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皮革とブランド/人びとのなかの冷戦世界/ヒト、犬に会う/ヒマ道楽/非除染地帯/東日本大震災復興時刻表、福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書/暇と退屈の倫理学/日々の食材ノート/ビル・エヴァンスについてのいくつかの事柄/ひととせの ー 東京の声と音/樋口一葉『いやだ!』と云ふ/白檀の刑/ひべるにあ島紀行/100円玉ではじめる驚愕の財テク新理論(続)/百円シンガー 極楽天使

2023年11月16日 (木)

「羊の怒る時」江馬 修

江馬 修 著
ちくま文庫(320p)2023.08.10
924円

「関東大震災の三日間」という副題のあるこの本の著者、江馬修という名前はプロレタリア文学の作家として名前だけ知っていた。でも冒頭の「序」を読むと、江馬がマルクス主義者になったのは本書を「書き終える頃から」で、それまでは田山花袋らの自然主義に影響を受け下層階級の人々を描く小説家で、世間では「人道主義作家」と呼ばれていたようだ。

江馬は本書を「小説」と呼んでいるが、現在の呼び方で言えば「ノンフィクション」あるいは「記録文学」と言うことになろうか。震災の2年後に刊行されたが、その後忘れられ、1989年に小出版社から復刊された。広く人々の目に触れるのは、ちくま文庫に収録された今回が初めてかもしれない。

本書には震災の「第一日」から「第三日」まで、「その後」と時系列に沿って江馬の体験が書かれているので、本を読んでの感想というより、このなかで朝鮮人(初版では「×××」の伏字)関係の記述を順を追って拾い出してみたい。作品の評価とは別に、それがこの本からいちばん学ぶべきところだと思うから。

1923(大正12)年9月1日、江馬は新宿郊外、初台の自宅に家族といた。このあたりからは、代々木の谷をはさんで練兵場(現在の代々木公園)の草原があり、明治神宮の森が広がっているのが見える。ここは「郊外」で、神宮の森の向こうを江馬は「東京」と記している。激しい揺れの後、一家は家の前の空き地に飛び出した。隣にはI中将の家がある。練兵場の彼方、明治神宮の森の上、新宿方面に黒煙と火の手が上がるのを、空き地に集まった近所の人々が不安と緊張でながめている。

江馬が代々木の谷へ様子を見にいくと、知人である朝鮮人学生の鄭君と李君の下宿先の家がつぶれ、二人が屋根の下から大家の奥さんと赤ん坊を助け出す場面に出くわした。「朝鮮の問題については常に深い同情をもって対していた。随ってこれらの若い朝鮮の若い学生たちから信頼されることは、自分にとって一種の喜びであり幸福であった。とは言え、また、言い難い苦痛であったとも告白しなければならない。何故ならば、彼らの友達として自分の余りに無力であることが痛いくらい自覚させられたから」。朝鮮人学生の知り合いがあり、彼らに深い同情を寄せている。それが地震が起きたときの江馬の朝鮮人への思いだった。

やがて外出していたI中将夫妻が帰ってくる。I中将が近隣住民のリーダー的な存在になって、彼を中心にグループがつくられる。第1日目の夜、在郷軍人がやってきて、「火事のため監獄を開放して囚人を逃がしたそうだから警戒するように」と言い残して去る。

2日目の午後、I中将が「耳に挟んできたんだが、混乱に乗じて朝鮮人が放火して歩いてると言うぜ」と江馬に伝える。新宿まで様子を見に行ったI中将の息子が、「朝鮮人を二人、大騒ぎして追っかけているのを見ましたよ」と言う。「一人は石油缶を路地に置いて、マッチを擦っている所を見つけられたんだそうです」。近所の住人のひとりT君が、「本当ですかね、朝鮮人が一揆を起して、市内の至る所で略奪をやったり凌辱したりしているというのは。だから市内では、朝鮮人を見たら片っぱしから殺しても差支えないという布令が出たと言ってましたがね」と噂を伝える。

ちょうどそのとき、学生服を着た学生が新聞紙で包んだ重そうなものを片手に持って通りすぎた。江馬は思わず「朝鮮人!」と呟いてしまう。「一切が明らかにされた(注・デマであることが分かった)今でさえも、そしてあんな際に最も理性を失わなかったと自信している自分でさえも、あの時学生の手にあったものが石油か爆弾では無かったかというような気がふっとする事がある。人間の心の惑乱の恐ろしさよ!」。

江馬が子供のために菓子を求めて歩いていると、地震と火事から逃れてきた人々が、いたるところで朝鮮人について憎悪と興奮をもって語っているのを目撃する。朝鮮人らしい学生が群衆に囲まれ殴られているのも目撃する。殴打が激しくなり、江馬は「無暗に殴らないで、早く警察に渡してしまえ」と怒鳴る。「自分は正気を失った群衆よりは、警察の方を信じていたのだった」。

知り合いの学生である李君が、友人のいる本所が火事で焼けたので探しに行くと言う。江馬は自分が目撃したことを話して止めようとするが、李君は「何も悪いことはしていないので怖いことはない」と言って出かけてしまう。李君はそれきり帰ってこなかった。

I中将が言う。「きゃつらはかねてから事を計画して、こんな折を狙っていたのかな」。白シャツを着た自転車の男がこう叫んで去って行った。「朝鮮人が三百人ばかり暴動を起こしてこちらへやってくるから、男子は皆武装して前へ出てください。女と子供は明治神宮へ避難させてください」。住民が木刀やスポーツ用の投槍やピストルを手に集まってくる。江馬は妻や子供に「行かないで」と泣かれて家に閉じこもる。「遠く原の方面にあたってわっわっという喚声がもの凄く響いた。つづいて銃声が二、三発……『暴徒がやってきたんでしょうか』と妻が怯えた声で聴いた。『さあ、そうかもしれない』。三百人からの暴徒が手に手に武器や爆弾をもって、原を横切り、谷を伝ってこちらへ襲来してくる様が、まざまざと目に見える気がした」。

夜、江馬が外へ出るとI中将以下、住民が木刀などを手に集まっている。皆が額に手拭いを巻き、「初」と問われたら「台」と答えるのが合言葉。「相手が三百人と言ったところで朝鮮人じゃないか。一人残らず低能か、なまけものだよ」、恐怖にかられたT君が高い声でしゃべりつづけている。

三日目。江馬は本郷に住む兄一家の安否を確かめるために出かけた。途中、朝鮮人らしき学生3、4人が10人ばかりに取り囲まれている。「ぶっ殺してしまえ」。乱闘が始まった。「自分は目をそらして、あわてて壱岐坂を登って行った。心で自分をこう罵りながら。『卑怯者!』」。帝国大学正門から森川町へ抜けようとしたところで江馬は検問に会った。「顔つきが朝鮮人くさいね」「君が代が歌えるか」。なんとか検問を抜けたが、蕎麦屋のおかみさんに「あなたはどこへ行くんですか」と詰られる。無視していると後ろから、「朝鮮人かもしれないぞ。捕まえてやれ」と男の声がする。姪っ子と出会って言葉を交わし後ろを振り返ると、棍棒やバットを持った男3人が「安心したというよりも、がっかりしたように」立っていた。

兄の家で互いの無事を確かめていると、在郷軍人がやってきた。「朝鮮人が避難者の風をして、避難者に化けて我々の中に交っている事が発見されました。気をつけてください」。兄の家を出て帰る途中、江馬は電信柱にこんなビラを見る。「町内に朝鮮人三百人ばかり潜伏中なれば各自警戒せらるべし」。

初台の家に帰ると、自警団が結成されている。在郷軍人が自慢話でもするようにしゃべっている。「富ヶ谷で朝鮮人が十二、三人暴れたんです。私もよく知ってる騎兵軍曹が馬上から一人の朝鮮人を肩から腰へかけて見事袈裟斬りにやっつけたと言いますよ」。職人らしい若い男が火事装束に大刀を抜身にしてどなっている。「主義者でも朝鮮人でも出てくるがよい、片っぱしから斬って捨ててやるから」。

夜、在郷軍人が通りがかり、そこの坂を7人の朝鮮人が抜刀を振り回して通ったと「滔々と」「上手な話しぶり」で「雄弁」に語った。江馬はその坂へ行って見張り番の者に尋ねたが、そんな事実はなかった。「夜警の退屈まぎれに、そして人々の過敏にされた心を脅かす興味につられて心なきものがいかにこの種の有害な風説を振りまいて歩いたことだろう。そして人々はいかに単純にそれを信じた事だろう」。

「その後」の章では、4日目以降の出来事が語られる。地震の日の朝から都心に出ていた知り合いの学生、蔡君が1週間ぶりに帰ってきた。蔡君は初台へ帰る途中、群衆に囲まれて殴られ、自ら「警察へ連れていってくれ」と叫んで大塚で留置場に入れられていた。留置場には他にも朝鮮人がいて、群衆は警察に押しかけ朝鮮人を出せと騒いだ。警察は5日目あたりから朝鮮人を解放しはじめたが、蔡君は家まで遠いので「もう2、3日辛抱したほうがよい」と言われたのを無理に帰ってきたという。

江馬は蔡君を自宅にかくまうことにした。「一週間を経過しても、朝鮮人に対する一般の疑惑と昂奮はなかなか鎮まらなかった」から。「自警団は(避難者も加わって)賑やかなものになっていた。……彼等は震災と朝鮮人に関するそれぞれの土産話を持ち寄ってきた。退屈な夜警の中で人々は喜んで熱心に耳を傾けた」。夜警の途中、朝鮮人がいると情報が入ると、人々は勇んで駆けつけた。それはロバだったり、白い立て札だったりした。……

関東大震災時の朝鮮人虐殺について、これほど臨場感のある文章を読んだのははじめてだった。もともときちんとした調査がなされていないから、犠牲者の数すら数百人から数千人まで諸説あるし、公的な記録も少ない(先日、松野官房長官がこの問題で「政府内で記録が見当たらない」と述べたが、少数ながらあるようだし、殺害の罪を問われた者の裁判記録もある)。

そうしたものとは別に、この本は江馬という作家が自分の眼で見たもの、体験したことがそのまま書かれていることに意味がある。江馬は朝鮮人が殺された現場を直接見たわけではない。けれども、朝鮮人が暴動を起こしたという流言がどんなふうに広がり、地震と火事に打ちのめされ逃げまどった人びとが不安にかられ、武器を手に自警団をつくり、怪しげと見える者を片っ端から追いかける、その集団の「空気」がリアルに記録されている。朝鮮人の知り合いを持ち、彼らに同情を寄せる江馬ですら危うくその空気に飲み込まれそうになる。そうかもしれないと思う。そこから出てくるのは、さてお前はこの状況におかれたらどのように振る舞うか、という問いだろう。(山崎幸雄)

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2023年7月15日 (土)

「皮革とブランド」西村祐子

西村祐子  著
岩波書店 (206p)2023.05.23
990円

著者は社会人類学の領域で、皮革産業の歴史や文化をテーマとした研究者。本書では皮革加工とファッションブランドの歴史を紹介しつつ、持続可能性の観点から皮革産業の将来について語っている。加えて、この数年のコロナ禍で高級ブランドビジネスの中核だった観光客に対する免税販売は苦境に立った。コロナ禍で「見せ場」もなく、ブランド品に金を掛けるという目標を失った消費者達、特に女性達は「ユニクロ」で良いという不可逆的な意識変革を起こしているのではないかとさえ感じられる。

著者は服飾業界での「ブランド」とは「製品としての信頼」を中心に、サービス、製作能力といった多様な要素で構成されるとしている。しかし、私を含めオジサン達からすると「グッチ」とか「エルメス」と言われても服のデザインの違いも良く判らない中で、バッグなどはブランドのシンボルマークがついていたりするのでどうにか判別できるという程度。もともと、ブランドの語源は放牧する牛の所有者を識別するために個々の焼印を押していたことに由来する。つまり「ブランディング」とは識別することであり、「ブランド製品」に求められるのは、他人から「あの人は高級なブランド品を持っている」と認識してもらうという「自己満足」がファションブランドの本質ではと私は思うのだが。そんな、ファッションブランドにさしたる興味を持たずに生きてきた私にとっては、ファションブランドと皮革製品の歴史や関係について初めて知る事柄も多い読書だった。

まず、皮革の文化について語られている。古くから、ヨーロッパでは王族・貴族は毛皮を身に纏って身分の高さを誇示していた様に「皮革」は高級品としての象徴性を持っていた。しかし、同時に各国では革に加工するなめし皮職人は卑しい仕事とされ、ユダヤ人や華僑の客家といった流民や移民が担ってきた歴史が有る。日本でも「皮田」と呼ばれた特殊な集団がこの仕事を支えてきた。まさに、屠殺に対する宗教的忌諱感や皮なめしの工程で使用されていた動物の脳しょうの悪臭が差別感を生んでいたようだ。

ただ、欧州では中世の終わり頃には「皮なめし職人」の技術は評価された結果、技能集団はギルドを構成した。イギリスでは「レザーセラーズ」として独占販売権・技術独占・新規参入阻止をしてブルジョア集団化していくとともに政治的地位も獲得していった。

こうした皮革産業の構造変革を促したのは、ナポレオンによる近代戦争と言われている。近代戦争では軍関係の皮革需要は大きく、都市ごとの閉鎖的なギルド組織に支えられる限定的な生産モデルでは対応出来なかった。ただ各地の職人の技術は温存されて、バルカン半島で原皮を手に入れ、スペインのコルトバで製品を作り、ヴェネツィアで販売店を開いているビジネス・パートナーに渡すという国際分業体制、大量生産体制が構築されていった。

「ブランド化された高級品」と「大量生産された製品」は一見結びつかないように思うが、何故皮革製品がブランドの看板商品になっていたったのかという疑問に著者は次の様に答えている。「服飾は毎年新作が発表されるが、皮革製品は一つの製品が何十年も売れ続き、衣服と違って国ごとにサイズを取りそろえる必要もなく、時として男女兼用だったりもする。こうしたことから、ファションメーカーの利益の過半は皮革製品から生まれている」と聞くと、ファションビジネスモデルで見ると皮革製品は特別な範疇にあるということが良く判る。

本来、中世の王侯は専用の仕立屋を自宅に呼びオートクチュール(オーダーメイド一点物)として服を作って来たが、より多くの客を相手にする為に19世紀にはメゾン(高級服飾店)を構えて客を店に呼ぶという効率化を図った。加えてミシンが発明されたことで製作の効率化を可能にして行った。これがブランドの量産化の最初の変革であり、メゾン体制のもとパリが世界のファションブランドの中心となっていった。

しかし、パリの伝統的なファッション業界の優位性も第二次大戦後から揺らぎ始める。それは「ブランド品」は一握りの特権階級の占有物ではなく、膨大な中産階級の需要によって成り立っているという見方をして、著者は「ファッションの民主化」と表現するとともに、ファション業界の量産化が進む。

また、革の衣服の象徴性はジェームス・ディーンの黒革のジャンパーとブーツに始まり、「アウトロー」・「プロテスト」を表現するものに変化していく。1970年代にベビー・ブーマー世代が成人となり、それまでの「少数の文化人や芸術家によってリードされていた文化活動」とは大きく異なる「数の力」や「豊かさ・余裕」が消費者活動の主役となった。それを取り込もうとするブランド戦略はある意味でブランドのサブカルチャー化であったというのもうなづける。ファションが著者の言う「庶民の思想的トレンド」であればブランドのデザインの方向を決めるのは時代なのかも知れない。富裕層も若者も同じものを着るという「平等」と「自由」であり、これを業界の人達は「民主化」「第二のルネッサンス」と呼んだようだ。

ものづくりとして、こうした動きを可能にしたのは、大量生産体制、グローバル化したサプライチェーン、複数企業の連携だったとしている。その中で著者は各人が同じ製品を持ちながらも、オリジナリティーを発揮するために使い方、着かたに自分なりの主張(襟を立てるとか)を少しだけ加えることの重要性を「3%ルール」といっている。

一方、製造業に関する国の規制も強化されていく。伝統的な皮革製造プロセスで使用されて来た漂白の為のホルマリンは使用禁止となり、石油由来の仕上剤などを水溶性剤に代えて環境汚染を減少させ、排水処理の効率化、廃棄物のリサイクルの推進などが行われて来た。こうした環境問題への対処に加えて、動物愛護の流れは強くなっていく。そうした動きを加速させた例として、2015年にエルメスのバッグ「パーキン」に使われているクロコダイルが残酷に殺されているとの批判を受けて、その名前の由来主である女優のジェーン・パーキンがエルメスに自分の名前を使わない様に要求したというのも象徴的な事件であった。こうして、希少動物の捕獲禁止、製造プロセスでの使用薬品の制限、毛皮取引制限などを守る事がブランドの評価に加わってくる時代となってからも、皮革の代替品として合成皮革開発では、ルイヴィトンが通気性のあるポリウレタン開発に成功して以降、「革」と「合成皮革」を組み合わせた製品が作られ、今や天然合皮のヴィーガンレザーが登場してくる。

「革製品は触ることで良さを体感する。品物と自分のコミュニケーションの第一歩」で「持ち手と作り手の会話」と著者は言う。ただそれはブランドを選ぶ以前に、どんな革が自分として好きなのかということだと思う。私は革製品について興味もあるし、日用品として長財布、名刺入れ、書類鞄などはコードバンの製品を長く使っている。それらは「大峡製鞄」や「いたくら」といったブランドよりもコードバンという革の手触りや使い勝手で選んでいる。今更ながら、革製品と言えば靴やベルト、キーホルダーなど多くの革製品に日常生活は支えられていることに気付かせされた一冊だった。(内池正名)

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2022年4月17日 (日)

「人びとのなかの冷戦世界」益田 肇

益田肇 著
岩波書店(426p)2021.4.16
5,500円

「世界はすでに新たな世界的衝突の最初の段階に入っている。…ロシアは参戦する。そしてこの第三次世界大戦は10年続くことになるだろう」

この言葉は、今年2月以来のロシアによるウクライナ侵略について語られたものではない。でも、いま目の前で進行している衝突が世界史の転換点にあること、それが第三次世界大戦という言葉が発せられる生々しさを持っているという意味では、ウクライナでいま起きている事態に重なってくる。

この言葉が発せられたのは1950年。発したのはイギリスの哲学者バートランド・ラッセル。この年6月、北朝鮮軍が韓国に侵攻し、直後に米国が軍隊の投入を決めて朝鮮戦争が勃発したのを受けての発言だ。

『人びとのなかの冷戦世界』は、第二次世界大戦後に米ソの超大国が対立し、冷戦(The Cold War)と呼ばれた時代がどんな時代だったのかを、従来の歴史解釈とは別の視点から探った野心作。第三次世界大戦という言葉がリアルに感じられた時代のことを、当事者からも第三次世界大戦という言葉が飛びだす現在のウクライナ侵攻の真っただ中で読むという緊張感あふれる読書になった。

この本が、従来の冷戦を扱う歴史書と違う点は主にふたつある。ひとつは1950年という特定の年に注目し、その断面でいくつかの国(アメリカ、日本、韓国、中国、台湾、フィリピン)で何が起こっていたかを考えていることだ。ふつう冷戦の歴史というと、第二次大戦終結直後から米ソ対立が始まり、1947年に冷戦という言葉が使われはじめた、と「起源」やその「展開」といったふうに記述されることが多い。でもそういう発想そのものが危ういと著者は言う。そうした議論は冷戦世界が実在していたことを前提としているからだ。著者の結論をあらかじめ言ってしまえば、「冷戦とは想像上の『現実』だった」というもの。

この年、米ソが対立する冷戦が朝鮮半島で火を噴いて「熱戦」となり、世界の多くの人々が、この冷戦はやがて来るであろう第三次世界大戦への過渡期なのだと実感した。それまで何人かの学者や政治家が唱える一つの現実認識にすぎなかった冷戦(cold war)という言葉が、だれも疑うことのできない「大文字の歴史(The Cold War)」へと転換した。1950年とはそういう年だった。

この本が新しい視点を持っているもうひとつは、従来の冷戦史が政治家(トルーマンやスターリン)ら国の指導者の言動を追い国家対国家の枠で考えることが多いのに対して、各国の無名の人々が書いた日記や手紙、手記を幅広く収集し、草の根の視点から人びとがこの事態にどう対処したかを分析していること。だから各章の記述はアメリカや日本や中国の無名の人々の、ある日の行動から始まる。

そこから次のようなことが明らかになってくる。第二次世界大戦は参戦した国の社会に大きな変動を起こし、その結果さまざまな「新しい感情、新しい要求、新しい思考様式、新しい生き方」が生まれて旧来の社会と対立や緊張を起こしていた。

例えばアメリカではアフリカ系から人種的平等を求める運動や、女性たちから男女平等を求めるデモが起こる一方、増え続ける移民への反感が増大していた。1950年に始まった赤狩り(マッカーシズム)で標的とされた者の多くは共産主義者ではなく、アフリカ系や公民権運動家、フェミニスト、同性愛者、移民、ニューディール政策支持者といった「新しい生き方」を求める人たち、つまり多数派から「非アメリカ的」とされる人びとだった。著者は、赤狩りはイデオロギー闘争ではなく何が「アメリカ的」で何が「非アメリカ的」なのかを巡る戦いだったという。非アメリカ的と目された「新しい生き方」は「共産主義者」「ソ連の手先」というレッテルを貼られて社会から排斥された。多くの民衆もそれに加担した。

日本のレッド・パージも似たような構造を持つ。1950年に始まったレッド・パージはGHQの指令に基づくとされている。確かに最初に新聞業界の共産党員とその支持者が排斥されたのはGHQの指令によるものだった。しかしその後、さまざまな企業で行われた大量解雇にGHQは関与しておらず、それぞれの企業の判断によるものだった。パージされたのは共産党員と支持者だけでなく「多くの場合、職場における不順応者や反抗者、非協力的なものたち」だった。核心部にあったのは、ここでもイデオロギー闘争というより「職場や社会、コミュニティーにおける望ましい秩序と調和のあり方をめぐる社会的軋轢」だったのだ。

著者はさらに中国の「反革命分子弾圧」、台湾の「白色テロ」、朝鮮半島の集団殺戮事件、フィリピンのフク団弾圧、英国での労働運動弾圧など、世界各地で「人びとの手による社会的粛清のパターンがほぼ同時に出現している」ことを見る。一方で、最近の研究から北朝鮮が韓国に侵攻したのは金日成が主導し、中国が参戦したのも混沌とした国内事情から毛沢東が決断したもので、必ずしも「スターリンの世界戦略」ではないことを示す。

上下2段組み300ページ以上に及ぶ膨大な本文をこんなふうに要約してしまっては落ちこぼれるものも多いけれど、益田は結論としてこう述べている。朝鮮戦争期に世界各国でほぼ同時に生まれた社会粛清運動の本質は「社会秩序を取り戻そうとする草の根保守主義のバックラッシュ(揺り戻し)」だった。その際、「共産勢力の拡大を食い止める」という冷戦の論理は、国内の社会的・文化的な軋轢を封じ込めるのに極めて効果的に機能した。

「冷戦とは、世界各地の社会内部のさまざまな異論や不和を封じ込めて『秩序』を生み出すための社会装置だったのではないか、そしてそれは政治指導者によってというよりも、むしろ普通の人びとによって創りだされた想像上の『現実』だったのではないか」

冷戦は「想像上の現実」だというこの本の大胆な仮説には、さまざまな反論があることだろう。でも僕らが学校で習う歴史も別の角度から眺めてみればまた新しい見方ができるという意味では、なんとも刺激的な読書体験だった。

益田が指摘していて見落としてはならないのは、人びとが秩序を求めて冷戦の言説にとびついた底に恐怖の感情があったことだろう。1950年は第二次大戦が終わって5年、参加した国の民衆には戦争の体験と記憶がまだ残っていた。朝鮮で起こった戦争はその記憶を蘇らせ、人びとは核攻撃を含む第三次世界大戦への恐怖をつのらせた。その恐怖と不安が社会内部に「敵」を名指し排除する社会粛清運動を駆動させた。

ウクライナの戦乱のなかで、今また核攻撃とか第三次世界大戦という言葉が飛びかっている。不安と恐怖の感情の水位が高まっている。歴史が、そのままでないにしても螺旋状に繰り返されるとすれば、この本を参照できることは多いだろう。例えば民主主義国家対権威主義国家といっても、敵対するどちらの国の内部にも社会的対立がある。国家という枠で民主主義対権威主義の二項対立に単純化してしまえば、そうした社会内の分断線は見えにくくなる。1950年に冷戦の論理で「非○○的なもの」が排除されたように、権威主義国家では強権的になされるものが、民主主義国家では民主主義の装いのもとに、異論が排除されたり、表現や行動の自由に実質的制限がかけられたりする機運が上からだけでなく下からも沸き上がってくるかもしれない(ヘイトスピーチや自粛警察にその萌芽が見える)。そこに敏感でありたいと思う。

本書はもともと益田がコーネル大学に出した博士論文が基になっている。その後、ハーバード大学出版から単行本になり、それが評判になって日本語版が出版された。日本語版については翻訳というより大幅な加筆、修正がなされている。そのせいか、研究論文の骨格は残しながら記述は具体的で分かりやすく、僕のような一般読者でもついていける。

ただ、12級という最近の本ではありえない小さな活字の2段組は70代半ばのジジイには苦痛だった。書店で手にしたとき、高齢者は拒まれていると感ずる。国内でほぼ無名の著者の博士論文、どのみち高定価が避けられないのなら、もっと活字を大きくして分厚い本にするか、上下2分冊にしてほしかった。面白くて最後まで読み通してしまったけれど、元編集者として一言。今年度の毎日出版文化賞、大佛次郎論壇賞受賞作。(山崎幸雄)

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2019年11月16日 (土)

「ヒト、犬に会う」島 泰三

島 泰三 著
講談社(266p)2019.07.12
1,925円

人と犬との関係は長い歴史がある、それは単なるペットではなく警察犬や牧羊犬を始めとした使役犬としての活躍の場は犬種を問わず多様である。まさに人間の良きパートナーという言い方が適切だと思うのだが、著者が熱く語っているのは「犬がいたからこそ、大型類人猿の一種『ヒト』は『人間』らしくなり…現在の『文明』にまで至った」という犬と人間の対等な関係である。著者は動物学者で日本ザルやマダガスカルに生息するアイアイという小型猿研究の専門家だが、本書では犬と人間の関係を幅広い領域からの分析と賛否を含めて多くの学説を引きながら精緻な説明を展開している。論文を読むような感覚で読み進んだのだが、一方、そこまで言わなくてもという「反論の表現」が有ったりするのも著者の「犬愛」の為せる業なのだろうと思う。

犬にまつわる興味深い事象がいろいろ紹介されているのだが、その一つが「歩く食糧貯蔵庫」仮説。その仮説とは1万5千年前に「イヌ」と「ヒト」は出会い、イヌの家畜化が進み、猟の協力者として、同伴者として、寝床を温めるものとして、そして時には食糧としてイヌが狩猟採集民に扱われていたと言うもの。「食糧」という言葉に一瞬違和感を覚えるが、犬食文化がある中国や韓国そしてオセアニアなどの地域の広がりを考えると、この仮説の存在を否定することも出来ない。

また、大分県での高度に訓練された紀州犬がイノシシと戦って倒すという特殊なイノシシ狩り、モスクワの地下鉄に乗って駅間を移動する犬、江戸時代のお伊勢参りの犬など、本当かと思いつつも人と犬のつき合い方の多様性を良く示しているエピソードである。また、犬は言葉を理解出来ず、名前を呼ばれてしっぽを振るのも単に音に反応しているだけという説に反論するかの様な事例が示されている。それは、初対面の犬に会うとき、事前に犬の名前を教えてもらい、初めて会った時に名前を呼ぶと犬は「なぜ、お前はおれの名前を知ってるんだ?」という驚きと怪訝な表情をするという。犬は単に名前を呼ばれて喜んでいるだけではないのだ。本当に怪訝そうな顔をした黒い犬の写真が添えられている。納得である。

本書が扱っているテーマは、「犬への変化」と題してイヌの起源を探りつつ、多くの学説を引きながら進化によるイヌの特性の変化を紹介し、「イヌ、ヒトに会う」と題してイヌとヒトが同盟関係を結んでいく過程を示し、「犬の力」と題して犬の特性を分析して人との共生の意味を解説。「ことばはどのように生まれたのか」という章では人と犬のコミュニケーションと言葉について語られている。

第一章は「犬への変化」と題してその起源が詳細に説明されている。食肉目としてネコ亜目とイヌ亜目の二つに分離したのが5600万年前。そして北米からユーラシア大陸に進出して100万年前にオオカミとイヌの共通祖が確立した後、「オオカミは人を襲わないという人間への許容度が高い。一方、イヌは人に対する高い親和性とともに、特定のヒトに強く結びつく傾向がある」という特性差を持ちながら独立していったことが判る。

第二章は進化してきたイヌがいよいよヒトと会うことになる局面で1万5千年前にオオカミ亜種のイヌがヒトにより家畜化されていく過程が示されている。

イヌが南下していって小型化が進んだ結果、イヌの平均体重はオオカミに比較しても半分近く軽くなっており、ヒトにとっては適切な大きさになっていた。また、イヌが多産であることや性成熟期間の短さといった生殖戦略はヒトが犬と共生するにあたって、仲間として適切な種を作り出していくための淘汰のサイクルが短いということも有利な点であったとしている。一方、ヒトは先行するホモ・エレクトウスやネアンデルタールの辺縁をさまよう直立二足歩行類人猿だった。

こうした特徴を持つ二つの種が同盟を成立させた理由は、ヒトとイヌ共に祖先種と比較すると小型で強力さに欠けているという相対的に弱いもの同士が結びついたものとされている。こうした環境でヒトは東南アジアに至って、ついに豊富な食生活を体験することになる。そこでイヌに与える食物もあり、イヌと共生することで他集団や大型捕食動物から逃れることが出来るといった相互関係により同盟が確立したと説明している。

第三章は「犬の力」と題して人と違う能力や特性を紹介している。犬は人と違って嗅覚、聴覚、味覚といったものだけでなく「恐怖」「凶暴さ」を匂いで嗅ぎ分けると言う。まさに人と別世界に居るということだが、味覚においても犬は水に関しては独特の味蕾があり水の味を感じることが出来ると聞くと、水をうまそうに飲む犬の姿にも納得がいく。また、犬の特性として集団行動の適応能力の高さこそ重要な点である。

こうした、人にない感覚能力、集団活動能力などを活用して、イヌから犬になった「犬」は人間社会でのみ生き延びられる存在となり、人間の意思を正確に実施しようとする特性を手にしたと言う。一方、ヒトは発達した大脳皮質前頭葉を使って全体的な判断を進化させてきたが、運動能力や感覚について高い能力を持っている訳ではない。このイヌとヒトの判断能力の違いを著者は、「犬は『人の仕草や物言い、匂い』など全体で客観的に判断するが、人は『第一印象』といった『幻想で判断する」と説明している。

第四章は「ことばはどのように生まれてきたのかについて述べられている。犬は声道の構造から人間の様に子音+母音といった発声は出来ないが、犬は人の話言葉を理解する。言葉と言っても、「身振り」「音声」「文字」の三つの形態があるが、その中でヒトの最大の特徴を「ひっきりなしのおしゃべりだった」としている。こうしたコミュニケーション力の進化のステップの第一段階とは、まず呼びかけ能力として相手が応えるまで「作為的な呼びかけ」を続けることであり、次にヒトの言葉は「命令」の段階に入る。この時代は道具の利用の拡大など遺跡も多く残る時代だ。そして2万5千年前から1万5千年前頃にヒトは名詞と修飾語、命令語をつなぐことを始めたという仮説だが、それは考古学的に動物を表す絵が数多く描きはじめられた時代と一致するという。

その中で、犬とのコミユニケーションと言えば「身振り」と「音声」ということになる。主たるものは飼い主がひっきりなしに語り掛ける明瞭な「音声」によって主人の感情や意図を間違いなく察知する能力であり、いずれにしてもそれに従うかどうかは犬と飼い主との相性であったり、犬からみて尊敬や信頼できる相手であるかどうかという。この指摘は全ての人間関係においても成り立つ指摘であることが、また怖い所だと気づかされる。

そして、最後に人にとっての犬の存在について著者は次の様にまとめている

「犬は大好きな人の傍らに常にいるが、まったく異なった世界を見ている。それだけに、人は心が開放される。人が犬のそばでは信じられないほど饒舌になるのはそのためなのである」

本書の読書は、犬との生活の記憶とも重なり合って納得や驚きが続いた。中学生の頃、家で飼っていた秋田犬とコリーのミックス犬は長生きしたこともあり、懐かしさがいくらでも湧いてくる。もっと話しかけてやれば良かったと思うばかりだ。

犬に対する雑学的知識を満喫した読書であったが、気になる点が一つあった。それは、まだオオカミの亜種で会ったころは「イヌ」、家畜化されたイヌを「犬」と表記するとしており、同様に「ヒト」はホモサピエンスという人類種を示し、「人」は犬の家畜化以降のヒトを示すとしている。この説明を読んでいた時、「ヒト、犬に会う」という本書のタイトルは辻褄が合わないのではないかと思った。家畜化を起点とした表現の変化であれば「ヒト、イヌに会う」でないといけないのではないか。しかし、読み進むと第二章のタイトルは「イヌ、ヒトに会う」と整合性のある表記になっている。本のタイトルの表記は何か意図が有るのだろうか。また、考えてしまう夜の読書である。(内池正名)

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2017年2月18日 (土)

「ヒマ道楽」坪内稔典

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坪内稔典 著
岩波書店(224p)2016.12.10
2,052円

団塊の世代である私はフルタイムの仕事を卒業して4年。多少の仕事は有るものの、ボランティア活動、街道歩き、陶芸、読書、ジャズといった趣味で日々を過ごしている。モノ忘れを補う適度な緊張とゆるく流れる時間の混在した生活を楽しみながら、ある日、散歩の途中で「ほんとうはヒマなクセに。お忙しいアナタに 現代ストレス解消法!」というサブ・タイトルに惹かれて本書を手にした。

著者の坪内稔典は1944年生れ。学生時代から俳句を作り続け、近代日本文学、特に正岡子規の研究者となって詩歌を研究してきた人。本書は産経新聞大阪本社版に連載していた「モーロクのススメ」という2013年から2016年のコラムからの抜粋であり、フルタイムの仕事を卒業して二年目の72才である。「金を稼ぐ本職」から離れ、時間の制約からは解き放たれた生活による人生のリズムの変化期におけるエッセイである。

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2014年11月16日 (日)

「非除染地帯」平田剛士

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平田剛士 著
緑風出版(168p)2014.10.15
1,944円

東京電力福島第一原子力発電所の事故から3年半がたった。とはいえ事故を起こした原子炉の廃炉作業はこれからだし、今も4万人以上の住民が県外に避難したまま故郷に帰れないでいる。

汚染地域での除染が進んでいるとはいえ、除染作業が行われているのは住宅や道路、田畑だけ。それも期待した効果が出ていないところも多い。県の面積の8割を占める森林は手つかずのままだし、河川、湖沼、海浜、海洋もそのままになっている。また双葉町全域や浪江町・大熊町の大部分を占める「帰宅困難地域」はそもそも除染の対象になっていない。「3.11後の森と川と海」とサブタイトルを打たれたこの本は、こうした「非除染地帯」の生態系がどうなっているかを追ったルポルタージュだ。

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2012年4月11日 (水)

「東日本大震災復興時刻表」越前 勤

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「東日本大震災復興時刻表」
越前 勤 著
講談社(176p)2012.03
2,625円

「福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書」
福島原発事故独立検証委員会 著
ディスカヴァー・トゥエンティワン(412p)2012.03.12
1,575円

この二冊を机において、今回の震災と事故とはなんだったのか考えて見る。一年間という時間はまだまだ当面の対処の期間であり、対策についても手探りの期間でしかなかった。特に原発事故に関して言えば数十年といった時間軸で対策の効果を見ていかなければ、その影響実態は判断できないだろう。一方、発生した被害や痛みはどんどん風化していって、残された住民の怨嗟や遺棄された国土だけがモニュメントのように残るという事態だけは避けなければならない。私たちは今回の震災や原発事故で、肉親や仲間、家や風景、生活の場たる海や田畑、伝統や文化などあまりに多くのものを失っている。そうした状況の中からも新たに生まれてきた夢や希望はどんな些細なものであっても拾い上げて行きたい、そんな気持ちで取り上げたのが「東日本大震災復興時刻表」である。

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2012年1月10日 (火)

「暇と退屈の倫理学」國分功一郎

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國分功一郎 著
朝日出版社 (402p) 2011.10.18
1,890円

仕事の時代を終えた団塊の世代にとって「暇と退屈」は概念だけでなく、極めて日常的なものとして捉えなければならない年齢になっている。そんな「暇と退屈」が「倫理学」になるものなのかとタイトルに惹かれてこの大著を手にした。「倫理学」であるためにはいかに生きるべきかを問う内容になっていなければならないのだが、「暇と退屈」から「倫理」が導き出されるという期待と疑問が相半ばしての読書であった。

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2008年11月12日 (水)

「日々の食材ノート」 渡辺有子

Hibino 渡辺有子著
筑摩書房(127p)2008.04

1,575円

この本は、表紙は言うに及ばず本文・奥付にいたるまで活字は一切使われていない。全て手書きの文字をそのまま印 刷している。その字はけして達筆ではないし、読みやすいという程の字でもない。デザイン的にはぎりぎりのところを狙った本なのだろう。料理本の常道として 写真も添えられているが、その写真は料理を理解してもらうためのものではなく、料理や器が著者にとってどのように存在してほしいかを示すための画像として 扱われているように思える。

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2008年11月 9日 (日)

「ビル・エヴァンスについてのいくつかの事柄」 中山康樹

Bill 中山康樹著
河出書房新社(242p)2005.03.19

1,680円

ピアニスト、ビル・エヴァンスの演奏に出会ったのは40年程前のことで、その頃はアルバムがリリースされても輸入版は高価で、新譜はジャズ喫茶かラジオ放送に頼って聴いていたものだった。そんなことで、ディスコグラフィー的にはかなり知識は有しているし、時代背景も同時代的に進行していたのでそれなりの理解はしていたつもりだが、エヴァン スの幼年期を含めて生涯の音楽活動と周辺の動きを網羅した本書を読んで、そんなこともあったのかと再認識させられる事柄も多く、エヴァンスの人となりを活 写していて、新たなエヴァンス像を想起させられた部分も多い。

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