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香港陥落/侯孝賢と私の台湾ニューシネマ/僕が出会った人/ポリティコン(上・下)/ホーチミン・ルート従軍記/崩御と即位/堀田善衛 上海日記/香港映画の街角/本人の人々/僕とライカ/骨の健康学

2023年5月15日 (月)

「香港陥落」松浦寿輝

松浦寿輝 著
講談社(256p)2023.01.11
1,980円

松浦寿輝の『名誉と恍惚』(2017)は日中戦争下の上海を舞台にした実に面白い小説で、本サイトでも取り上げている。書店でこの『香港陥落』を見つけたとき、あ、また同じ著者の中国ものだ、と心が躍りすぐに買い求めた。読み進めていくと前作から2年後、日本軍が香港郊外に迫り太平洋戦争が始まる直前の1941年11月に始まる、『名誉と恍惚』とはまったく別の物語。ではあるのだが、どうも記憶の底に残っている名前が出てくる。書棚から前作を取り出して開いてみたら、日本軍に追われ中国人社会に潜りこんだ主人公の中国名ではないか。今回、彼は主人公ではなく脇役なのだが、上海から香港へ舞台を移した『名誉と恍惚』の後日譚として読むこともできる。

前作は重厚かつ遊びに満ちた波乱万丈の歴史ものだったが、今回は動から一転して静へ。舞台は香港のペニンシュラ・ホテルと、朽ちかけた広東料理店。最初から最後までそこでの会話と回想で物語が進む。会話を彩るのは酒と広東料理とシェイクスピア。むろんその背後には、進行しつつある戦争がある。

主な登場人物は3人。谷尾悠介はロンドン日本大使館の参事官だったが、職を辞して今は香港の日本語新聞の編集長。ブレント・リーランドは英国の香港政庁貿易部職員だったが、定年を前に彼も職を辞し、ロイター通信で非正規の記者として働いている。黄海栄(ホアン・ハイロン)はロンドン大学に留学した後、貿易会社で働く。40代の谷尾と50代のブレントという二人の独身男、そしてイギリス女性と同棲する30代の黄。三人が月に一、二度集まって酒を飲みおしゃべりする。それだけの話。なのだが、これがなんとも味わい深い。

小説は前半と後半に分かれている。前半は谷尾の、Side Bと銘打たれた後半はブレントの視点で、同じ物語が二人によって重層的に語られる。12月8日をはさんで敵国人同士となった谷尾とブレント。満州事変以来の戦争状態にある日中の谷尾と黄。植民者と被植民者であるブレントと黄。三者三様の立場がありつつ、三人は微妙な仲間意識で結ばれている。開戦1か月前の「十一月八日」の章はこんな具合。

「おれには何やらおとぎ話のような気がしてしょうがないんだ。ぎりぎりまで煮詰まってしまったこんなご時世に、おれたちはこんなふうにのどかに飲み食いして……しかしこの皮蛋(ピータン)は美味いな。……

谷尾さん、自分のことをおとぎ話の登場人物みたいに思うのはあなたの勝手ですけどね。戦争はおとぎ話じゃないですよ。それは殺戮、強姦、拷問、追放です。そういうことをされる側の人間の身になって、ちょっと想像力を働かせてみたらどうですか。

そりゃあそうだ、と谷尾が小声で呟いたのは、正論は正論として認めざるをえないからだった。だがな、そりゃあそうなんだが……こうやってのんびり酒を飲んで料理を食っているわけで……

そして、お喋りしている、とリーランドが言った。
そうだな。
お喋りし、かつ飲み、かつ食らい……。
主に、お喋りだ。いや、ひたすら、お喋りだ。ぺらぺら、ぺらぺら、『言葉、言葉、言葉』とハムレットは言ったが……」

谷尾とリーランドは折に触れシェイクスピアのセリフを会話に挟み、どうだ、このセリフの続きを言えるか、と互いに遊んでいる。エリート外交官の職を投げうって香港に流れてきた谷尾。英国が直轄する香港政庁の職員を辞したリーランド。戦争の足音が迫るなかで、他人から見れば不可解な身の処し方をした二人の会話には疲労感がにじむ。そんな得体の知れない存在であるふたりに、谷尾は実は日本軍の工作員ではないのか、リーランドはリーランドで英国の諜報機関とつながっているのではないかとの噂があり、それは二人とも互いに認識している。谷尾はある晩、確かに工作員として香港へという話はあったが、それが嫌で外交官を辞めた、自分は愛国者のはしくれだが、日本の対外進出に疑念を抱いている、神がかりの故国には帰りたくないんだ、と二人に語る。

12月8日から2週間後の次の章。香港へ侵攻した日本軍の軍政庁が置かれたペニンシュラ・ホテルへ、谷尾はリーランドと黄を呼び出す。谷尾は、自分は占領地行政に協力することになった、ついてはあんたたちも手伝ってくれないか? と提案する。そうなれば敵国人であるリーランドの安全は保障されるし、黄の身分も安定する。この提案に「へっ! 日本軍の使いっぱしりになれという話ですか」と激昂した二人だが、ジョニーウォーカーを飲み、クラブサンドイッチを食べて言葉少なにお喋りした後、リーランドは、「あんたの気持ちは一応、わかった」と言いつつ提案を断る。黄は「気が進みませんね」と答える。その後、リーランドは収容所に送られ、黄は避難民で膨れ上がった香港の人口を減らすため福建省で戦争を過ごすことになる。

後半のSide Bでは、同じ時期の出来事がリーランドの視点で語られる。噂どおり諜報部門の調査員だが、ウェールズ人のリーランドはイングランドに対して含むところがあり、本国の上部組織とはうまくいってないようだ。摩羅上街(アッパー・ラスカー・ロウ)で武器密輸組織を内偵していたリーランドは、雨に振りこめられ百龍餐館というみすぼらしい料理店に入る。そこで偶然、沈(シェン)と名乗る青年と馮(フォン)という老人に会い、一緒に食事することになる。リーランドは二か月前、摩羅上街の路上で沈から贋ロレックスを買っていた。ここでもまた酒と料理とお喋りが盛り上がる。

百龍餐館は店構えにかかわらず知る人ぞ知る名店で、極上の料理が次々に供されるのだ。
前菜は滷胗肝(鶏の砂肝醤油煮)に香腸(腸詰)
生炒鶏絲(鶏胸肉千切り炒め)
芙蓉青蟹(卵と上海蟹炒め)
生炒菜心(青梗菜、椎茸、筍の煮込み)
魷魚湯蝦丸(海老団子とイカのスープ)
糖醋鯉魚(鯉の丸揚げ甘酢餡)
最後に六堡茶(発酵系黒茶)

少なくとも旨いものを食っているあいだだけは人生を肯定する気分になる、などとリーランドは考えながら、時計商と名乗るが得体の知れないこの二人組に好意を抱く。この二人、前作『名誉と恍惚』の登場人物で、上海から戦火を逃れて香港へ流れてきた設定。どうやら地下の抗日組織とつながりがあるらしい。

次にリーランドが沈に会うのは開戦後。谷尾から日本軍の軍政に協力しないかという提案を受けた夜のことだった。沈はリーランドがこの提案を断ったことを残念がる。

「あなたの友だちなんでしょう、その日本人は?
友だちだった。そいつとはほとんどシェイクスピアの話しかしないような付き合いで、そのかぎりではまあ、友だちだった。そのはずだ。……
その日本人がどういうことを言ってくるのか、それをとにかくあなたに聞いてもらい、そのうえでぼくらで何が出来るか、考えてみようじゃないですか。
ぼくらで……というのはいったいどういう意味かね? とリーランドはことさら皮肉を滲ませる口調で訊き返した。
被占領国の住民となったぼくらで、という意味です」
「要するに、おれにスパイになれと、そういうことかね?
まあそうです、と沈は開き直ったようにきっぱりと言い切ってリーランドの目を真っ直ぐに見た」

深夜までそんな問答を繰り返した果てに、同席していた馮の姪(『名誉と恍惚』では沈とワケアリ)がぽつりと言う。

「リーランドさんはお友だちを裏切りたくないのでしょう」

このあたりまでくると、酒と料理とシェイクスピアとぐだぐだした時世のお喋りで転がってきたこの小説の背後から、前作のタイトルに倣うなら「矜持と友情」とでもいうべき主題が立ち上がるのがわかる。谷尾とリーランドと黄(谷尾と黄の間にも女性を介した複雑な事情がある)。三人がそれぞれの立場、それぞれの過去、それぞれのしがらみを抱えながら目の前で進行する戦争に、どのように己の矜持を守り、友に対するのか。美食にシェイクスピアにと高踏的な話題に終始しながら、その陰から古典的ともいえるテーマが顔をのぞかせる。友情とは青春小説の専売特許のようなものだけれど、ここではさまざまな経験を積んで人生も後半戦にさしかかった男たちの友情が試されている。

3人が最後に会うのは、戦争が終わって1年後のペニンシュラ・ホテルのバー。収容所生活でやつれたリーランド。引き揚げ船で日本へ帰ることになった谷尾。香港へ戻り、スーツをばりっと着こなす黄。ぼそぼそと喋り、「次はいつまた会おうぞ、われら三人」と「マクベス」のセリフを吟じた後、谷尾は二人の目を見てうなずき握手もせずに別れる。「一度も後ろを振り返らずに歩いていった。熱いものが前触れなしに目にどっと溢れて視界がぼやけた。何とか真っ直ぐに歩いていかなければならない。後ろからまだ彼らが見ているかもしれない。足元がよろけるといったぶざまな醜態をさらすわけにはいかない」。

前作『名誉と恍惚』は渾身のという形容がぴったりする大部の力作だったけれど、『香港陥落』は間奏曲といった感じの軽みをまとってる。文章も前作は緻密なディテール描写が素晴らしかったが、今回は会話が中心ということもあって、いい感じにゆるい。会話と地の文が区別されずひと続きになっていて、それが気持ちよいリズムを生み出している。こういう小説を読むのは贅沢な時間だなあ。

最後にもうひとつ。この小説、前半は2020年9月に、後半のSide Bは2022年10月に雑誌発表されている。20年9月は香港に民主化を弾圧する国家安全法が施行された直後であり、22年10月は習近平国家主席が身内で固めた第3期体制をスタートさせた時期に当たる。むろん、小説はそのことと何の関係もない。ただ作者は、香港人の黄にこんなことを言わせている。「香港は、資本主義の活力で持ってきた一大商業都市だ。……その歴史が否定されたら、この町には未来がなくなってしまう。だから、それを率いるのが毛沢東だろうが誰だろうが、ぼくは共産党政権にはこの町は吞みこまれてほしくない」。この小説が、「一国二制度」だったはずの香港が大陸中国に「吞みこまれ」つつある現実を背景に書かれたことを考えると、『香港陥落』という日中戦争下の歴史的出来事を指すタイトルが遥か未来にこだましているような気がしてこないだろうか。(山崎幸雄)

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2021年7月19日 (月)

「侯孝賢と私の台湾ニューシネマ」朱天文


朱天文 著
竹書房(288p)2021.04.08
2,750円

「台湾ニューシネマ」と言っても、ある年齢以上のコアな映画ファンでなければピンとこないかもしれない。台湾ニューシネマとは1980年代、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)、エドワード・ヤンといった当時30代の若手監督がつくった新しい映画群のこと。それまで娯楽映画しかなかった台湾映画に、現代史を素材にしたり台湾社会に深く切りこんだ作品をもたらした。なかでも、大陸から渡ってきた蒋介石政権による台湾人虐殺を主題にした『悲情城市』(侯孝賢監督)がヴェネツィア映画祭グランプリを獲得したことで世界的に知られるようになった。

著者の朱天文(チュー・ティエンウェン)は作家で脚本家。彼女の小説『小畢的故事』が映画化されたことをきっかけに侯孝賢と知り合い、以後、侯監督の18作品で脚本を担当することになった。この本は著者と侯孝賢の出会いに始まり、何本もの傑作を共につくりあげる過程で、その時々に台湾メディアに発表したエッセイを集めたもの。二人を中心とする仲間の同志的結びつきや作品の背景について、当事者によって語られることで台湾ニューシネマがどのように生まれたか、その実相がよく分かる。

実は小生、朱天文さん(個人的な記憶については「さん」づけで呼びたい)に一度だけ会ったことがある。1993年の台北。当時所属していた新聞社の出版部門で侯孝賢についてのムックをつくる企画が通り、3週間ほど台湾に滞在していたときのことだ。用件は原稿執筆の依頼と写真撮影。

6月の台北は、むっとする暑さだった。太陽が照りつける昼下がり、指定された店に行くとそこは無人の酒場。重い扉を開け中に入ると窓のない室内は天井からの灯りだけで暗く冷房がきき、いきなり深海にもぐりこんだ気分になった。長い髪を無造作に束ね、くすんだオレンジのワンピースを着た朱さんがスポットライトのなかで微笑んでいた。そのころ30代半ばだったろうか。小生が侯孝賢監督と同い年と知ると、「お兄さんですね」と座をほぐしてくれた。二重瞼の瞳で相手をまっすぐ見つめ侯監督について語る朱さんの口調は、終始穏やか。同行した写真家・平地勲が撮影しムックに掲載した彼女のポートレートは、飾り気のない、知的で美しいひとの魅力を存分に伝えている。

と、これは個人的な思い出。本書に戻ろう。朱天文は侯孝賢が本来持っている資質について、こう語っている。

「たとえ強力な本能はあったにしても、侯孝賢は芸術的な気質をまったく持たない人でした。彼を野生の動物、あるいはどこか天然未開の地に住む人にたとえてもいいかもしれません」。あるいは、こうも言う。「強烈に、生い茂った草の匂いがする」

そんな侯孝賢が巨匠と呼ばれるに至るまでには、何人もの優れた映画人との出会いがあった。朱天文は、そんな人たちの横顔をスケッチしている。例えば台湾ニューシネマの産みの親とも言うべき中影公司(台湾の大手映画製作会社)社長の明驥(ミン・ジー)。1980年に社長となった明は、積極的に若い人材を集めた。後に『悲情城市』を朱とともに書く脚本家・呉念真(ウー・ニエンチェン)。プロデューサーの小野(シャオイエ)。明は二人に現場を任せ、彼らが参画したオムニバス映画『少年』(原作は朱天文『小畢的故事』)で朱は侯孝賢と出会い、共に脚本を書いている。

それまで侯孝賢は、3本の「商業的な文芸ラブストーリー」を監督していた。小生、そのうちの一本『むこうの川岸には草が青々』を見たことがある。学校を舞台に子供が生き生きと動き回るあたりに後の侯孝賢らしさを感じさせるものの、全体としては青春もののコメディ。そんな商業映画出身で、朱曰く芸術的な気質のない侯が「ニューウェーブの旗手」となるまでには、さらにいくつもの出会いがある。

最大の出会いは、よく知られているようにエドワード・ヤンだろう。ヤンはアメリカで映画を学んで台湾に戻ってきた。朱が評するに、ヤンの映画は「精密、正確で、様式において絶対的な完璧さ」を求めている。「のびのびと豪放磊落で、いつも未完成のような」侯孝賢とは対照的。侯がヤンから大きな刺激を受けたのは間違いない。

また侯孝賢映画の編集を担当することになる寥慶松(リャオ・チンソン)の存在も大きい。小生が編集したムックでも寥慶松にインタビューしている。そのなかで、侯より一世代上に当たる彼は侯孝賢にゴダールを見せたと語っている。侯孝賢にとってのゴダールは、そのスタイルに影響を受けたというより、「映画をより自由に考えることを可能にしてくれる」契機だった。そこから二人は「論理的には整合性のない繋ぎでも、感情的なものが持続していればいい」、「感情を編集する」スタイルをつくりあげていった。本書で朱天文は同じことを「テンションをつなぐ」と表現している。画面に映っているものでなく、その底辺にある「画面の息遣い」をつないでいくのだ、と。

画面に映っているものでなく「息遣い」を撮ろうとする侯孝賢の撮影現場(『好男好女』)を、朱天文はこんなふうに描写している。

「シーン割台本は施工のための青写真に過ぎない。撮影現場では侯孝賢が出演者にシチュエーションと雰囲気を提供する。あらゆるセリフ、ディテール、互いのやりとり、すべては(役者の)二人が“面白がって”創りあげたものだ。リハーサルでの動きの確認もなく、じかに動いたその一度で撮影をする。現場で侯孝賢は出演者に対してほぼ二つのことしかやらない。注意深く観察して撮影現場の状況を調整していき、また見て、調整。たいてい彼は演技を指導せず、出演者にセリフの暗記を強いることもない」

「彼が撮影ですることは、監督というよりは“採集家”に近いのではないか。……彼は観察をしながら探し、待ち続けているだけにすぎず、対象が突然語りかけてきたら、それを即座に捉えて蒐集箱に収めるかのようだ」

朱天文とともに侯孝賢がつくりあげてきた映画群は、そんな“採集家”としてのスタイルを純化する過程だったとも言えよう。見えない気配を掬いあげる“採集”と編集は、もちろんうまくいくときもあれば思い通りにいかないときもある。画面に底流する息遣いを見事に捉えてその頂点に位置する作品が『悲情城市』であることは衆目の一致するところだろう。小生の好みで言えば、さらに『風櫃の少年』『恋恋風塵』『憂鬱な楽園』あたりを付け加えたい気がする。小生は古い映画ファンなので、長回しで少ないカット数、説明や物語の排除といった侯孝賢のスタイルが純化される途上で、商業映画時代の物語作家としての才能とうまくバランスが取れていた時代の作品(『風櫃の少年』から『悲情城市』あたりまで)がいちばん好きだ。『ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン』のようにスタイルの純化された姿を見たいと思う一方で、『恋恋風塵』みたいな甘やかな映画ももう一度見たいと思う。

本書に収録された侯孝賢と朱天文の対話でも、朱は侯のスタイルが「行き着いた」ことについて語っている。

「あなたも『珈琲時光』でやはり行き着いた感じです。……さて、あなたの次の一歩はどうですか?」

侯もそのことを意識しているのか、改めてジャンル映画に挑戦してみたい、と語っている(それが最新作『黒衣の刺客』であることをわれわれは知っている)。朱は、「その考えには懐疑的です」と前置きして、こう言う。

「私たちは……興行的に成功する能力がまったくないのです。今日のあなたがあるのは、あなたには物を見る眼力があって、それは濾過する網のように、あらゆる物事がそこを通り、あなたの好むものだけが取り込まれていく。……あなたが不要とするものは、得てして説明であったり、ドラマ的なものだったりするでしょう。だから、私は非常に困難だと思うのです」

と言いながらも、朱天文はやはり侯孝賢の永遠の伴走者。「懐疑的」で「困難」と言いつつもジャンル(武侠)映画『黒衣の刺客』の脚本を手掛けている。作品としては面白くカンヌ映画祭で賞も取ったけど、興行的成功はやはり得られなかったようだ。

本書は脚本家としての朱天文のエッセイ集だが、彼女にはもうひとつ、というより本来の作家としての姿がある。彼女の小説はいくつか翻訳されているが、「新しい台湾の文学」シリーズの一冊である『荒人手記』(国書刊行会)を読むと、同性愛者の「おれ」を語り手に虚無感あふれた内的告白が延々と続く。侯孝賢映画とはまったくの別世界で、そうか朱天文はこういう作家だったのかと驚く。(山崎幸雄)

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2020年3月15日 (日)

「僕が出会った人」山崎幸雄

山崎幸雄 著
ブック・ナビ (301p)2020.02.10
非売品

本書は、著者が記者・編集者として活動し書き綴ってきた文章から「出会った人」をテーマに選択して一冊にしたものだ。著者は1970年に朝日新聞に入社して、37年間は1/3が雑誌記者、1/3が雑誌編集者、1/3が単行本編集者という経歴と自ら語っているが、「アサヒカメラ」「週刊朝日」「朝日ジャーナル」の記者、編集者として一線を歩み、退職後はフリーランスのライター、編集者、校閲者として活動してきたから、職歴からすれば文章を書くというのは仕事そのものだったと思う。

本書を作ろうとしたきっかけとは、昨年(2019年)の一月に悪性リンパ腫と診断され、1クール3週間(1週目は抗がん剤の点滴、2週目は感染症リスクを抑えるため自宅で静養、3週目は徐々に体調が戻ってくるというサイクル)の抗がん剤治療を開始した。これを8クール実施したと言うから、その期間は体力的だけでなく、メンタルにも厳しかったであろうことは私も同世代であるだけに容易に想像がつく。がんの治療技術は進歩して寛解確率が高まって来たとはいえ、死に至る確率がゼロではないというプレッシャーは厳然と存在していたはずだが、その間に没頭できる対象を見つけたという事のようだ。そして、同時期に後輩のお別れ会に出席した時にその後輩が書いた記事を綴じ込んだ小冊子が遺稿として配られたこと等から、自らの遺稿集を作ろうと思い立ったという。

そして、「遺稿集」作成にとりかかり、原稿を読み返し、選び、構成、校閲、本文を組み、ゲラを作り、装丁を考えるといった、一連の工程を一人で実行している。門外漢の私にはそれらの工程を楽しむという感覚は十分理解できない所もあるが、「抗ガン剤治療とはまた別の自己治療」だったという感想を述べているように、その時間は充実した素晴らしい時間だったのだろうと思う。

本書は「僕が出会った人」というタイトルの通り、著者が第一線で活躍していた期間に出会った人を中心に、司馬遼太郎に代表される「街道をゆく」に関連する人々や木村伊兵衛を始めとする写真家達、そして、映画監督、作家、俳優、歌手といった多くの人達との出会い、対話を書き綴っている。当時の週刊朝日やアサヒカメラなどに書かれた文章が多いが、一部は企業の広報雑誌、自身のブログやブック・ナビという書評サイトに掲載された文章も加えられていて、多様なメディアで表現活動をしてきたことが良く判る。

司馬遼太郎の取材旅行に同行していた経験を通して、司馬遼太郎の「街道をゆく」は1971年から1996年という長期に亘り週刊朝日で発表されて来たが、歴代担当記者の一人として司馬遼太郎との取材旅行で国内外を共に歩き、語り、飲みということだから、その時間を通してお互いが見えてくるということだろう。人は言葉にしなくても、日々の生活の中の行動でその人の姿を見ることが出来る。「司馬遼太郎とは」と大上段に構えて語る必要もなく、「余談の余談」に表現された日々の体験談からは「司馬遼太郎」だけでなく「山崎幸雄」の双方が私たちに見えてくる。

そして、細かな機微が書かれていることを読むにつけ、司馬遼太郎との取材旅行の何年も後に「余談の余談」を書くことが出来るということに驚かされる。多分、職業柄から丹念な取材メモや記録が残っているということなのだろう。そうした、詳細な記述がされている本書を読んでいると、その時代の私をその状況に置いて、時代を振り返ってみるという読み方になってしまうのだ。

著者の仕事歴からすると司馬遼太郎や木村伊兵衛といった人達が登場するのは想像がつくが、ジャズ評論家の平岡正明についても週刊朝日や朝日ジャーナルで出会いのチャンスがあったというのは羨ましい限りである。また、週刊朝日の「人物スポット」(1973年)というコラムには多様な人々が登場する。1973年といえばまだ入社して3年目だと思うが、若手記者がこうした人々とのインタビューを行い、コラムを書いていたというのも、広範な分野カバレージは著者の視野の広さということなのだろう。例えば、萩原健一、阿久悠、藤圭子、三国連太郎、白川和子、深作欣二といった人々と対話をしている。

同年代の私がIT業界に身を置き、学生時代からの趣味・志向とは無縁の仕事に24時間追い回され、ストレス解消のための逃げ場としてのみ映画や音楽が存在していたのとは大違いである。従って、多くの魅力的な人々との出会いを示されると、羨ましさを感じるのだが、冷静に考えれば趣味と仕事の違いは想像以上に大きいはずで、羨ましさというのは読み手側の勝手な感覚であろう。別の言い方をすれば、著者は自らチャンスを具体化して良い仕事をしてきたという事だし、それも実力と納得するばかりである。

本書に描かれている何人かの人達は、私自身としても記憶を刻んでいる人もいる。その内の一人が「人物スポット」で取り上げられている萩原健一である。インタビューが行われた1973年といえば彼は歌手から俳優へシフトしていたこともあり、歌手としての時代を「テンプターズでは実力より先にスターになった。譜面も読めずに歌をうたっていたという、うしろめたさもあったし」と語っている。その言葉を読んで、萩原健一に関する記憶が思い起こさられた。それは、私がまだ学生の頃、彼がザ・テンプターズのリードボーカルとして「エメラルドの伝説」(1968年) をレコーディングした際に、この曲の作曲家である村井邦彦氏に誘われてビクターのレコーディング・スタジオに行っていた。

そのレコーディングはかなり苦労の連続で、演奏も唄もなかなか上手くいかず何十というtakeを録音していたことを思い出す。しかし、レコードがリリースされるとその楽曲は大ヒットした。レコーディングを見聞きしていたこともあり、私はレコード化されるという意味は、それ自体が創作活動であるというのを痛感した覚えが有る。そう考えると、萩原健一が全く音楽を離れて俳優として生きることにハンドルを切ったのは、自身の才能に関する冷静な判断として納得できるというものだ。

こうして、「著者」と「出会った人」と「私」が時間を巻き戻して存在出来る楽しさを味わいながらの読書であった。

本書を当初の狙いの「遺稿集」としてではなく、著者自らの手から受け取れたことは本当に嬉しかった。こうした本に接し、私も働いていた頃の原稿を整理してみようと思いながら本を閉じた。(内池正名)

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2011年4月11日 (月)

「ポリティコン(上・下)」桐野夏生

Poli

桐野夏生 著
文藝春秋(上448p・下416p)2011.02.15
各1,650円

まず断っておきたいのですが、この記事はいわゆるネタバレです。ただしそのネタバレが的を射ているのかどうかは、僕にも分かりません。いずれにしても、これから桐野ワールドに浸りたいと思っておられる方は、小説を読んでからもう一度、ここへ戻ってこられることをお勧めします。と前振りしておいて、まずはそのネタバレから。『ポリティコン』は、桐野夏生の小説には珍しい「ボーイ・ミーツ・ガール」なのだった。そのことが、800ページ以上あるこの小説の最終ページまで読んできて分かった。……と、言ったそばから弱気になるのだが、この見方に同意してくれる人はいないかもしれないなあ。これはどこから見ても普通の「ボーイ・ミーツ・ガール」の青春小説じゃないし、読み終えて感動の涙を流すこともないからなあ。

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2009年5月 7日 (木)

「ホーチミン・ルート従軍記」レ・カオ・ダイ

Hochimin レ・カオ・ダイ著
岩波書店(386p)2009.04
2,940円

本書(2009417日発行)を手にしたすぐ後に、評者はベトナムの公的機関から表彰を受けるためベトナム・ハノイに出張した。フランス占領時代に建設された立派なオペラハウスで式典が挙行され、国家の重鎮も顔をそろえ、その模様はTVで生中継されていた。そうした晴れがましいイベントに身をおきながら、ハノイの中心部に居るということもあり、北爆やベトナム戦争の多くの情景がどうしてもフラッシュバックしてしまう。目の前で繰り広げられている華やかさとの40年前の感覚とのギャップに戸惑うばかりであった。

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2009年4月 2日 (木)

「崩御と即位」保阪正康

Hougyo保阪正康著
新潮社 364p2009.01
1,890円
 

この数年間に限っても、天皇制および天皇家についていくつかの議論がなされてきた。女性天皇の是非、靖国神社の合祀問題、人格否定問題などであった。しかし、内容の賛否に関わらず、議論の過程においても「象徴」を対象とするが故の踏み込みの甘さが如実に明らかになったし、議論のプロセス自体も曖昧さが目立った状況といえるのではないか。本書は保阪が近代日本史を検証するという視点で「天皇と時代」というキーワードを掲げ、その核心は先帝の「死」と皇位継承者(皇太子)の「天皇への就任」という事象にあるとの思いで書かれたもの。対象としている時代は孝明天皇の崩御から、明治天皇・大正天皇・昭和天皇・今上天皇の即位という範囲である。

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2008年12月26日 (金)

「堀田善衛 上海日記」紅野謙介

Hotta 紅野謙介編
集英社 (440p)2008.11.05
2,415円

横浜山手「港の見える丘公園」の緑に埋もれるように神奈川近代文学館はあるが、そこで本年(2008年)10月から堀田善衛展が開催された。目玉のひとつが本書のベースとなった未発表の日記である。第二次大戦の終結前後の19ヶ月間、堀田は上海に滞在し、日本にとっての敗戦、中国にとっての解放という異常事態の真っ只中で日記を書き綴っていた。堀田は戦後上海や中国に係わる作品を数多く発表しているが、特に、1959年に出版された「上海にて」に描かれている多くのプロットはこの日記の中にあることが分かる。日記と推敲された文章の違いは大きいが、日々の断片的な思いである日記からは推敲された文章とは違った意味のパワーを感じるものである。

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2008年11月 9日 (日)

「香港映画の街角」 野崎 歓

Honkon 野崎 歓著
青土社(336p)2005.02.25

2,730円

『インファナルアフェア』を見て以降、香港映画を見ることが多くなった。「香港ノワール」と称される香港の犯罪映画、黒(ヤクザ)社会と警察組織を素材にした映画は、かつてチョウ・ユンファが主演した『男たちの挽歌』シリーズ が大ヒットして人気を集めた。でもシリーズの監督、ジョン・ウーらがハリウッドに去り、香港の中国返還などもあって製作本数やヒット作も減り、ノワールだ けでなく映画界全体が沈滞期に入ったと言われてきた。

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2008年11月 6日 (木)

「本人の人々」南 伸坊

Honnin 南 伸坊著
マガジンハウス(156p)2003.11.20

880円

「ひ との身になって考えることを実践してみた」。これを「本人術」と称する本書は、我々が普段考えている「本人」という思いを揺るがすパワーがある。70名 (正しくは69名と一匹)を対象に南がその人物に扮する写真と各々に添えられた短文で構成されているのだが、思わず笑ってしまうものや、まったく似ておら ずいかがなものかと考えさせられるもの等なかなか楽しめる。

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「僕とライカ」 木村伊兵衛

Boku 木村伊兵衛著
朝日新聞社(188p)2003.05.30

2,100円

木村伊兵衛、ライカを持つ姿は下町のカメラ好きのオジサンそのものの風貌、いい人なんだろうなと思う。戦前・戦中・戦後と活躍してきた木村の代表作品とエッセイをまとめたこの本は遅れてきたカメラ小僧の私には勉強になる一冊だ。紙芝居に群がる子供たちを木漏れ日の中に撮った写真を表紙の上半分に配し、下半分の余白には黒のタイトルがキリリと占めて、ページをめくる期待をゆっくりと醸成する。そんなシャレタ装丁の本である。

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