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2021年1月17日 (日)

「日本のテレビ・ドキュメンタリー」丹羽美之

丹羽美之 著
東京大学出版会(288p)2020.06.19
3,300円

著者の丹羽美之は1974年生まれ。NHKに入り、ディレクターなどを経験し、現在は東京大学情報学環(文理融合の情報学)准教授。その世代の著者が日本のテレビの黎明期から60年間の歩みの中で制作されたテレビ・ドキュメンタリー番組と制作者の言葉を通して、番組で戦後日本の復興と近代化をどう記録してきたのかを明らかにし、加えてテレビ・ドキュメンタリーが新聞、雑誌、映画やラジオといった既存のメデイアとは違った形で独自の映像ジャーナリズムを切り開いていった状況を描いた一冊である。

本書の構成は、第一章では本書の原点ともなった、NHKアーカイブスなど、テレビ・アーカイブスの現状とその課題を語っている。第二章以降は、1957年にスタートしたテレビ・ドキュメンタリーの草分けであるNHKの「日本の素顔」とディレクターの吉田直哉、1962年日本テレビの「ノンフィクション劇場」を制作した牛山純一といった先駆者たちに始まり、TBSの萩本晴彦や村木良彦、東京12チャンネルの田原総一朗を中心とした1960年代後半から1970年代にかけて制作された実験的な番組に焦点を当ててその制作姿勢と時代を描いている。一方ローカル局のRKB毎日放送の木村栄文、山口放送の磯部恭子など幅広い作品を取り上げ、1990年代以降はフジテレビの「NONFIX」で活躍した是枝裕和や森達也などプロダクションやフリーランスによる番組制作方法の変化について考察している。そして、最後の章では、東日本大震災と原発事故でのテレビの役割について述べている。

こうした60年間に亘るテレビ・ドキュメンタリー番組を俯瞰しての著者の考察は具体的、且つ網羅的であり、これからの多様な議論のベースとしての起爆剤的価値が大きいと感じられるだけに、今後この領域での活発な議論が期待される。

著者はテレビ番組が人々の生活や文化に影響を及ぼしてきたにもかかわらず、今まで研究対象としてあまり取り上げられなかった理由を、制作側が「テレビ番組は一回放送すれば終わり」と考えていたことに加えて、過去の番組の保持が十分でなく、且つ、公開されていないことに起因すると指摘している。NHKアーカイブスが2003年にテレビ開局50年を記念してオープンし100万本の番組、800万項目のニュースを保存したものの、一部の番組を除いて非公開だった。ただ、学術研究に限り試行的に「アーカイブスを用いたテレビ・ドキュメンタリー史研究」が2009年から2011年にNHKと東大で共同研究が行われたことを契機として、著作権を含めた諸権利対応とともに、これらのライブラリーが単なる「保存庫」から「創造・発信源」に変化することがテレビ・アーカイブスの未来を作っていくとの著者の思いは強い。

本書では「日本の素顔」を社会派ドキュメンタリーの出発点として取り上げているが、私はこの番組を見ていたこともあって、この章は興味深く読んだ。制作者吉田直哉は1954年にNHKに入局。ラジオを3年間担当後「日本の素顔」のスタートともにテレビに移っている。「この番組は記録映画との訣別を目指してラジオの延長線上にデレビドキュメンタリーを構想した」という言葉が紹介されているように、吉田は劇場用記録映画とは結論を先取りした完了形の「説得映画」と定義し、一方、テレビ・ドキュメンタリーは「現在進行形」の思考過程を提示するという考え方に基づき、新たなドキュメンタリーの可能性を追求し多くの名作を残した。その「日本の素顔」の鋭い社会批判は戦後日本に残る課題を病理として描き出してきたが、経済成長とともに近代化・産業化がもたらす負の側面も次第に明らかになり、「日本の素顔」が担っていた近代啓蒙的な姿勢は敬遠されるようになったと著者は評価している。

次に1962年に日本テレビでスタートした「ノンフィクション劇場」を取り上げている。この番組を率いた牛山純一は日本テレビの一期生として入社して、報道部、政治担当記者を経て、1959年の「皇太子ご成婚」中継の責任者となった。牛山は他局が多用したヘリコプターによる空撮やフィルムインサートの映像を一切使わず、視聴者が一番見たいのは花嫁の表情と考えて、アップを多用した生中継で美智子妃の顔を追い続けた。この中継映像は他局のディレクター達からも高く評価されたと言う。牛山のこだわりは、制作者の署名性だった。「日本の素顔」は客観性を追求したが、「ノンフィクション劇場」は主観的、文学的なドキュメンタリーを目指した。それはタイトルの「ノンフィクション」と「劇場」という矛盾した言葉を組み合わせたところに牛山の意図が見えているというのもうなずける指摘だ。

しかし、1965年に牛山の転機が訪れる。「ベトナム海兵大隊戦記」という三回連続放送予定の番組が一回目の放送後に政府・自民党からの批判を受けて以降の放送は中止されるという騒動があった。当時はテレビ番組に対する、政治介入やスポンサー圧力による中止、自主規制が頻発していた。西側メディアとして初めて北ベトナムを取材したTBSの「ハノイ・田英夫の証言」(1967年)は放送後、偏向番組として政府から非難され、田英夫はニュースキャスターを追われたという記述に、田英夫追放劇のドタバタを思い出しながら読み進んだ。

こうした時代を振り返ってみるにつけ、現在のテレビが自由闊達な現状批判や大胆なチャレンジ精神を失ったのではないかという著者の指摘は重く感じる。

RKB毎日放送の木村栄文が制作した「苦海浄土(1970年)」でのドキュメンタリーにおける「演技」を取り上げている。「苦海浄土」は石牟礼道子による同名の公害問題告発本を映像化したものだが、木村はこのドキュメンタリーにあえて俳優の北林谷栄を起用した。石牟礼の想念の化身として盲目の旅芸人に扮した北林が患者たちや海を訪ね歩く。北林を本物の旅芸人と信じ込んだ患者は取材者やテレビカメラに対する態度と違って、自然な表情を見せて映像は作られていく。この挑戦は賛否両論を巻き起こし、ドキュメンタリーの意味が問われる作品になった。

最後に本書の中で東日本大震災についての報道や関連番組からテレビの役割を問い直している点に目を向けてみたい。震災発生直後から報道の中でテレビの速報性や同時性は十分に発揮され津波や原発事故の決定的瞬間をとらえた映像が大きなインパクトを持って提供された。著者はまた、震災後に多くのドキュメンタリーが作られ、持続的な調査報道に大きな力を発揮したと評価している。2011年12月31日に放送された福島中央テレビの「原発水素爆発・わたしたちはどう伝えたのかⅡ」という番組は、自らの震災報道に関する検証をした番組である。この福島中央テレビは福島第一原発の爆発映像を無人の情報カメラで捉えた唯一の局だった。その中に印象深いデータが紹介されている。爆発映像を見た福島中央テレビ幹部スタッフは爆発の4分後にローカル放送に放映、キー局である日本テレビは1時間14分後、政府が正式に第一原発の爆発を認めたのは5時間後のことだった。この時間差の中にテレビが持っている可能性とともに、メディアに携わる人達の報道姿勢が問われることを示していると思う。

1970年生まれの著者はテレビ・ドキュメンタリーを研究するために殆どの映像はアーカイブスを使って研究をした。また、それが可能になった最初の世代なのかもしれない。私を含め、団塊の世代はテレビと同時代的にテレビと接してきた。1953年2月にNHKが開局して日本のテレビ放送は開始されたが、当時近所の酒屋が店の奥の座敷にテレビを置いて近所の子供達や酒を飲んでいるオジサン達が一緒にテレビで野球中継などを見ていたことを思い出す。しかし、時を置かずに我が家の茶の間にもテレビが登場し食事をしながら一家でテレビを見る時代になった。例えば、日曜日の午後9時からの「事件記者」、9時半からは「日本の素顔」を見るというのが我が家のルーティンだった。

しかし、本書を読みながら、登場しているディレクター達の名前や業績は知識としてあるものの、1960年代後半からのテレビ・ドキュメンタリー番組のほとんどを視聴していない。高校生、大学生になってからは映画や音楽(ジャズ)にのめり込みテレビからは遠ざかっていたし、社会人になると仕事に追われ休日に家族との食事中にニュース番組や歌番組を見ていた程度。テレビの普及ともに成長した世代と言いながら、その黎明期だけが生活時間の中にテレビ番組があったと思う。著者の言う、テレビの歩みと戦後日本社会論という壮大なシナリオの中で、混迷と混乱の学生時代の日々、高度成長期の社会人としての多忙な日々を思い起こすと、その時代を描いたドキュメンタリー番組を客観的に視聴できる自信はない。(内池正名

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2020年12月18日 (金)

「日本習合論」内田 樹

内田 樹 著
ミシマ社(296p)2020.09.19
1,980円

「習合」という言葉を日常的に使う人はそう居ないだろう。私も「神仏習合」という熟語が頭の片隅にあるというぐらいなもの。タイトルを見て、どんな内容なのかと訝りながら本を開いた。著者の内田は「習合」と言う言葉を宗教の教義の折衷という意味に限定せず、異文化との混合、ハイブリッド、折り合いといったより広い意味で捉えて、「習合」をキーワードに多様な切り口から日本文化を語っている。

日本は地政学的には辺境国家で「異文化の習合」から得られた成功体験を生存戦略として選択してきたことを考えると、日本の雑種文化というのは必然と言っていい。加藤周一の「日本文化を世界に冠たる純粋種の文化と言いたてるのは英仏の純粋文化に対する劣等感のあらわれ」と言う言葉を紹介しながら、内田は「雑種文化で上等」という前向きの雑種文化論から出発して、神仏習合を語り、農業・教育・労働・日本の民主主義へと話を展開している。

内田は自称少数派であるが、少数派であることに悩んでいるわけではない。少数派だと不安になる人が居るが、内田の言葉を借りれば「孤立する力が足りない」とバッサリ切り捨てている。考えてみれば、異文化の人々とは会ってすぐに理解と共感が生まれることはまず無い。一人一人は所詮少数派だから、意見が異なるにしても少なくとも敵対していないことを相互確認する力が最低限必要ということだろう。そのように、「理解と共感」の上に人間関係を築くことは重要だが、過剰な価値を置くべきでないというのが内田の生き方である。

言葉を変えれば「習合」とは「異物との共生」であり、「習合的な集まり」とは一つの仕事をすることが第一で、そこには親密も共感も求めないという特性が彼にとっては心地よい集団という事の様だ。社会集団が寛容で効率的であるためにこうした「習合的」なあり方は良く出来たシステムであるとしている。

日本列島の住民は古代から異動と共生で上手くやって来た。その例として黒沢の「七人の侍」のストーリーを挙げているのも世代感としては良く判る。こうした雑種文化は他言語との混合を楽しむ文化としても根付いて来た。旧制高校の学生たちが造語した「バックシャン」は英語とドイツ語の、「ゲルピン」はドイツ語と英語の合成語だ。加えて母国語と外来語の合成としては団塊の世代が思い出すのは「内ゲバ」や「ドタキャン」などと枚挙にいとまはない。また、国歌の君が代も古今和歌集の詠み人知らずの長寿祝歌にイギリス人の軍楽隊教官のジョン・フェントンが旋律を付け、ドイツ人音楽家のフランツ・エッケメルトが手を入れているという「習合」の極め付きといえる。

本書の大きなテーマの一つが「神仏習合」である。「神仏習合」とは六世紀の仏教伝来とともに神仏の共生が始まり、神社の中に寺院が、寺院の中に神社が有るといった形が1300年続いて来たことをいう。しかし、慶応4年の神仏分離令によってこの共生は途絶して「神仏分離」が行われる。神宮寺の中では僧侶と神官が一緒に活動していたが、それが否定された。神仏習合の時代は、寺院と神社を統括する職分は別当と呼ばれた僧侶が任ぜられていたが、政令でこの別当職を廃し、神社の神官たちを政府の神祇官の所属にすることを命じた。この結果、神社で御経を唱える社僧たちは、還俗帰農するか、神官に職替するか迫られた。

ただ、政府は「分離」は決めたが「廃仏」を決めたわけではない。しかし、旧水戸藩を始めとして、鹿児島、宮崎、土佐、松本など国学が盛んだった地域では廃仏の運動が盛んだった。加えて、民俗信仰への抑圧は続き、京都五山の送り火、盂蘭盆会、盆踊りなどが禁止された。しかし、この間、組織的な抵抗を示したのは浄土真宗だけで、民衆の抵抗も見られなかった。これは何故かとの答えを内田は、人々は「天皇神」が他の土俗神に対して、その優位性の確認を求めたものと受け取ったと見ている。戦後は神社の国家管理がなくなったこともあり、いずれまた日本では「神仏習合」が行われるといっているのだが、我が身を振り返ると初詣、酉の市等では神社に参り、菩提寺の代々の墓参りにも行く。生活の中では「神仏習合」そのものである。

内田のもう一つの大きな指摘は日本における民主主義の定着の歴史である。帝国憲法下で「天皇神」という認識が人々にあったにも関わらず、福沢諭吉が明治5年に書いた「学問のすすめ」の中で「日本国中の人民に生まれながら、その身に向きたる位などと申すはまずなき姿にて・・・」と語られていることを取り上げて、デモクラシーの萌芽としている。その後、自由民権運動が盛んになるとともに、美濃部達吉の「天皇機関説」は学界では定説になっていた。しかし、軍が天皇の直轄機関として突出し権限を集約していく中でエリートに支えられていた大正デモクラシーは命脈を断たれたという。

こうした戦時中の20年間を経て、終戦から戦後の転換点としての日本国憲法の制定自体の問題点に関する疑義を紹介している。それは、日本国憲法制定の前文として昭和天皇の「上諭」が存在している。そこには「朕は日本国民の総意に基づいて、新日本建設の礎が定まるに至ったことを深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た、帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる」というもの。

終戦時枢密顧問官だったあの美濃部達吉はこの件について、次の様な疑義を述べたと言う。ポツダム宣言受諾時点で無効になっている帝国憲法に基づいて第七十三条の改憲規定では改憲出来ないこと、新憲法の趣旨に合わない為に廃止させられる枢密院が新憲法の当否を論じるのは不合理であること、「日本国民が制定する」民主的憲法が勅命により天皇の裁可で公布されるのは虚構である、というものだった。敗戦時の混乱のなかで苦肉の天皇「上諭」だったのだろうが、法学者美濃部としては認めがたい論理だったのだろう。

明治の「神仏分離」と戦中・戦後の憲法改正などを通して、天皇制との多様な折り合いの中で日本人は生きてきたことが良く判る。それだけに、後付けで歴史と文化を語る限界もあるという事だろう。特に、戦中から戦後への連続性を語っている人間(架橋)として吉本隆明、江藤淳、伊丹十三の三人を挙げているのが面白い。

戦前・戦中・戦後の時代を生きてきた人達にこそ体験感覚を聞きたいところである。個人的に言えば、私の父は大正9年生まれ、平成21年に逝去した、まさに戦前・戦中・戦後を生きてきた人間だ。昭和17年に大学を卒業し就職、18年に召集、終戦とともにポツダム中尉で退役、職場復帰している。父は生きてきた時代について語る事はほとんどなかった。否定も、肯定・言い訳も聞いたことは無い。ただ「学生時代の友は三割が戦死した。死んでいった彼らの為にも、しっかりと生きなければならない」と言っていたことを思い出す。そこには理屈ではなく、生き方として信念の発露だったのだろう。息子の私には「判断や考え方」に口を出すことは無く、「やるんなら、死んだつもりでやれ」という一言だった。その自由さが父にとっての大切なことだったのだろうと今更ながらに思い返される。本書の全ての論に賛同する訳ではないが、幅広い議論の中で納得と、反論の混じり合う読書であった。父に読ませて感想を聞きたいと思った。(内池正名)

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2020年11月15日 (日)

「肉とスッポン」平松洋子

平松洋子 著
文藝春秋社(266p)2020.07.16
1,650円

食に関して多くの著作を残してきた平松洋子の一冊。タイトル通り、肉を食べる楽しさを語り尽くしているのだが、本人は「制御しがたい悦び。・・・いま確かに猛々しい生き物と親しく結び合っている名状しがたいナマの感覚」と書いている程の自称肉好きである。そして「美味い肉は作られる」というのが結論だ。

元来、人間は狩猟と採集で獲得したものを食べて、自然と一体化して生きてきた。天武天皇の肉食禁止令や、仏教の殺生戒の教えによって日本ではおおびらに獣肉を食べられなかった時代が長い。しかしそれでも「薬食い」と称して人々は肉食を続け、馬肉は「さくら肉」、猪は「山くじら・ぼたん」、鹿肉は「もみじ」など隠語で語られるのも庶民の知恵というか反抗心の表れと平松は指摘する。しかし、我が国の牧畜の仕組みは明治期に作り上げられたことを考えれば、長い間、庶民の肉食は野生種を狩りで捕獲するという。自然との共生が保たれていたことに他ならない。しかし、こうした共存の仕組みが長い時間の中で生活様式とともに変化した結果、現代では新たな課題が提起されている。「人間の食料が畜産で使われる飼料として奪われている」「動物の保護」「肉食による生活習慣病の多発」といった多様な議論の根源は、我々が動物との共存時代とはかけ離れてしまっているところに存在しているということなのだろう。

著者はこうした、日本の肉食文化の歴史を踏まえながら、狩猟、牧畜、屠畜、解体といった活動の知恵などを探るために全国の現場を訪れて、それらに携わっている人達から話を聞いている。羊、猪、鹿、鳩、鴨、牛、馬、スッポン、鯨といった生き物たちと向き合っている人達の仕事からは、伝統的な技術承継とともに日々の進化でもあることも語られている。そして、各々の肉を美味い料理にして提供する店にも足を運び、素材の活用の技を紹介している。日本の伝統食にこだわらず、世界の料理の知恵を含めて現代の日本人の食肉文化を俯瞰して捉えている。

本書で取り上げている野生種は猪、鹿、鴨、鯨であるが、各々の捕獲から消費までの環境の違いとともに、仕事・事業としての成り立ちも様々であることが興味深い。

島根県邑智郡美郷町では、猪の被害に苦しんでいた農家がプロの狩猟家に頼らずに自ら狩猟免許をとって、役場と連携して駆除捕獲と同時にそれを資源として活用しているケース。捕獲した猪は「おおち山くじら」というブランデイングをして「夏イノシシ」の淡泊な味を売り物にするとともに、婦人会は猪のなめし革を活用して、クラフト製品を作り、加工食品を含めての肉の販売も積極的である。自治体と住民の一体型の形態はユニークである。

また、石川県加賀市の鴨のケースは伝統の承継に立脚したアプローチである。この地では昭和期には鴨は魚屋で吊るされて売っていたというし、鴨のつがいをお歳暮や結婚式の引き出物にしていたというから、伝統的な食文化として定着していたことが判る。当地の片野鴨池にシベリアから飛来する鴨を「坂網猟」という、日没直後の池から飛び立った鴨をY型の網を宙に投げ上げて捕獲する猟が行われている。この伝統の技術を継承する組合を設立し捕獲量の管理することで持続性が担保されている。

猪、鴨に加えて鹿といった野生種の美味い肉の確保の手順は共通しているようだ。例えば、箱わなで捕獲したイノシシは、ストレスを与えない様に素早くとどめを差し、喉の左側を突いて血液を排出させ、内臓を取り出すことで体内ガスの発生を抑える。こうして一時間以内に解体を終える。屠畜から始まる、こうした素早い作業が鍵である。

一方、飼育して美味い肉を作る努力も紹介されている。北海道の羊飼育は軍服の原料として羊毛を利用するため明治期に函館で始まり、大戦後は1950年代に羊飼育のピークを迎えたものの、1962年に羊肉が自由化され国内飼育はビジネスチャンスを失った。現在の羊肉の自給率は0.5%という。

こうした状況で北海道白糠の「茶路めん羊牧場」が紹介されている。帯広畜産大学で牧畜を学んだ青年が1987年にスタートさせた牧場で現在800頭が飼育されている。飼料には北海道産を使い、取引先の用途によって性別・月齢などによる肉の特性を考慮して屠畜し出荷している。羊は牛や豚と異なり公的な等級や格付がないので、生産者のこうした知見が必要とされるとともに、生産者毎の肉の美味さが消費者から問われることになる。

北海道襟裳岬の短角牛の牧畜は海と陸の連携で成り立っている。明治期に南部牛(短角牛)が襟裳岬に導入されたものの、大戦の影響もあり草原も荒れ、コンブ漁にも大きな影響が出ていた。その襟裳岬の草原や森林の再生事業が1953年に始まったが、豊かさを失っていた隣接する海の再生でもあった。この結果、1965年頃から成果を上げ始めた。著者は半コンブ漁・半牧畜の三代目が経営する「高橋ファーム」を訪ねている。コンブ漁で忙しい夏場には牛は放牧しては掛からず、冬場は里に連れて来て世話をするといったサイクルである。黒毛和牛は脂肪の甘さと肉の柔らかさを売りにしているが、短角牛は放牧されて育った赤身の肉が特徴である。この短角牛の国内の牛の飼育頭数の1%でしかないが、この1%こそ多様性の意義と語っているのも印象的である。

こうした、日本のソウルミートを利用した料理についても詳しく語られているのだが、具体的な店の名前とともにレシピなども紹介されているので、食べに行ってみようと思わせるガイドブック的な要素もある。一例として「パッソ・ア・パッソ」というレストランのシェフは鳩を解体すると肉の状態から屠畜される前の2-3日間の気温などを知ることが出来ると言う。肉を捌きながら、料理するときの熱の伝わり方や肉の水分をどう抜くのかが判るという。そうした季節感の理解を含めて「肉にも旬がある」という指摘になるのだろう。

鳩の胸肉は肉の中に脂が入る肉質ではないので、外から強火で熱が入ると短時間でウェルダンになってしまうという特性がある。また、馬刺しでは、真っ白なサシが入っているのにしつこさを感じないのは馬肉は脂肪の融点が低いからと言われている。こうした、肉質の違い、脂肪の質の違いは当然調理に差が出ることになるのだろうし、その違いを楽しめる料理を作ると言うのが文化としての肉食の歴史と知恵だと思う。

スペインでイベリコ豚の生ハムを切り分けて皿に出されてすぐ食べようとして怒られたとの話も聞いたことが有る。イベリコ豚の脂肪は室温でとけるので、脂肪が溶けだしてから食べるのが一番美味いというもの。ここまでくると、美味いものを食べたいと言う欲の素直な現れという事だろう。

こうした、各種の肉に関する繊細な感覚は我々日本人の一般的な感覚領域にはないのではないか。我々のタンパク源の主力が魚介であった歴史が長く、現在も肉に比較すれば、非常に多くの種類の魚介を多様な手法で口にしている。私は、本書で取り上げられている獣や鳥の肉は全て一度は食べたことが有る。しかし、日常的に食べるわけではなく、特別な食材だ。ただ、本書を読みながら短角牛のすね肉を手に入れてビーフシチューを作ってみようという気持ちになった。時間を掛けて煮込むと美味そうである。内池正名)

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2019年7月16日 (火)

「日本銀行『失敗の本質』」原 真人

原 真人 著
小学館(253p)2019.04.03
907円

著者の原正人は日本経済新聞から朝日新聞に入り、経済部記者、論説委員、編集委員を歴任した。プロであれば、自らの能力を最大限に発揮できる環境を求めて転籍するというのは自然なIT業界で生きてきた私としては違和感はあまり感じないが、新聞業界の風土としてはどうなのか。経済部記者ということは産業界、学界、官僚、政治家など多くの取材源を持って記事を書いていくのだろうが、彼の仕事として判り易かったのは、安倍が2012年12月に「デフレ脱却」の政策を掲げて選挙戦に打って出たが、その政策を批判するために「アベノミックス」というキーワードを使って初めて記事にした本人という点である。

この言葉の元となったのは、言わずと知れた「レーガノミックス」だが、それは「小さな政府と強いドル」を志向しながら「軍事費を拡大」するという一貫性のない経済政策を進めた結果、貿易赤字と財政赤字に苦しめられた政策を揶揄するために使われた言葉だが、この政策を当時は「ブードゥー(呪術)経済学」と批判されていた。この言葉を一ひねりして「アベノミックス」と名付けて安倍の政策批判記事を書いたという。

振り返れば当時の日本の産業界、特に輸出産業各社は「円高」「法人税率の高さ」「電力の供給不安」「自由貿易協定(FTA)への対応」「労働規制」「環境規制」などの対応に苦しんでいた。ただこれらの問題の殆どは日本固有の問題ではなく、世界の主要国の共通した課題であったことは忘れてはいけないと思う。こうした環境での「デフレ脱却」の政策を説明の際に安倍は「日銀と政策協定を結んでインフレ・ターゲットを設けたい。…達成できなければ日銀総裁には責任を取ってもらう」とか「建設国債を大量に発行して日銀に引き受けさせる。そして、やるべき公共投資を行う」と語った。こうした発言に象徴される様に、財政法や日銀法に定められた独立性についても理解しているとは思えず、政治的にも、経済学的にも常識から外れた政策や発言を繰り返すだけでなく、「アベノミックス」という揶揄さえも安倍は自らその言葉を使うに至り著者の感覚を次の様に記している。

「安倍は『レーガノミックス』という言葉の拠来を知ってか知らずか、安倍自らが『アベノミックス』 というこの言葉を使うようになったのには、いささか経済学や歴史の無知としか言いようのないこっけいな姿に見えたものだ」

安倍のこうした発言以上に、私は自国の総理大臣に対して情けない思いを抱いた発言を本書の中に見つけてしまった。それは「輪転機をぐるぐるを回して、日本銀行に無制限にお金を刷ってもらう」という言葉だ。官僚や内閣府のブレーンがついて居ながら、何故こうした言葉が出てしまうのか。

一方、冷静に考えれば、こうした人物やその党派を選挙で選んでいるのも我々国民であることを考えると、2013年の選挙で民主党政権のふがいなさから消去法として浮かび上がったとはいえ、自民党内に総理人材が安倍しかいなかったというのも、この時代の日本の悲劇と言わざるを得ない。

本書では政府の債務残高のGDP比の推移が1つの重要な視点として1890年から2019年までの130年間のグラフを示している。そこから読み取ることが出来るのは第一次世界大戦から第二次世界大戦の参戦とともに軍需産業の成長を支える戦時国債の発行が進み、敗戦直前には債務のGDP比は200%を超えていたことと、敗戦とともに国債は紙くずと化しハイパーインフレが発生し預金封鎖、新円切り替え等を行って国の借金を帳消しにした状況が見て取れる。そして戦後75年を経過した現在の債務残高のGDP比は敗戦時の200%のレベルを超えている。二つの時代の相似からも「財政の危うさ」を著者は強く指摘している。ただ、問題の本質は現在の日本の経済規模で万一でも破綻した場合、世界のどの国も経済共同体も援助できる規模を超えていると言われていることだと思う。

次に原が指摘しているポイントは日銀と安倍政権との連携である。安倍政権のスタートとともに日本銀行側のパトナーとして黒田東彦日銀総裁が任命される。そもそも先進国の中央銀行の金融政策・運用が選挙の争点になったことはない。これまでは「金融政策の政治化」を避けると言うのが政治の知恵であった。そうした世界の常識さえも捨てた安倍と黒田の二人三脚を、名著の「失敗の本質」に準えて第二次世界大戦の日本政府、日本軍の失敗との相似について分析しているのだ。

「失敗の本質」で語られたシナリオに沿って、日本銀行の政策決定や総裁発言を開戦から敗戦までの推移と比較分析している。黒田の前任の白川が安倍から突き付けられたコミットメントを拒否する形で任期満了前に退任したのも衝撃的であったが、その後の総裁黒田、副総裁岩田のコンビは「物価上昇目標2%は2年で達成できる。出来なないなら責任は自分達にある」と言って就任した。しかし、その目標達成時期は延期に次ぐ延期でいまだに達成されていないが、黒田は依然として総裁の座に坐り続けている。これは、ここまで悪化した国家債務に対処する課題の大きさに対して次期日銀総裁になり手がないという指摘もある一方、もはや、黒田がどう言い繕ったとしても2013年の就任時の短期決戦戦略は破綻し、それを修正しようとすればするほど安倍・黒田が否定した白川時代の政策に近づいていくというパラドックスに陥っているということだ。こうした「アベノミックス」の6年間を振り返りつつ、最後の「第二の敗戦」にさせないための判断を問い掛けているのが本書の言わんとしているところだろう。

本書のもう一つの論点は安倍政権の組織論的特性である。その分析とは、著者の立場からすれば、欠点を指摘しているのだが、その論点は、曖昧な戦略目的、短期志向の戦略立案、空気が支配する非科学的な思考、属人的決定プロセス、修正されない組織等を第二次大戦中の政府・軍部の組織文化との比較をして見せている。こうした判断や評価については多様な視点からの反論は当然あるにせよ、著者の姿勢は一貫している。

いずれにしても、健全な議論・論戦がされるべき現代で、政治だけでなく黒田日銀も言葉を失っていることを示すエピソードが書かれている。それは、日銀総裁の記者会見は挙手した記者に対して総裁が指名する形をとるのが慣例であるが、黒田は挙手している記者がいるにもかかわらず会見を打ち切ってしまう、初めての日銀総裁だという。こうした姿勢は明らかに自由な討論を否定する危険な仕振りである。

二人三脚の安倍も、政治家としての不勉強さだけでなく、その誤りさえも自覚できないというレベルに到達してしまったようだ。安倍が「物価が上がれば景気が良くなる」と語っている論理は誤謬であり、「実体経済が良くなるので物価が上がる」というのが科学的な論理思考である。

いずれにしても、我々に突き付けられている状況とは「アベノミックス」の待ったなしの出口戦略の必要性である。団塊の世代が全て75歳となる2025年に向けた施策が必須という著者の指摘は正しいと思う。一方、その出口戦略を推進していくための戦術を具体的に定義して、行動することが求められている。不都合な事実に目を逸らすことなく、判断と行動が求められているという事実だろう。「第2の敗戦」という言葉が怪しく目の前に行き来するという感覚が残る読書であった。( 内池正名 )

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2018年8月24日 (金)

「日本鉄道事始め」髙橋団吉

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髙橋団吉 著
NHK出版(208p)2018.04.11
1,836円

私は鉄道が好きだ。鉄道好きと言っても色々なカテゴリーがあるのだが、列車に乗る、写真を撮る、切符を集める、模型を作る等、子供の頃から一通りのことをやってきた。今、東京駅から東海道新幹線に乗れば品川の操車場の再開発工事を目にするし、東北新幹線では大宮新都心のビル群が天を突き、昔の操車場跡は面影もない。そうした風景を車窓から眺めていると、鉄道というシステムが時代とともに変わってしまったことを痛感する。

本書の著者である髙橋団吉も鉄道好きであり、鉄道に関する著作を多く書いて来た男だ。ただ、本書は鉄道マニア向けの「近代日本における鉄道」を語っているのではない。鉄道の有り方はその時点の社会システムからの要請から形作られているという事実を直視して「鉄道を通して日本の近代」を考えてみようという狙いの一冊である。

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2018年4月18日 (水)

「日本軍兵士」吉田 裕

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吉田 裕 著
中公新書(230p)2017.12.25
886円

国有地が確たる理由なしに8億円値引きされた森友学園問題で、当事者である財務省が作成した決裁文書が大量に改竄されていたことが発覚した。決裁文書は行政府が法に則って意思決定をし、決裁権者がそれを承認したことを記録するもの。これをきちんと保管することで後から意思決定の過程を追跡できる一次資料だ。その決裁文書を改竄したり隠蔽したりする行為は、いわば歴史を偽造するに等しい。今回は総理大臣とその妻の存在が、直接にか間接にか影響を与えて公正な法の執行を歪めた疑いが濃い。

と、この本を読みながら森友問題を思い出したのは、どうもこの国は昔から同じようなことやってるなあと感じたから。というのも、軍民合わせて310万人の犠牲者を出した第二次世界大戦の死者に関して、「包括的な統計がほとんど残されていない」というのだ。日本政府は、なぜか年次別の戦没者数を発表していない。戦争末期の混乱はあったにせよ、戦後ずっと厚労省が戦没者の調査を進めているのだから、その時々での数字を確定させることはできるはず。それがされていないことは、そこになんらかの意図があるのではないかと疑ってしまう。

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2018年3月19日 (月)

「日本人とリズム感」樋口桂子

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樋口桂子 著
青土社(299p)2017.11.24
2,376円

自分自身がリズム感に自信が無いのはともかくとして、リズムが文化論として成り立つのかも想像したことはなかった。所詮、リズムとはノリが良いかどうかであり、「好き」か「嫌いか」という落ち着きどころになってしまう様に思っていたので、リズム感を構造的に語るとはどういうことなのか興味を持って本書を手にした。

著者が日本人のリズム感を考える契機になったエピソードが紹介されているのだが、極めて象徴的で面白い。それは、来日したイタリア人とタクシーに乗った時に、ラジオから流れていた都はるみの「あんこ椿は恋の花」を聞いて「この女の人は腹が痛いのか」と真面目に質問してきたという。喉に無理なく流れるような唱法のベルカントオペラの国の人からすると、喉から絞り出すような都はるみの歌には驚いたようだ。もうひとつは、イタリア語通訳として同乗していた友人とイタリア人との会話で相槌の打ち方の違い。日本人の友人は相槌を打つときに首を下向きに振る。しかし、イタリア人は首を上に上げる。こうした声や相槌といった所作・動作が示す日本人の特性はどこに由来しているのかという疑問から本書は始まっている。

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2015年10月18日 (日)

「にょにょにょっ記」穂村 弘/フジモト マサル

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穂村 弘/フジモト マサル 著
文藝春秋(224p)2015.09.07
1,620円

著者の穂村弘は1962年生まれの歌人。1990年のデビュー当時は「ニューウェーブ短歌」の先駆けとして名を馳せた。本来、限られた字数を舞台とする文学ジャンルの表現者なのだが、本書のような字数制約のない表現形態でも独特の世界観を創り上げている。「別冊文藝春秋」に掲載されていた日記形式で書かれたエッセイを単行本化したもので、シリーズ3作目となる。シリーズ1作目が「によっ記」。「日記」と「ニョッキ」を掛けた言葉遊びなのだろうが、2作目が「によによっ記」、従って3作目の本書が「によによによっ記」という奇怪なタイトルになっている。しかし、4作目は「によっ記4(によっきし)」とかにしないと長くなりすぎて困るだろうと余計な心配をしてしまう。

さて、本書は日常的な事柄の疑問や不思議をテーマとして、その視点は評者からすると「なるほど感」や「もっとも感」に包まれたものだ。まあ、周波数が合うとでもいう事なのだろう。世代の違う人達の会話に出てくる言葉への驚き、古い書物や子供の頃のテキストに表れる不思議な表現、街で配られるフリーペーパーから店の看板にいたるまでその興味が広がっている。そうしたものに素直に反応する著者の「気づき力」とでも言うべき感性の鋭さは歌人たる穂村の力量だろう。

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2015年3月16日 (月)

「21世紀の資本」トマ・ピケティ

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トマ・ピケティ 著
みすず書房(710p)2014.12.8
5,940円

トマ・ピケティの『21世紀の資本』は世界で150万部超、日本でも13万部のベストセラーになった。700ページを超える専門書がこれだけ売れたのは、40年に及ぶ編集者生活でもあまり見た記憶がない。世界中で格差問題に対する関心がいかに高いか、ということだろう。

日本でも何冊かの解説本が出版され、週刊誌で「1時間でわかるピケティ」なんて特集も組まれた。ピケティ自身も来日してシンポジウムやインタビューでいろんな発言をしている。だから本書の、
「r ≻g(資本収益率は経済成長率≒賃金上昇率を上回る)」
といった式や、
「現在の格差は長期的には持続不可能なところまで高まっている」
という結論について知りたいのなら、わざわざ700ページを読むまでもない。

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2013年4月20日 (土)

「2666」ロベルト・ボラーニョ

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ロベルト・ボラーニョ 著
白水社(870p)2012.10.20
6,930円

大長編小説を読む楽しみは格別なものがある。ドストエフスキーにしろ、フォークナーにしろ、読んでいる数週間、あるいはそれ以上の時間(この本の場合2カ月)、ある時代、ある国の男と女が織りなす世界にどっぷり浸りこむ。もちろんどんな小説や映画でも似たような体験が得られるけど、読むのに数十日かかる大長編小説では、その深さ濃さは比べものにならない。その間、食事や仕事など日々の生活を送る自分と、別の時代、別の国にタイムトリップした自分と、同時に二つの生を生きているような錯覚を起こす。

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