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ノマド/「能率」の共同体/脳はなぜ都合よく記憶するのか/ノモンハン戦争/のりたまと煙突/脳の老化と病気

2021年8月17日 (火)

「ノマド」ジェシカ・ブルーダー

ジェシカ・ブルーダー 著
春秋社(372p)2018.10.20
2,640円

ノマド(Nomad)とは、一カ所に定住せず遊動生活を営む人々のことを指す。といっても時代と地域が異なればそのありようはさまざまで、遊牧民もノマドだし、流浪の民も、放浪者も、狩猟採集民もノマドと呼ばれる。本書『ノマド(原題:Nomadland)』でそう呼ばれるのは、現代のアメリカで住まいを持たず各地を移動しながら季節労働に従事する車上生活者。今年のアカデミー賞作品賞を受賞した映画『ノマドランド』の原作でもある。ジャーナリストの著者ジェシカ・ブルーダーは3年間、2万4000キロを彼らと旅して本書を著した。邦訳は3年前に出ているけれど、今年、映画が公開され5刷が出たから、このテーマに関心を持つ人がそれなりにいるということだろう。

本書には数多くのノマドが登場する。なかで主役といっていいのがリンダ・メイ。著者が会ったとき64歳。ジープ・グランドチェロキーを運転し、住まいである全長3メートルの小型トレーラーを牽引している。彼女はいま、夏季限定のスタッフとして時給9ドル35セントで働くために、カリフォルニア州サン・バーナーディーノ山地のキャンプ場に向かっている。

リンダは高校を中退したが、高卒認定資格を取りカレッジで建築技術の資格も取得した。これまでに経験した職業はトラック運転手、ホステス、施工管理の現場監督、フローリング店経営、保険会社役員、建築検査官、国税庁の電話相談員、介護職員、犬のブリーダーなどなど。その間、2人の娘を独力で育てあげてもいる。路上に出るまで、リンダは娘の狭い賃貸アパートに身を寄せていた。娘夫婦、3人のティーンエイジャーの孫たちと、計6人。リンダは家族に気をつかい、玄関脇のソファーで寝るしかなかった。2人の孫は病気がちで、生活はぎりぎり。そこへ大黒柱の娘婿まで病気になり、仕事を辞めざるをえなかった。リンダが娘の家を出ようと決心したのは、こんな理由からだった。リンダの公的年金は年524ドル。オークションで1400ドルの小型トレーラーを手に入れ、彼女はノマドになった。

キャンプ場へ出発する前日、著者はリンダに「わくわくしている?」と尋ねた。「『もちろんよ。これまで車もなければお金もない、ソファーの上にいるだけの生活だったんだから』。……以前はあたりまえだった自由をあまりに長いあいだ失っていたせいで、路上に出ることで得られる新たな経験や未来への可能性への期待が、いやが上にも高まっていた」

キャンプ場では、ノマドの友人シルビアン(詩人でもある)と組んで主に清掃の仕事に従事する。2人の分担は18カ所の屋外トイレと88カ所の使用後のキャンプサイト。利用客のチェックインや使用料の徴収もやる。仕事が終わる夜間も、客が深夜にやってきたり、騒音の苦情に対処したりする。

リンダが車上生活を始めたのは2010年。アメリカで「ワーキャンパー(ワーク+キャンパー)」と呼ばれる車上生活者が急増したのは2008年のリーマンショック後だった。住宅バブルが崩壊し、持ち家の価値が暴落した。仕事を失ったり、住宅ローンを払えなくなった人たちは否応なく路上へ押し出された。「ワーキャンパーは、これまでずっとあたりまえだと思っていた中流階級の安楽な暮らしから、はるか隔たったところに落ちこんでしまった人たちだ。……高・中所得者層から低所得者層に移行する高齢者の人口は近年急激に増加していて、私が取材したワーキャンパーの多くはその一員だった」

ワーキャンパーが金を稼ぐ季節労働は主に野菜・果実の収穫やキャンプ場の管理人だが、それをうまく利用している企業もある。例えばアマゾン・ドット・コム。アマゾンは宅配便が飛躍的に増えるクリスマスセール前後の3、4カ月、従来型の派遣社員とは別にノマドによる労働チームを倉庫に投入する。その季節になるとノマドたちの車が倉庫周辺のRVパーク(キャンピングカー駐車場。電気・上下水道を使えて使用料は月500ドル前後)にひしめくようにやってくる。勤務はシフト制で、最低でも10時間は働く。その間ずっとコンクリートの硬い床を歩き、何百回も屈んだり背伸びしたり階段を上ったりしながら、商品のバーコードをスキャンし、仕分けし、箱詰めする。リンダとシルビアンもカリフォルニアのアマゾン倉庫で知り合った。そのときリンダは時間外手当のつく夜勤を希望し、15分の休憩2回と30分の食事休憩をはさんで夕方6時から朝4時半まで働いた。

リンダやシルビアンらノマドたちには、先に触れたようにリーマンショック前後の不況で職や家を失って路上に押し出された人たちが多い。でも、彼らを激変した経済の犠牲者という視点のみでは考えられない、と著者は言う。実際、リンダもソファーの上に押し込められた生活から、路上での新しい生活にわくわくしていた。現代アメリカのノマド的生き方を指南するボブ・ウェルズは、自らのサイトでこう言っている。「普通の暮らしを捨てて車上生活を始めれば、ぼくたちをはじき出す現在の社会システムに異を唱える“良心的兵役拒否者”になれる。ぼくたちは生まれ変わって、自由と冒険の人生を生き直せるんだ」

ボブの「安あがりRV生活」というサイトや「車上生活者の会:愛車に住もう」のサイトにはたくさんの実例が寄せられ、それらに学んだり勇気づけられたりしてノマドとしての生き方を選ぶ人々が生まれる。リンダもそのひとりだった。そうしたサイトは実用的であるだけでなく、社会からはじき出されたノマドたちが互いに知り合い、連帯する場を目指している。「車上生活に乗り出したとき、リンダは経済的に生き残ることだけを目標にしたのではなかった。充実と自由を求めて生き方を大胆に変えようとしている人たちの、より大きなコミュニティの一員になれたらとも夢見ていたのだ」

実際、ボブ・ウェルズの呼びかけで各地に散るノマドが年に一度だけ集まる集会がある。毎年1月、アリゾナ州の砂漠の町で開かれるRTR(ラバートランプ集会)。人里離れた辺境の地に、この季節になると数万人のノマドがキャンピングカーや改造バスや箱型トラックや、なかには乗用車(プリウスに住んでいる!)を駆って集まってくる。ノマドにはいろんなトライブ(仲間)があって、トライブごとに2週間無料で滞在できるRVパークに車を停め、車の前にカーペットを広げてコンロやチェアを取り出す。ステルス・パーキング術(町なかで、いかに見とがめられず安全に駐車するか)などたくさんのセミナーが開かれ、フリーマーケットや交換会、合同食事会もある。アマゾン倉庫で働いていたリンダもやってきた。

こういう現代のノマドの生き方を見ていると、アメリカの伝統なんだなあという気もする。19世紀から20世紀の大不況時代に各地を放浪したホーボーも、渡り鳥労働者でありながら自由の体現者でもあった。そのなかからウディ・ガスリーのような詩人・音楽家が生まれた。ボブ・ディランの「風に吹かれて」も、ケルアックの『路上』も、その流れの上に成り立っている。映画でも『イージーライダー』のような「ロードムーヴィー」が生まれた。女2人が車でメキシコを目指す『テルマ&ルイーズ』(1991)は21世紀のノマドを予見しているようでもある。

著者はノマドについて、こう言っている。「人間というものは人生最大の試練のときでさえ、もがき苦しみながらも同時に陽気でいることができる、ということだ。彼らが現実から目を背けているという意味ではない。それは、逆境に直面した人間が発揮する驚くべき能力──適応し、意味づけ、団結する能力──の証明だと思う。……ノマドの人びとは、無力な犠牲者でもなければお気楽な冒険者でもなかった。真実は、それよりはるかに微妙なところに隠されていた」

著者は、自らもキャンピングカーを手に入れてこの取材を続けた。最後はやはりリンダとのエピソードで締めくくられる。リンダには夢があった。「アースシップ」をつくることだ。アースシップは、古タイヤや空き缶空き瓶など廃棄物を建築材料に、ソーラーパネルや雨水の利用で電力と水を自給自足できる家のこと。実際、ニューメキシコ州には数十軒のアースシップが建っている。リンダは季節労働でかせいだ金で、アリゾナ州チワワ砂漠の西端に5エーカー(約2ha)の土地を2500ドルで手に入れた。ところが、アマゾンの仕事が入って見にいけない。そこで著者がリンダに代わって現地に行き、その土地を探してパソコンでリンダに中継する。「あなたの映像、ぶつ切れだわ」「ちょっと待って、それが道路なの?」。乾いた赤茶色の土と、谷の向こうの山のシルエット。「ほんとうにいい景色ね、そう思わない?」。パソコンを介した著者とリンダの会話に、取材者と取材される者という関係を超えた共感が流れて思わず引き込まれた。

映画『ノマドランド』はコロナ禍と個人的事情があって見にいけなかった。若い中国系の女性監督がリンダたちをどう映像化しているのか、近くDVDが出るのを楽しみにしている。(山崎幸雄)

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2017年5月17日 (水)

「『能率』の共同体」 新倉貴仁

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新倉貴仁 著
岩波書店(352p)2017.02.18
3,564円

本書は第一次大戦後(1920年代)から戦後高度成長期(1970年代はじめ)までの約半世紀に亘る、日本の文化ナショナリズムの変化を「能率」という概念を補助線にして説明しようという試みである。第二次大戦を挟むこの時代は社会の仕組、国民の意識、天皇制、家族観などが一挙に変わった時代というのが一般的理解と思う。だからこそ、この半世紀の間でどんな視点であれ連続するという見方に興味を覚えて本書を手にした。

著者は「文化」のナショナリズムを構成するものとして三つの視点を提起している。第一が、近代日本における人口の増加(1920年から1970年で約2倍)と農村から都市への人口移動にともなって発生した格差を「農村と都市の二重構造」について語っている。第二の点は産業化や都市化を背景として社会の大多数を構成するミドルクラスの形成を取り上げている。第三として、産業技術の進歩と能率についてか検討している。

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2017年3月18日 (土)

「脳はなぜ都合よく記憶するのか」 ジュリア・ショウ

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ジュリア・ショウ 著
講談社(306p)2016.12.14
1,944円

年齢のせいか記憶という言葉に敏感になってきた。物忘れも加齢の結果と割り切ることにしているものの思い出せないイライラ感がないわけではない。本書は「朝起きたら、自分でしてきたこと、学んだことなどを何ひとつ覚えていなかったらどうだろう。それでも、この人物はあなたなのか」との問いかけから始まる。著者は「過誤記憶(記憶エラー)」という脳心理学の領域の数少ない研究者。人の記憶については近年多様な視点からの研究が行われていて新しい発見も多いといわれている。それらの多くは人の記憶の不完全さを明らかにしてきているのだが、そうした成果をもとに冤罪の危機にあった多くの犯罪容疑者たちを救う活動をしてきた実績を持つ人である。

イノセンス・プロジェクトという冤罪を無くすことを目的とした団体は、DNA鑑定を利用して337名の容疑者を釈放させたが、驚くべきことにこの釈放された容疑者の内75%は「誤った記憶」による証言が有罪の根拠とされていたという。この数字は米国におけるDNA鑑定が可能であった事件だけに限られているということを考えると、世界でどれだけの曖昧な記憶による証言で罪を負っている人が居るかは想像に難くない。こうした状況に対する科学からの問題提起である。

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2009年9月 4日 (金)

「ノモンハン戦争」田中克彦

Nomonhan 田中克彦
岩波新書
248p2008.06.19
819
 

 「ノモンハン戦争」というのは、僕らが普段「ノモンハン事件」と呼出来事を指している。 1939年夏、満洲国とモンゴル人民共和国の国境地帯で日本軍とソ連軍が4カ月にわたって激突し、それぞれに2万人前後の死者・行方不明者を出した。 この出来事はロシア(ソ連)側では「ハルハ河の勝利」とか「ハルハ河の会戦」と呼ばれている。大量の戦車と航空機が出動し、両軍で4の死者・行方不明者を出した長期の戦闘は「事件」や「会戦」というより「戦争」と呼ぶにふさわしいけれど、日本もロシアもそう呼ばないのは宣戦布告なしに戦われた「非公式」の戦争だからだ。

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2008年11月11日 (火)

「のりたまと煙突」 星野博美

Noritama 星野博美著
文藝春秋(328p)2006.05.15

1,850円

「のりたまと煙突」という懐かしい語感の、でもつながりがよくわからない言葉を重ねたタイトルから、人はどんな内容の本を想像するんだろう。「のりたま」と言えば、ふつうはのり巻きと玉子の寿司か、あるいは弁当。ひょっとしたらふりかけを思い浮かべる人もいるかもしれない。いずれにしろ食べ物を連想させるわけで、それが「煙突」とどう関係するの?

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2008年11月 4日 (火)

「脳の老化と病気」小川紀雄

Nou 小川紀雄著
講談社(236p)99.02.20
924 円

ブルーバックスは手軽な科学本として、手にもとりやすく、中には事典形式の厚手のものはごめんこうむりたいが、ハードカバーに劣らない内容で重宝している。何よりも校訂がしっかりしていること。安直本はほとんど無い。時折、科学の現況が気になる文科系の者には数式もあまりなくて安心できる。

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