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「笑い」の解剖/われらが背きし者/我が家の問題/和解する脳/わが国金融機関への期待/我、拗ね者として生涯を閉ず/忘れられる過去

2020年2月17日 (月)

「『笑い』の解剖 」中島隆信

中島隆信 著
慶應義塾大学出版会(212p)2019.09.06
1,980円

慶応大学商学部の現役の教授の著者が何故、人間の笑いに関する考察に挑戦したのかは不思議に思った。というのも、本書はエッセイではなく、しっかりと「笑い」のメカニズムを分析して仮説をたて、その仮説で「笑い」を読み解いていくという研究である。

そもそも、著者が「笑い」の研究にのめり込んだきっかけは、大学の授業中に学生をリラックスさせるために何回か笑わせようとしたものの、なかなか狙い通りに笑ってくれなかったという。一方、外部の講演で同様の試みをすると、はるかに受けが良く、笑ってもらえた。その違いから、「人は何故笑うのか」を考えてみようと思い立った様だ。疑問を感じたらまず考えてみるという、学者特有の生真面目さが本書を成り立たせているようだ。

かく言う私は、子供の頃から杉浦茂のまんがに染まり、ダジャレ、落語、演芸までくだらないと思いながらも「笑う快感」は人一倍強いと思っている。人間、笑えなくなったら御仕舞だとも思う。しかし、笑いという生理現象を科学的に考えてみようとしたことはなく、本書を目にしたときに読書意欲は高まり、「笑い」を通して、自分を客観的に考えてみようという思いがあった。

人が笑うまでのステップを「笑いの4段階説」という考え方を提示している。これが本書の根幹である。なかなか説得力のある説明で、論理フローチャートも図示されているという丁寧さだ。「笑いの4段階説」を簡単に説明すると以下の通りである。

第一ステップは「不自然さを認知すること」と定義している。人は「日常的な自然」の状況では脳に余計な負担を掛けないために、深く考えずに行動し日々過ごしている。一方、不自然な状況に直面すると、自身に危険が及ぼすかどうかの判断を始める。この「自然」から「不自然」への切替えが笑いのスタートとなる。

第二ステップは、目の前の「不自然さをもたらす相手に親しみを持てるかどうか」。第三のステップは「不自然さに対する当事者性が低いこと」としている。

この三つのステップを説明するために著者はこんな例を挙げている。まず、町中で人がよろめいて突然倒れたという状況を想定する。この状況は「不自然」なので第一ステップはクリアーする。しかし、倒れた人が、警官に追いかけられていた万引き犯だとすると、万引き犯に「親しみは持てない」ので第二ステップをクリアーできない。

次に、倒れた人が自分の父親だとすると「親しみ」があるので第二ステップはクリアーするが、「当事者性が強い」のでケガはないかと心配するのが先で、笑うことは無い。最後に、着ぐるみのゆるキャラが倒れたらどうなるのか。「親しみ」はあるのでこれも第二ステップをクリアーするし、中に入っている人とは当事者性は低いので、笑いに繋がっていく。

第四ステップは「不自然さから心の解放が出来ること」としている。「不自然」から始まった「親しみ」「非当事者性」という状況を精算してチャラにするという「心の解放」によって脳の負担が減る事が「快楽」であることから、笑いが生まれると言う考え方だ。

人間は脳を進化させ、道具を発明し、言語を作り、社会を構成して行った。その代償として抱え込んだのが外的・内的のストレスである。こうした蓄積するストレスを解放してチャラにすることが笑いであり、そのプロセスが「4段階説」であるという。ここまで、読み進んでいくと、自分もいっぱしの笑いの研究家のような気分になってくる。

加えて、過去の笑いに関する研究が紹介されている。プラトンやアリストテレスが提唱した、笑いとは対象を見下し優越感が出来た時の行動で、人の失敗を笑うといったことなどを説明した「優越理論」や、社会生活で鬱積した心的エネルギーが臨界点に達した時に放出される笑いとしての下ネタのような性的ジョークや、からかい(攻撃的ジョーク)などの「解放理論」。「西洋人らしく見える人が流暢な大阪弁を話す」など予想と現実の不一致から起きる笑いを説明する「不一致理論」などが紹介されている。しかし、これらの理論の限界は、笑いの内容に原因を求めているため、全ての笑いを説明出来てはいないとする著者の意見は納得できる。

こうした、過去の論説を踏まえて、「経済学者が解く50の疑問」とサブタイトルがついているように、笑いに関する多岐に渡る論点が提示され、説明されていく。

例えば男女の笑いに違いはあるのかという疑問に対して、売れている芸人は圧倒的に男が多いことを考えると「笑わせる側が男」で「笑う側が女」という仮説が成り立つ。心理学のテーマとして「自分のユーモアを笑ってもらう事」と「相手のユーモアを笑う事」のどちらを選ぶかと聞くと、男は前者を選び、女は後者を選ぶ傾向が強いと言う。これは人の生理と整合的で女性ホルモンの「エストロゲン」は共感力を高めて気持ちを安定させる働きを持っているため「4段階説」の第二、第四ステップにおいて女性がクリアーし易くしている。

こうした笑いについての男女差に関して、美形の女芸人が少ないという現実を考察している。容姿端麗な女芸人が笑いに繋がる不自然なことをしてもおそらくは女性の客は妬みを持つだけで、親しみは生まれないし、男は容姿端麗な女がそういうのなら、と納得してしまい不自然と受け止めない、としている。どちらも笑いに到達しない。

一方、マツコデラックスの笑いについては「生物学的には男であり声、体形や仕草は決して女っぽくないが化粧や服装は女らしさを見せている。このハイブリッドさを強調することで巧みにセクハラを回避して、性別に関係なくゲストをからかったりイジッたりすることが出来る」という様に解説して見せる。

「くすぐられて笑う」状況を分析していて面白い。「くすぐられる」という状況は日常的には不自然なので第一ステップをクリアーする。そこで、くすぐる人間が赤の他人だったら、不快だし、電車の中なら痴漢行為である。親しい人であることを前提に第二ステップから第三ステップに進んで行く。ここで問題になるのは「非当事者性」である。友人とプロレスごっこの最中に「くすぐられる」と親しい関係であり「くすぐったい」と感じる程度の距離感である。これは笑いに繋がっていく。しかし、恋人同志が夜景を見ながら腰に手を回し「気持ち良さ」を感じた場合は二人の距離感は近く当事者性もあるので笑うことはない。逆に、その状況で女性が「くすぐったさ」を感じたとしたら、相手に親しさは持っているものの、まだ当事者性を満たすには距離感があるということなので、男は少なからず落胆すべきだろうと指摘している。なるほど、冷静な判断だと言わざるを得ない。

このほか、AIは人を笑わせられるか、落語と漫才の違い、落語の真打制度と大学教授会構造の類似性、メディアの変化と「志村けん」の笑いの関係、自虐芸の難しさ(ヒロシです)、なぜオバさんは綾小路きみまろが好きなのか、笑いと健康、といった問題が真面目に語られているのである。

人にとって「笑い」とは、「不自然さ」の内容がイヤな思い出だったとしたら、これにいつまでも囚われることなく、チャラにする効果が「笑い」であり、心の浄化作用として考えられる。ただ、医学分野での笑いの生物学的メカニズムの解明はほとんどなされていないという。もっとも、「笑い」は病気ではないので、構造が判ったところで「で、何が?」といった感覚だろうという著者の思いは笑い好きとしては少し辛い感覚が残る。

「笑い」という行動の意味を知る事もなかなか楽しいものである。ただ、「笑い」を仕事としている人達にとっては、そのメカニズムを知る事で計算された結果として表現する笑いはギクシャクしそうな気もする。計算が成り立つというのは「落語」のような「芸」と「笑い」が組み合わされた技の場合だろう。

ということで、私はこれから上野の鈴本で一笑いしてこようと思うのです。〈内池正名〉

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2013年1月 8日 (火)

「われらが背きし者」ジョン・ル・カレ

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ジョン・ル・カレ 著
岩波書店(518p)2011.11.07
2,730円

ジョン・ル・カレの愛読者だったのはもう40年近く前のことになる。最初に読んだのは世界的ベストセラーで映画にもなった『寒い国から帰ってきたスパイ』で、それまでスパイ小説といえばイアン・フレミングの007しか知らなかった身には、東西冷戦下、なんともリアルでぞくぞくするような物語だった。

そこから始まって、ソ連のスパイが現実に英国諜報部に潜り込んでいたキム・フィルビー事件を素材にした『ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ』、つづいて同じ主人公スマイリーが活躍する『スクールボーイ閣下』『スマイリーと仲間たち』と“スマイリー3部作”に熱中した。細かいストーリーは覚えていないけれど、どんより曇った空の下、さえない中年男のスマイリーが地道な調査と心理駆け引きでスパイを炙りだしてゆく、全編を貫く暗鬱な雰囲気は今も鮮烈に思い出すことができる。

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2011年8月 7日 (日)

「我が家の問題」奥田英朗

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奥田英朗 著
集英社(288p)2011.07.05
1,470円

事前に狙い定めて新刊本を買いに行くことは小説に限ってはほとんど無い。本書も、いつもの様に本屋の書棚を素見半分で眺めながら、ふと惹かれるものがあって購入。奥田の作品を読むのは初めてだが、小説としての構成の面白さや人物の心象を言葉に変換させる巧みさに才能を感じながら、週末でさっと読みきってしまった。

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2011年1月11日 (火)

「和解する脳」池谷裕二・鈴木仁志

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池谷裕二・鈴木仁志 著
講談社(240p)2010.11.17
1,470円

池谷は東大大学院薬学系研究科の准教授、鈴木は弁護士で東海大学法科大学院教授。ふつう対談というと「話し手」と「聞き手」の役割が明確に分離していたり、同一分野のプロが集まって問題を深堀りしていくという形態が一般的だが、本書は他ジャンルのプロである池谷と鈴木が対談する形をとっているので、話題によって「素人とプロ」というか「話し手と聞き手」が随時入れ替わるのも面白く、加えて進化生物学、脳科学といった先端諸科学の成果を判りやすく説明していることもあり興味深く読めた。
「和解する脳」というタイトルもなかなか意味深長であるが、法曹界を代表する鈴木と脳科学の池谷の双方の期待が良く現れている。

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2009年8月 6日 (木)

「わが国金融機関への期待」富永 新

Kinyu 富永 新
生産性出版295p2009.07.28
2,940円

ITリスク管理と事業継続の未来を拓く」と副題あるように、現在の金融機関はその事業活動においてITに依存する度合いは極めて大きく、そのリスク管理のあり方と事故・トラブル発生時の対応に関する考察実践的な経験に裏付けられ読み易くまとめられている日本の金融機関の多くは永年システムの開発と運用・保守に多大な資金と労力・英知を注いできた。そうした営々とした努力にも係わらずITの落とし穴とも言うべきシステム・トラブルを防ぎきれなかったも事実である。そうした金融機関のシステムが抱える課題や問題を経営的側面、管理的側面、技術的側面だけでなく、文化的側面から分析している。全体構成としてはチェックリスト的も活用出来るとともに網羅的な理解という意味からもカバーされているので、もっと早く手にしたかったと嘆く経営者やシステム部門の管理者たちの聞こえて来そうである

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2008年11月 9日 (日)

「我、拗ね者として生涯を閉ず」 本田靖春

Ware 本田靖春著
講談社(584p)2005.02.21

2,625円

戦後、それも1940年代後半から1950年代の高度成長以前のこの国の空気を追体験するとしたら何がいいだろ うか。生活のなかにテレビが登場し、世の中全体がカラフルになってくる以前の、貧しかったこの国の町の表情や人々の喜怒哀楽の感情を、いま実感しようとし たら何を見たり、何を読んだらいいのか。黒澤明の『酔いどれ天使』『野良犬』といった一連の現代劇。木村伊兵衛や土門拳のカメラが切り取った人びと。松本清張や水上勉の推理小説。「星の流れに」「カスバの女」など歌謡曲の数々。

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2008年11月 6日 (木)

「忘れられる過去」 荒川洋治

Wasure 荒川洋治著
みすず書房(269p)2003.07.25

2,730円

「忘れることができる過去」か「忘れられてしまう過去」と理解するのか。題名からして荒川ワールドにまず引き込 まれる。先年出版された「夜のある町で」の弟分か妹分と荒川が言っているように、この本には2001年から2003年にかけて各種メディアに発表された文 章を集めている。詩人であり、評論家でもある彼が持ち前の緻密かつ敏感な感性で組み上げた各行は、凝った文章でもなければ、小難しい単語を振り回しているわけでもない。独特な物事の把握やさりげない言い回しの中に心を揺するものがある。「言葉の力」を再認識させられた一冊。

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