惑いの中で青春を過ごし、戦争の理不尽さを生活感で記憶している世代だと思う。その小林は就職難の中、1959年の「ヒッチコックマガジン」編集長に始まって、小説家や、映画・ジャズ・落語といった分野における評論家、TV勃興期のシナリオ・ライターなど、各種ペンネームを駆使しながら多方面で活躍した。1983年に出版された「ちはやぶる奥の細道」などは仕掛けを含めて面白く読んだものだが、最近、彼の文章に接するのは週刊文春のコラムぐらいであったのは寂しかった。

続きを読む "「流される」小林信彦"

| | コメント (0)

2011年3月10日 (木)

「なぜヒトは旅をするのか」榎本知郎

Naze

榎本知郎 著
化学同人(208p)2011.01.20
1,575円

「遠い世界に旅に出ようか・・」という西岡たかし作詞の歌があった。学生の頃の歌だ。それにつけても、演歌であれジャズのスタンダードであれ、人間は「旅」にまつわる詞を多く生み出してきた。TV番組に目を向けても「旅もの」は根強い支持がある。旅は楽しいし、好奇心を満たしてくれるちょっとした冒険の時間なのだろう。それでは「なぜヒトは旅をするのか」とまともに質問されてみるとなかなか答えが難しい。この問いを人類学のテーマとしてみようというのが本書の狙いである。著者が示す旅とは「『うち(仲間)の集団』の生活圏を出て『よその集団』の生活圏に入り、その集団の人たちと敵でも味方でもない対等なコミュニケーションをとりつつ、その集団から食事や宿舎の提供を受け、何日も移動しながら最終的には『うちの集団』に戻る行動」というもの。

続きを読む "「なぜヒトは旅をするのか」榎本知郎"

| | コメント (0)

2008年11月 9日 (日)

「何が映画を走らせるのか?」 山田宏一

Nani 山田宏一著
草思社(568p)2005.11.30
3,990円

一年半ほど前から「Days of Books, Films & Jazz」というブログを始めて、本や映画や音楽の感想めいたことを書いている。活字の本はともかく、映像や音について言葉を使って語る作業は、やってみてはじめてそのむずかしさがわかる。いままで何十年と見たり聴いたりしてそれなり に感じたり考えてきたことはあるつもりだったけど、いざ活字でそれを表現しようとなると、どうやってもうまく伝えられなくて七転八倒することになる。

続きを読む "「何が映画を走らせるのか?」 山田宏一"

| | コメント (0)

2008年11月 5日 (水)

「なぜわれわれは戦争をしているのか」 ノーマン・メイラー

Naze ノーマン・メイラー著 田代泰子訳
岩波書店(110p)2003.09.05

1,260円

大戦後、一貫して反権力と戦争の不毛を説きつづけてきたノーマン・メイラーが9.11とイラク戦争に関して行っ た、対談と講演録である。評者の年齢では活字が大きいというのも読み易い重要な要素だが、慣れ親しんだ、あのメイラーの凝った文体や言い回しに比較する と、明快でシンプルな論理展開は大変わかりやすい。

続きを読む "「なぜわれわれは戦争をしているのか」 ノーマン・メイラー"

| | コメント (0)

より以前の記事一覧